2017年2月19日日曜日

マジありえない共謀罪

【特集】マジありえない共謀罪・盗聴法・マイナンバー
2017年2月16日 IWJ

 特定秘密保護法、安保関連法の次は「共謀罪」の創設か。

 「共謀罪」の創設は国民の「思想・信条の自由」を奪う法律に他ならない。憲法で保障された基本的人権を蔑ろにした、途方もない悪法である。


「戦争を実施する国では自由と民主主義体制は維持できない」〜安倍政権が「共謀罪」で民主主義を壊す「理由」を元外務省国際情報局長の孫崎享氏が解説! 2017.2.16

 「戦争を実施しようとする国では、自由と民主主義の体制を維持できないということだ」

 なぜ「共謀罪」の新設が急がれるのか。2017年2月16日(木)、衆議院第一議員会館で共謀罪に反対する超党派の第2回勉強会が開催された。

 共謀罪の導入で市民の「表現の自由」は大きく侵害されるおそれがある。元外務省国際情報局長の孫崎享氏は、米軍の「下請け」として日本が戦争に参画するため、安倍政権は自由・民主主義体制の破壊に迫られているとの見方を示した。



日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)

1945年
 占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される

1945年10月4日、
 マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
 すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした

 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。

「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
http://sightfree.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)

同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。

また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。 




治安維持法――なぜ政党政治は「悪法」を生んだか(その2)  

 その1では1925年の成立に至るまでの過程をまとめましたが、本記事(その2)では1940年頃までの運用と改正についてまとめたいと思います。
成立当時の政権は「言論文章の自由の尊重」(内相・若槻礼次郎)をうたっており、宣伝ではなく結社を取り締まるものとして制定された同法ですが、運用の実態はいかなるものだったのでしょうか?
そしてなぜ改正を必要としたのでしょうか?
第3章から第5章までをまとめました。
 
  • 赤化宣伝

 
結社を取り締まる法律として成立した治安維持法は、本来赤化宣伝を直接取り締まるものではありませんでした。
日ソ基本条約には「宣伝禁止条項」が含まれていましたが、
同条項はあくまでも「政府の命令を受けた人間と政府から財政支援を受けた団体」が宣伝をすることを禁止したに過ぎず、
コミンテルンが事実上ソ連政府と密接な関係をもっていたにも関わらず、その宣伝行為をも取り締まることは困難でした。
まして幣原協調外交のもとでは、宣伝禁止条項の厳格な運用を達成することもできず、同条項は条約締結から1年を待たずに形骸化します。
その結果、当局は治安維持法適用対象拡大に動くことになります。



1925年11月、同志社大学軍事教育に反対するビラがまかれ、京都府特高課は京都地裁検事局検事正と協議の上で京都大学社会科学研究会の一斉捜索を決定します。
内務省は若い学生の検挙に消極的でしたが、司法省は本件への治安維持法適用に積極姿勢を見せていました。
予審の結果、本件では治安維持法第1条によるところの「結社罪」ではなく、第2条で定義されている「協議罪」*1適用が争われることになります。
結果としては第一審において、「私有財産制度否認」を目的とした「協議罪」で有罪が宣告されます。
治安維持法はその最初の事案において、投書の目的である「結社を取り締まる法律」としては機能しなかったのです。



日本共産党1925年上海会議でコミンテルンから再建を指示され、「君主制の廃止」をうたった27テーゼに基づいて活動を展開していきます。
テーゼ君主制の廃止」を明記していたため、それまで曖昧だった共産主義が「国体変革」を禁止する治安維持法と一直線に接続されることになります。
1928年の第1回男子普通選挙において、共産党は11名の党員を労農党から立候補させます。
この公然とした活動は内務省を刺激し、治安維持法第1条の「結社罪」適用を目的とした全国一斉検挙につながることになります。

1928年3月15日、全国で1600名が一斉に検挙されます。

ところが、共産党事務局長の家から押収された名簿に記載されていたのは409名であり、検挙者の大半は共産党に加入していないことが発覚します。
さらに第1条の結社罪の定義においては、結社には「情ヲ知リテ」すなわち「結社の目的を知った上で」加入していることが要件となっており、名簿に名前があっても結社(加入)罪が成立しないケースさえありました。
最終的な起訴数は488名となりましたが、治安維持法はその最初の大規模検挙から、怪しい容疑者を手当たり次第検挙するという「粗雑な運用」を許してしまったのです。



 
この時の改正は2つの目的を持っていました。
一つは結社罪の最高刑を死刑としたこと*2
もう一つは目的遂行罪(結社に加入していなくても、国体変革等を目指す結社の目的に寄与する行動を罰するもの)の設定でした。
特に後者について、改正後に拡大適用されて猛威を振るうことになります。

 
3.15事件は治安維持法適用という意味では「失敗」だったとはいえ、共産主義勢力の伸長に対して政府危機感を抱くには十分なものでした。
田中内閣の原司法相と小川鉄道相は同事件を受けて治安維持法改正に積極的に動くことになります。
1928年4月25日、治安維持法改正案は内閣に提出され、次いで第55特別議会で議論されることになります。
大きな問題を孕んでいた目的遂行罪についてはほとんど議論されなかったものの、会期が短かったこともあって改正案は審議未了で廃案となります。

 
しかし、原法相は諦めませんでした。
議会の承認を得ずに政府が制定する「緊急勅令*3を抜け道としたのです。
その要件に鑑みて明らかな濫用であり、田中内閣議会軽視との批判を受けますが、枢密院審査委員会第6回審査会において同勅令は5対3の僅差で可決されます。
さらに本会議での審議が行われますが、このとき昭和天皇枢密院史上初めて「如何程遅くなりても差支なし、議事を延行すべし」との要望を出しており、表決が1日延ばされました。
しかしながら、最終的に反対5賛成24の賛成多数で緊急勅令は可決されます。
そして事後の議会では目的遂行罪や法案改正以前に取り締まりを充実させることなどが議論されますが、議会多数を占める政友会は討議を打ち切り、賛成249反対170で事後承認が成立します。

(当ブログのコメント:
1928年の第55議会(5月6日閉会)で、特高警察の大拡充の追加予算が認められ、それとともに、思想検察(裁判所のチェックを外して、独自権限で犯人の逮捕状を発行できる機関)の創設の経費が認められる。(「思想検事」2000年9月20日発行(荻野富士夫著)34ページ))
 
  • 改正後の運用

 
改正から3ヶ月後には民政党の浜口内閣が成立し政権交替が起きます。
浜口政権は当初社会運動に対する取り締まりについて柔軟な姿勢*4を見せますが、1930年2月の第三次共産党検挙を機に挫折します。
同検挙においては共産党外郭団体に目的遂行罪が適用され、治安維持法の拡大の一端を示しています。
裁判の場でも目的遂行罪は存在感を示しました。
1931年5月20日の大審院判決では、当人の活動が結社の目的に合致すると客観的に判断できれば(主観的な意図がなくても)目的遂行罪は成立するとの判断がくだされます。
検察や警察による恣意的な運用が認められたも同然の判決でした。


---引用:治安維持法とゲーム規制--- 
治安維持法が
裁判所のチェックを外して犯人を逮捕しました。

-----引用-----------

 共謀罪は自白で立証することになるので、自白調書さえ取れれば有罪にできる。捜査機関は長期間の身柄拘束をして取れるまで取り調べるでしょう。
-----引用おわり------


治安維持法は、犯罪の理由を政治思想としましたので、

犯人の自白が必ず「証拠」として必要になりました。

「犯人の自白」を、刑事犯の証拠にした治安維持法は、
思想を取り締まるので、冤罪を生まないよう、
厳密な取り調べで犯人かそうで無いかの区分けをしたようですが、
それでも、かなり冤罪が多かったと聞いています。

A:治安維持法 第18条 ① 検事ハ被疑者ヲ召喚シ又ハ其ノ召喚ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
検事が司法警察官に命令して逮捕(召喚)状を発行させる。
(中略)
③ 召喚状ノ送達ニ関スル裁判所書記及執達吏ニ属スル職務ハ司法警察官吏之ヲ行フコトヲ得
→司法警察官は裁判所の権限を持って逮捕(召喚)状を発行することができる。

治安維持法は実質的に、裁判所を外して、警察官だけの独断で犯人を逮捕できたので、大きな弾圧を生みました。

「思想検事」(岩波新書)「荻野富士夫 著」
に、治安維持法が詳しく書いてありました。

(207ページ)
>治安維持法の特徴は、単に法的な処罰だけでなく、
>より広く社会的な処罰ないし威嚇としても機能したことにあった。
・・・
>国法にふれたという嫌疑をかけられるということは、
>倫理的には悪人、ひとでなし、信仰上からは罪人、
>非国民、はなはだしい場合、公敵、売国奴になってしまう。

治安維持法の前身の「集会条例」に類似する規定もあるようですので、
児童ポルノ単純所持違法化法案などの、治安維持法と同じく
裁判所のチェックを外して逮捕するという、令状主義に反する法案には気をつける必要があると思います。


今の日本の公安警察は、戦前の治安維持法の実行部隊をそのまま引き継いでいるそうです。
警察には、今も、戦前の治安維持法を再現しようとする勢力が根強くあるそうです。
今も、戦前の治安維持法を引き継いだ憲法違反の治安律法が多数あり、
それらが戦前の治安維持法のように実施されていない理由は、ただ、

それ(治安維持法)に反対する多くの市民運動の存在だけが、
治安維持法の実施を抑えている、
きわどいバランスに日本があるようです。

「思想検事」(岩波新書)210ページに、以下のように書いてありました。
>だが、この治安体制の継承によってただちに戦前の状況が再現されるわけではない。
>それを許さなかったのは、破防法反対運動、そして60年安保闘争とつづく
>大衆運動の高まりであったし、
>いまも、かたちを変えつつ、ねばりづよく展開されるさまざまな市民運動である。
>つまりは戦後の民主主義の存在であり、
>それこそが戦前の再現を防ぐ最大の保障なのである。

現在の日本は、このように際どいバランスにあるようです。

安心な社会というのは、個々人の起こす問題を少なくする事と、
政治権力の起こす問題とを少なくすることで実現すると思います。
安心な社会を維持するために、
危険な「戦前の治安維持法」の実施と同様な体制を招かない事が
先ず第1に優先されると思います。
 -----------------引用おわり---------------------


1930年代に入り、治安維持法はその膨脹期に入ります。1928年から1940年にかけての検挙者数は6万5153人にのぼった一方で、起訴者数は5397名にとどまります。
治安維持法の運用においては、起訴・裁判を通じた処罰よりも身柄拘束に重点が置かれていたことが窺えます。
また31年から33年だけでこの期間の半分を占める3万9000人が検挙されますが、その背景には外郭団体への取り締まり強化がありました。

目的遂行罪を積極的に適用して、結社罪の適用が難しい外郭団体の摘発を行っていったのです。

 
他にこの時期には、大量増加する起訴されない検挙者を対象として転向政策の充実を目指した改正も試みられました。
司法省は思想犯の社会復帰を危惧し、予防拘禁も含めた協力な転向政策の実現を企図します。
予防拘禁の導入1934年改正案の中で司法省が最も重視した点の一つでしたが、特に貴族院で異論が噴出して同条項が削除されたため、小山内相らは両院協議会を開いて衆議院貴族院の対立を先鋭化させることで法案を廃案に持ち込みます。
不本意な法案が通過するよりもあえて廃案にする道を選んだのです。



 
さらなる拡大適用の端緒となったのが、1935年の第二次大本教事件でした。
公称40万人の信者が国家主義運動に参入することを恐れた内務省が取り締まりに踏み切ったのです。
本件は共産主義活動ではなく国家主義運動に治安維持法適用された唯一の事例であると同時に、
宗教団体への取り締まりが本格化するきっかけとなりました。
予審調書では出口王仁三郎が日本の統治者になることを目的としていたとの認定がなされ、内務省は「国体変革」の罪を大本教に強引にあてはめて宗教団体に治安維持法適用する前例を作ったのです。
その後仏教系・キリスト教系の団体が幅広く摘発されていきます。
しかしながら国家主義運動を対象とした取り締まりはその本丸である右翼団体に及ぶことはありませんでした。 
各団体が「忠君愛国」を掲げて天皇制を奉じている以上、警察は限定的な指導を行うことしかできませんでした。

 
前年の1934年の改正案では国家主義運動の取り締まりが争点になっていましたが、松本警保局長が右翼思想は共産主義と異なり体系化しておらず、思想として取り締まることが難しい。
テロを起こした右翼は一時的に集まったに過ぎず(恒久的な結社ではない)一時的の現象」であると答弁するなどし、結局右翼対策は盛り込まれませんでした。
またファシズム対策の一環として、1925年の成立時に削除された「政体変革」が政党の手で再度盛り込まれる可能性もありました。
しかし筆者は、自らの合法的政治変革の可能性を守るために規制対象から「政体変革」を削除した1925年の段階の政党に対して、1930年代政党は自らをテロから守るために「政体変革」を積極的に改正案に盛り込もうとしていたと指摘し、政党凋落を如実にあらわしていると述べています。

  • ここまでのまとめ

  内務省司法省法律と現状との間に齟齬を認めると、まず拡大解釈、ついで法改正を志向することで穴を埋めようとしました。
2度に渡る改正の試みは失敗しましたが、目的遂行罪を中心とした摘発の増加により、共産党・その外郭団体共に1935年までにほぼ壊滅します。

あらたな取締対象を開拓
 1937年6月の思想実務者会同で、東京地裁検事局の栗谷四郎が、検挙すべき対象がほとんど払底するという状況になっている状況を指摘し、特高警察と思想検察の存在意義が希薄化させるおそれが生じている事に危機感を表明した。
(1935年から1936年にかけて、予算減・人員減があった)
 そのため、あらたな取締対象の開拓がめざされていった。
 
治安維持法適用対象を拡大し、宗教団体、学術研究会(唯物論研究会)、芸術団体なども摘発されていきます。

こういった適用対象の成立当初の目的を逸脱した拡大は思想検事たちも認めるところであり、だからこそ彼らは改正を志向しましたが、もはやその改正は誰かの政治的リーダーシップのもとに行われるものではありませんでした。

思想検事の一人・中村義郎は、「制度というものの通弊で、ひとりでに増殖していく」と回顧しています。

 
筆者によれば、最大の問題は政党凋落でした。1930年代の各党は政争に明け暮れ、治安維持法を制御できないばかりかそれに守ってもらおうとすらする有様でした。
また陸軍の台頭についても筆者は言及しています。
人民戦線事件の背景には陸軍皇道派の影響が指摘され、内務省陸軍との関係で運用に恣意的にならざるを得なかったのです。


*1:第1条で指定されている国体変革などの事項を目的とした協議を行うことに対し課される罪で、第1条より量刑は軽い

*2:ただし日本国内において治安維持法のみで死刑を執行されたケースは存在しない。治安維持法適用された中で起訴者が死刑を科され唯一のケースはゾルゲ事件だが、本件については治安維持法違反ではなく国防保安法違反を理由として死刑が科された

*3:もちろん無条件に発動できるわけではなく、公共の安全を保持し災厄を避ける目的であること、議会が閉会中であること、緊急の必要性があることが要件とされ、また事前に枢密院の審査を受け事後に議会の承認を受ける必要がありました

*4:学生検挙者への寛容な処置、合法的な社会運動共産主義運動の峻別、思想犯に対する取り扱いの改善

2017年1月23日月曜日

共謀罪はなぜ過去3回廃案になったのか

共謀罪はなぜ過去3回廃案になったのか
2017年01月21日 保坂展人

 今年の通常国会に提出される法案のうち、過去3回廃案となった「共謀罪」に注目が集まっています。
政府は「テロ等準備罪」と名称変更して看板をかけかえましたが、骨格も内容も以前と大きな変更はありません。
対象犯罪を676とした上で提出すると伝えられてきましたが、最近になって「対象犯罪が広すぎるので、絞り込む」という話題が出てきています。

 私は、2005年から2006年にかけて、衆議院法務委員会で野党の一員として「共謀罪」をめぐる国会論戦を担いました。
2005年は、小泉純一郎内閣が突然の郵政解散で圧勝した後で、自民・公明の連立与党は圧倒的多数の議席でした。「数の力」からすれば、3回も廃案となるという結果を予想したメディア関係者は皆無に近かった状況です。

ところが、国会で議論をすればするほどに、政府・法務省提出の共謀罪への疑問はふくらみ、自民・公明の与党側からも、たびたび修正案が国会に提出される異例の事態となりました。
「数の力」では勝敗は明らかでしたが、あまりに筋が悪い法案だったことと、今回の「カジノ法」等のような形式的な特急審議ではなく、国会論戦にふさわしい議論を許容する「品格」が、当時の与党側にも存在していたからこそ、深く掘り下げた議論ができたのだと思います。

今の私に、「共謀罪はなぜ、過去3回廃案になったのか」をテーマに、「長文の大論文」を書く時間はありません。日々の仕事のかたわらで、当時の経験をもとに、再度国会に上程される「共謀罪」(テロ等準備罪)について言えることも加えて、このブログでお伝えしたいと思います。
1年半前の2015年11月20日、朝日新聞の「天声人語」に、「共謀罪」をめぐる国会論戦が取り上げられました。

また共謀罪なのか 2015年11月20日 朝日新聞(天声人語)

目くばせとまばたきの違いを述べよ。2006年5月、国会でこう質問したのは当時の保坂展人(のぶと)衆院議員だ。法務省の局長は直接には答えず、保坂氏が代わって説明した。

「目くばせは意思の伝達行為であり、サイン。まばたきは生理現象だ」

▼珍問答に見えるが、真面目な論戦である。

「共謀罪」の新設が焦点だった。犯罪を実行しなくても、相談して合意するだけで罪に問えるようにする法案だ。

会話による相談がなくても、誰かが誰かに目くばせするだけでも共謀は成立しうる、というのが法務省の見解だった

▼先の局長はさらに、まばたきでも成立すると答えたため、保坂氏に追及されることになった。生理現象が共謀罪になるなら、人類はみな共謀罪ではないかというわけだ。人権侵害の危険性をよく表す攻防だった

▼そもそも日本では、犯罪は「既遂」での処罰が基本で、「未遂」は例外、着手前の「予備」はもっと例外だ。さらにその前段階の共謀で罪を問うのはこの原則に反するとの批判があった。政府はこれまで3回法案を出し、いずれも廃案になっている

▼パリのテロ事件を受け、自民党首脳が再び共謀罪に言及し始めた。過去の法案並みに、万引きなども含む幅広い処罰を考えるつもりか、テロ組織対策に限るのか。現段階ではわからない。いずれにせよ、性急に進めていい話ではない

▼公明党の山口那津男代表は昨日の会見で、慎重な検討を求めた。ここは自民党に目くばせをし、自制を促してほしいところだ。

この「共謀罪は一定の条件が整えば『目配せ』でも成立する」と答弁したのは、大林宏法務省刑事局長(当時)でした。
大林氏はその後、札幌高検検事長、東京高検検事長を歴任して、2010年には検察トップである検事総長に就任しています。
「目配せでも共謀罪が成立する」という大林刑事局長の答弁は、驚きと共に大きな反響を呼びました。
それまで、共謀罪における共謀は「犯罪を綿密に計画し、具体的に実行できるまで練られたもの」と説明されていました。
会話を交わさなくても、「犯罪の計画実行についての内容を犯罪組織が共有されている状況」であれば,、「目配せ」(=サイン)でも共謀罪が成立するとした答弁は、従前の理解を塗り替えたものとなりました。

(参考)→「目配せ」でも成立する共謀罪と特定秘密保護法案 - 太陽のまちから - 朝日新聞デジタル&w 2013年12月3日

「天声人語」にもありますが、刑法によって、犯罪は実行された「既遂」の段階で処罰されるのが通常で、例外的に「未遂」について処罰され、特定の重大な犯罪についてのみ例外中の例外として「予備」で処罰されます。
この手前の、犯罪を話し合ったり計画する「共謀」の段階で処罰しようという「異次元の法体系」を導入しようとしたのが、過去3回廃案となった共謀罪の内容でした。

報道では、「テロ等準備罪」と名称を変えたにもかかわらず、共謀罪を創設する「対象犯罪が広すぎる」という議論が紹介されています。まずは、この議論を追ってみます。

「共謀罪」対象676から50超減 政府原案修正、提出へ(2016年1月15日・産経新聞)
 組織的な重大犯罪の計画段階で処罰対象となる「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案をめぐり、対象犯罪を676とした政府原案を修正し、過失犯や結果的加重犯など50罪以上を除外する方向で検討されていることが14日、関係者への取材で分かった。公明党内から対象犯罪を絞るよう求める声に配慮したもので、事前に犯罪を計画できない業務上過失致死罪など50罪以上を除外する方向で法務省などが調整している。

このニュースを見た時、「対象犯罪676では広すぎるから、50に絞り込んだのか」と受けとめました。
よく記事を読めば、「676-50=626」ということでした。
例示されているように「業務上過失致死罪」の共謀罪とは、実際にはありえないことは少し考えてみればわかります。
「業務上過失」を複数人で相談・計画(共謀)した場合には、「過失を偽装した故意」であり、そもそも「過失」ではなくなるからです。
過去3回廃案となった議論の中で、とっくに明らかになっていた事柄です。さらに新たな数字が出てきました。今度は「300」です。

共謀罪:対象半減へ...犯罪300前後に 政府、公明に配慮 - 毎日新聞(2016年1月17日)
 組織犯罪の計画段階で処罰を可能とする「共謀罪」の成立要件を絞り込んだ「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法の改正案について、政府が対象犯罪を原案の676からテロの手段となり得る犯罪を中心に300前後に減らす方向で調整していることが、政府関係者への取材で分かった。対象犯罪の多さに懸念を示している公明党に配慮した形で、今後の与党内協議の行方が注目される。

300になったから、文字通り「半減」ということになります。過去にさかのぼると、3度目の廃案の後で、2007年に自民党法務部会「条約刑法検討に関する小委員会(笹川尭委員長」で、さらに「123から155」まで削減するという修正案が了承されていました。

「テロ等謀議罪」を了承/「共謀罪」修正で自民部会 | 全国ニュース | 四国新聞社 (2017年2月27日)
 「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法などの改正案の修正作業で、自民党法務部会の「条約刑法検討に関する小委員会」(笹川尭委員長)は27日、共謀罪を「テロ等謀議罪」と変更し、対象犯罪を政府案の600以上から123-155と4、5分の1程度に絞り込んだ「修正案要綱骨子」を了承した。

小委員会の早川忠孝事務局長は、修正案を来月中にも民主党側に示し、実務者レベルでの協議を進める考えを示した。継続審議となっている政府案の修正が狙いだが、参院選前の法案成立は困難視されている。

小委員会では共謀罪の名称を「テロ・組織犯罪謀議罪」と改名することで大筋了承していたが、さらに短縮。対象犯罪も修正原案では116-146だったが、傷害や窃盗などを加えた。

過去3回も、廃案になった共謀罪法案は、複数回にわたって自民・公明の与党側修正案も提示されてきました。2007年2月の段階では、対象犯罪をさらに絞り込んで「テロ・組織犯罪の謀議罪」として修正案をまとめようと自民党法務部会小委員会で決定をみたことも、記憶に刻んでいただきたいと思います。

共謀罪を創設するにあたり、国会審議に入ってみると、 対象犯罪が広すぎるという懸念を当時の与党側も有していたことがわかります。しかしながら、当時から10年後に政府がとりまとめた共謀罪を創設する「テロ等準備罪」は、676もの対象犯罪を列挙している内容でありながら、国会提出前に「50を減らす」「300まで半減」という議論が報道されること自体が、不可解でならない。
バナナの叩き売りのように、対象犯罪を減ずれば問題は解消するというほど、問題点は浅くはないと感じています。
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そもそも、共謀罪、陰謀罪はすでに限定的に存在しています。
共謀罪は爆発物取締罰則第4条、特定秘密保護法第25条第1項(特定秘密の取扱業務従事者による同秘密の漏洩等) 第2項(特定秘密を業務により知得した者による同秘密の漏洩)等にあり、
ほぼ同一の陰謀罪については、刑法第78条(内乱) 、第88条(外患誘致又は外患援助)、
第93条(私戦)、破壊活動防止法第39条(政治目的のための放火)、第40条(政治目的のための騒乱等) 等にあります。

また何らかの準備行為をともなう予備罪については、組織的な犯罪及び犯罪収益の規制等に関する法律第6条(組織的な殺人) 第10条3項(犯罪収受等隠匿)、
銃砲刀剣類所持等取締法第31条2(けん銃・小銃・機関銃又は砲の輸入)、航空機の強奪等に関する法律第3条(航空機強奪等)、
化学物質の禁止及び特定物質の規制等に関する法律第40条(化学兵器の使用等)、
41条(化学兵器の製造)、サリン等による人身被害の防止に関する法律第5条第3項(サリン等の発散)、
41条(サリン等の製造等)、放射線を発散させて人の生命等に危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律第3条第3項(放射性物質の発散等)、
第6条第3項(特定核燃料物質の輸出入等)...。
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およそ「テロ」に関連するのではないかと考えられるすでに存在する共謀罪・陰謀罪・準備罪を列挙してみました。ところが、法務省によるとまだ「穴」があるといいます。
「例えば人身売買、詐欺(刑法)、航空機の危険を生じさせる罪(航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律、人質による強要などの罪(人質による強要行為等の処罰に関する法律)、営利目的の覚醒譲渡(覚せい剤取締法)には、予備罪、共謀剤等が設けられていない」と指摘していると聞きます。
テロに関連して現存する共謀罪・陰謀罪・予備罪に穴があると認められるなら、その穴をふさぐ立法措置をしてはどうでしょうか。

金田法相、テロ等準備罪「一般人は対象とならない」(TBSニュース2017年1月20日)
 テロなどの組織犯罪を計画した段階で処罰の対象となる「共謀罪」。その構成要件を厳しくした「テロ等準備罪」を新設する法案について、金田法務大臣は「一般の人が対象になることはあり得ない」と強調しました。

「一般の方々が対象となることはあり得ない」(金田勝年法務大臣)

これまでの「共謀罪」から名前を変え、構成要件を厳しくした「テロ等準備罪」。「共謀罪」は、集団で重大な犯罪を行うことを合意した段階で罪になるというもので、過去にも複数回、国会に関連法案が提出されましたが、全て廃案となりました。

「適応対象となる団体をテロ組織、暴力団、薬物密売組織など組織的犯罪集団に限定」(金田勝年法務大臣)

今回、政府は、対象者を限定した上で、さらに対象とする罪も絞り込むことも検討しています。

政府は、こうした説明を繰り返して、「ああテロ対策を厳重にする法案で、一般の人とは無縁のものだ」という印象を広げようとしています。
「いやいや問題がある法案」だと疑問を投げかけると、「テロ対策に反対するのは、どうしてなのか」という声も出てくることでしょう。
過去3回、廃案になった共謀罪を看板替えして、「テロ等準備罪」として国会提出するのであれば、立法目的は「テロ対策」であるはずですが、これまで見てきたように、ほとんどのテロ行為を実行段階の手前の共謀、予備、準備等で処罰する法律はすでに存在し、
あえて「穴」があるとすれば、そこに限って立法措置をするべきだと思います。
これで、「テロ対策」は強化されるはずですが、政府は、こうした選択肢をとらずに「676の対象犯罪」に包括的な共謀罪を設ける過去3回廃案となった法案と同じ体系で国会提出を進めています。

実は「テロ等準備罪」という名称の本質は、「テロ」ではなく「等」に込められているのではないでしょうか。
「テロ対策」であれば、なぜ「テロ準備罪」とすっきりと呼べないのでしょうか。
「テロ」の後に「等」をつけることで、
「テロ対策」以外の「等準備罪」と呼ぶ広い範囲で共謀罪を成立させておきたいという意図はないでしょうか。

かつての国会論戦を思い起こすと、そもそも、日本には「共謀罪」を必要とするような社会状況(立法事実)はないというのが、法務省の説明です。
それでは、なぜ共謀罪を創設するのかと問えば、国際組織犯罪条約を批准するためには共謀罪が必要だからだという説明が、かつても今も繰り返されています。

ところが、国際組織犯罪条約はテロ対策ではなく、薬物取引やマネーロンダリング(資金洗浄)の組織犯罪対策を目的としています。
すでに、187の国・地域がこの条約を批准していますが、条約締結のために国内法で共謀罪を創設した国はどのぐらいあるのでしょうか。

「共謀罪」新設、2国だけ 外務省説明、条約締結に必要なはずが:朝日新聞 2017年1月20日

 犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を変えた「テロ等準備罪」を新設する法案をめぐり、外務省は19日、他国の法整備の状況を明らかにした。政府は「国際組織犯罪防止条約の締結のため、国内法の整備が必要だ」としているが、すでに条約を結ぶ187の国・地域のうち、締結に際して新たに「共謀罪」を設けたことを外務省が把握しているのは、ノルウェーとブルガリアだけだという。

民進党内の会議で外務省が説明した。英国と米国はもともと国内にあった法律の「共謀罪」で対応。フランス、ドイツ、イタリア、ロシア、中国、韓国は「参加罪」で対応した。カナダはすでに「共謀罪」があったが、条約の締結に向けて新たに「参加罪」も設けたという。

民進党は187カ国・地域の一覧表を出すよう求めていたが、外務省の担当者は会議で「政府としては納得のいく精査をしたものしか出せない。自信を持って説明できる国は限られている」と述べた。

政府はこれまで、条約締結のためには「共謀罪」か、組織的な犯罪集団の活動への「参加罪」が必要だと説明してきた。20日召集の通常国会に法案を提出する方針だ。(金子元希)

国際組織条約のために国内法を整備した国は、わずかであることがわかります。新たに「共謀罪」を創設しなくても、国際組織条約を批准することができるという見解が、日本弁護士連合会の「共謀罪新設に関する意見書」(2006年9月)で述べられています。

わが国においては、組織犯罪集団の関与する犯罪行為については、合意により成立する犯罪を未遂前の段階で取り締まることのできる処罰規定が規定され、整備されているのであり、新たな立法を要することなく、組織犯罪の抑止が十分可能な法制度は既に確立されている。

したがって、政府が提案している法案や与党の修正試案で提案されている共謀罪の新設はすべきでない。それでも犯罪防止条約を批准することは可能である。

10年の歳月を経て、かつての国会論戦を思い起こしながら書き出したら、次々と「書くべきこと」が連なってしまいました。まもなく、10年ぶりの本格的な国会論戦が始まりますが、さらに必要な論点があれば次の機会に記したいと思います。3回廃案になったのは、相応の理由があるということを御理解いただけたでしょうか。時間の関係で、すべてを書くことはできませんでした。以下の書籍も参考にしていただけたら幸いです。

(参考)

共謀罪については、新刊で私も共著者となった『共謀罪なんていらない』(合同出版) と、3回目の廃案となった国会論戦の直後に書いた『共謀罪とは何か』(2006年10月・岩波ブックレット)が出版されています。新刊本で私の書いた部分と、10年前のブックレットは一部重複していますが、どちらかをお読みいただけたら幸いです。

日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)

1945年
 占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される

1945年10月4日、
 マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
 すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした

 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。

「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
http://sightfree.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)

同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。

また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。 


2016年12月22日木曜日

社説[辺野古訴訟 最高裁判決を受けて]

社説[辺野古訴訟 最高裁判決を受けて]
2016年12月21日 沖縄タイムス

 「辺野古違法確認訴訟」の最高裁判決が20日言い渡され、県の上告が退けられた。
米軍普天間飛行場の辺野古移設を巡る問題は、この20年で最大かつ重大な局面を迎える。社説特集を掲載します。

[県敗訴の構図]地方自治の精神ないがしろ

 「辺野古違法確認訴訟」で県側敗訴が確定した。福岡高裁那覇支部の判決を最高裁がほぼ追認した。

 戦後70年余りも、米軍基地から派生する事件・事故の被害にさらされ続けている歴史を一顧だにしないばかりか、今後も基地負担を強いることを意味する中身だ。
地方自治の否定もあからさまである。最高裁も沖縄の声を封じ込めた。

■     ■

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、国が県を訴えた「辺野古違法確認訴訟」で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は20日、翁長雄志知事の「承認取り消しは違法」と指摘し、県側の上告を棄却した。4裁判官の一致した結論だった。

 翁長知事は、埋め立て承認の取り消し処分を取り消す手続きに入る。

 だが、来年3月に期限が切れる埋め立てに必要な海底の岩礁破砕許可や、埋め立て区域内から区域外へ移植するサンゴの採捕許可、工事の設計・工法の変更に伴う審査など知事権限を最大限行使して新基地建設を阻止する考えだ。

 一方、国は今年3月、県と和解が成立して以来、工事がストップしていることから再開を急ぐ方針だ。
菅義偉官房長官は「日本は法治国家である。確定判決に従い、県と協力して移設工事を進めていく」と語る。
徹底抗戦の構えの翁長知事をけん制するが、対立が続くことは間違いない。

■     ■

 最高裁は判決で、辺野古新基地の面積が普天間飛行場と比較して相当程度縮小されることや、環境保全対策が取られているなどとして、前知事の判断に「不合理な点はない」と認定した。
高裁判決を踏襲するものだ。
だが面積を減らせば基地の負担軽減につながるわけではない。
辺野古新基地には2本の滑走路が設計され、普天間にはない強襲揚陸艦が接岸できる岸壁や弾薬搭載エリアが新設される。
耐用年数200年といわれ、沖縄は半永久的に基地の島から逃れられない。

 県は辺野古新基地の建設を強行することは憲法92条の地方自治の本旨(沖縄県の自治権)を侵害し憲法違反として上告していた。
最高裁は今月12日付で棄却している。
国と地方公共団体との関係が「上下・主従」から「対等・協力」に大転換した1999年の地方自治法改正後、初めての訴訟である。
最高裁が審理せずに棄却したのは改正の精神をないがしろにしていると言わざるを得ない。

 米軍基地は日米地位協定によって米軍の排他的管理権が認められ、国内法が及ばない。

 沖縄では米軍絡みの事件・事故では「憲法・国内法」の法体系が「安保・地位協定」によって大きな制約を受けているのが現実なのである。
基地内の事故や環境調査もままならず、自治権が侵害されるケースは枚挙にいとまがない。

 米軍絡みでは民間地も同じだ。オスプレイが名護市安部に墜落した事故で、住民の生命や生活、人権を守る責務を負わされている名護市のトップである稲嶺進市長が現場に近づくことができず、県が水質検査をすることができたのは6日後である。
2004年の普天間所属の大型ヘリコプターが沖縄国際大に墜落、炎上した事故で警察や行政が米軍が張り巡らせた規制線から排除されたことと何も変わっていない。

■     ■

 最高裁が審理するのは憲法違反や法令・判例違反に限られることから、事実認定としては高裁判決が確定する。

 高裁判決は「普天間の被害を除去するには辺野古に新施設を建設する以外にない」としたり、北朝鮮の弾道ミサイル「ノドン」をことさら取り上げ、射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部などと国の主張をなぞるように「地理的優位性」を強調して批判を浴びた。
最高裁判決はこれらに触れなかった。

 最高裁が弁論を開かず判決を言い渡すことを決めたからである。とても納得できるものではない。

[民意の軌跡]差別的処遇への不満広がる

 2012年秋、県企画部が実施した県民意識調査で、在日米軍専用施設の約74%が沖縄に集中する現状に、7割を超える人たちが「差別的だ」と回答した。

 普天間飛行場にオスプレイが強行配備された時期と重なるこの調査以降、「差別」という言葉が沖縄の基地問題を語るキーワードとして頻繁に使われるようになった。

 同じころ実施されたNHK放送文化研究所の沖縄県民調査からも、基地の過重負担を問う民意を読み取ることができる。

 県民の基地に対する考え方を1992年と2012年で比較すると、「全面撤去」と答えた人が34%から22%に減った半面、「本土並みに少なく」は47%から56%に増えている。

 普天間飛行場の辺野古移設を巡って顕在化してきたのは、沖縄だけに基地を押しつける差別的処遇への怒りであり、日米安保の負担の適正化を求める声だった。

 新基地建設に反対する県民世論の基調は、10年ごろから変わっていない。

 本紙が朝日新聞と琉球朝日放送(QAB)と共同で実施した15年の県民意識調査では、辺野古移設は「反対」が66%を占め、
「賛成」の18%を大きく上回った。

 「辺野古が唯一」だと繰り返す政府の説明の欺瞞(ぎまん)性を見抜き、基地と振興策をリンクさせる手法にも「ノー」を突き付け、不公平な負担の解消を求めてきたのだ。

 「新基地建設は許さない」との民意は、選挙でも示され続けた。

 端的に表れたのは14年の名護市長選、県知事選、衆院選沖縄選挙区、今年に入ってからの県議選、参院選沖縄選挙区だ。

 県知事選で保革双方から支持された翁長雄志氏が現職に10万票近い大差をつけて当選したのは、住民意識の変化を決定づけるものだった。

 辺野古違法確認訴訟の高裁判決に「新施設の建設に反対する民意には沿わないとしても、普天間飛行場などの基地負担の軽減を求める民意に反するとはいえない」と都合よく解釈した一文がある。

 新基地に反対する民意と基地負担の軽減を求める民意は一つだ。民意を無視した負担軽減もあり得ない。

 県民の揺らぐことのない意思は、人権や自己決定権をないがしろにされてきた歴史、しまくとぅばの復興など沖縄らしさを大切にする動きとも共鳴し合っている。

 一人一人の心の奥底から発せられる「新基地ノー」の声は簡単には変えらないし、戻ることもない。

[環境と埋め立て]貴重生物の悲鳴が聞こえる

 湾内に広がるサンゴの森では、カラフルな魚たちが泳ぎ回り、干潟ではトカゲハゼが跳びはねる。浅瀬にはジュゴンの餌となる海草が生い茂り、湾奥にはマングローブ林が延びる。

 辺野古の大浦湾一帯は、琉球列島に広がるサンゴ礁生態系の中でも、特に生物多様性が豊かな地域である。

 埋め立てが進み新基地が建設されれば、私たち「島人(しまんちゅ)の宝」である美しい自然の一つを失うことになる。

 昨年7月、環境問題などの専門家からなる県の第三者委員会は、埋め立て承認までの手続きに「法的瑕疵(かし)があった」とする報告書をまとめた。翁長雄志知事の埋め立て承認取り消しは、これを受けたものだ。

 131ページもの詳細な検証結果の半分以上をさいたのが「環境」の項目である。
報告は国の埋め立て申請が辺野古の海の重要性を低く評価し、環境保全策が科学的に実効性あるものになっていないことなどを厳しく指摘する。

 国の天然記念物ジュゴンの保護策一つをとっても不備は明らかだ。
国はジュゴンが「辺野古地先を利用する可能性は小さい」としたが、実際は環境団体によって多くの食(は)み跡が確認されている。
海草藻場についても移植などによる保全措置を講じるとするが、その技術はいまだ確立されていない。

 そもそも辺野古アセスはオスプレイ配備を最終段階までふせるなど、専門家から「史上最悪」と言われるほど問題が多かった。

 2012年初め、沖縄防衛局が出したアセス評価書に対する仲井真弘多前知事の知事意見は579件にも及んだ。
「評価書で示された措置では環境保全は不可能」と断じたのだ。

 翌年11月、補正後の評価書に対して県環境生活部が出した意見も48件に上った。
現状では基地から派生する環境問題に日本側が対応できないことなども挙げ「懸念が払拭(ふっしょく)できない」と結論づけた。

 仲井真氏が埋め立てを承認したのは、それからわずか1カ月後。
承認に至る経過は著しく透明性を欠き、正当性にも疑義が生じるものだった。

 新基地予定地は、県の自然環境保全指針で厳正な保護を図る「ランク1」に指定され、環境省の「重要海域」に選定された地域である。

 基地のない地域では自然を守ることが優先されるのに、沖縄では県や国の環境政策との整合性を保つことさえできない。

 私たちが100年後の未来に残したいのは豊かな自然である。米軍基地建設のため「宝の海」を埋め立てるのは最もやってはいけない愚行だ。

[新基地建設の行方]私たちの反対は変わらない

 日米両政府が米軍普天間飛行場の移設条件付き返還に合意してから今年で20年。新基地建設問題は大きな曲がり角を迎えている。

 最高裁で敗訴したことを受け、翁長雄志知事は週明けにも、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消し処分を取り消す意向を明らかにした。

 行政の長として最高裁判決を厳粛に受け止めるのは当然であるが、判決によって新基地建設問題に決着がついたわけではない。
「ジ・エンド」(物事の終わり)だと考えるのは早計だ。

 この問題は最高裁の判決ですべてが解決するほど単純でも簡単でもない。
翁長知事をはじめ多くの県民が新基地建設に反対し、公正・公平な基地負担を実現せよ、と道理にかなった主張を展開しているからだ。

 法的には仲井真弘多前知事の埋め立て承認が「適法」とされたが、政治的には依然として埋め立て承認「ノー」の民意が大勢を占める。

■     ■

 この問題を強権的暴力的に解決しようとすれば、嘉手納基地を含む基地撤去運動に発展するのは必至だ。
政府は復帰前のコザ暴動から学ぶべきである。

 政府は22日、北部訓練場の返還式典を開く。
翁長知事は政府主催のこの式典には参加せず、米軍オスプレイ墜落事故に抗議する「オール沖縄会議」主催の集会に参加することを明言した。

 この決定は、国と県の今後の関係に甚大な影響を与えずにはおかないだろう。

 翁長知事の怒りを読み間違えてはならない。保守政治家を自認し、安保体制容認を公言する翁長氏をここまで駆り立てたものは何か。

 米軍属による女性殺害事件が発生したのは今年4月のことだ。
7月には東村高江の北部訓練場でヘリパッドの建設工事が強行され、
9月には垂直離着陸攻撃機AV8Bハリアーが本島東沖に墜落した。

 そして、オスプレイの墜落、大破。
米軍は詳細な事故原因が究明されていないのにオスプレイの訓練を再開した。
ハリアーの時もそうだ。

 軍の論理だけを優先し、住民の不安をそっちのけに訓練を再開する米軍。
住民を守る立場にありながら、米軍を引き留めるのではなく、訓練再開に理解を示した政府。

 両者に共通するのは、県民不在の態度だ。翁長知事がいつにも増して激しい口調で怒りをぶちまけたのは、こうした現実に対してである。
その思いを多くの県民が共有しているといっていい。

 県民の失望と怒りを軽く見てはいけない。翁長知事を追い込んではならない。

■     ■

 米兵による暴行事件に端を発した沖縄からの異議申し立てを受け、日米特別行動委員会(SACO)は1996年4月、在沖米軍基地の整理・統合・縮小計画を盛り込んだ中間報告を発表した。

 「新たな基地建設を伴う返還はしない」というのが防衛庁(当時)の基本的考えだった。
普天間飛行場については、代替施設として「基地内」に「ヘリポート」を整備することが盛り込まれた。

 当初は辺野古などという話はなかったのである。

 政府は、負担軽減と危険性除去を強調する。普天間の固定化を防ぐために辺野古の代替施設が必要なのだと、政府は言う。

 その主張はあまり説得力がない。危険性除去を優先するのであれば、新基地建設を断念し、別の選択肢を探るのが近道だ。

 代替施設が完成するまで数年以上かかるといわれる。
オスプレイの墜落事故を経験した住民に、それまで辛抱しなさいというのか。
その間に事故が起きないことを政府は保障できるのか。

 米政府高官が指摘したように、沖縄への基地集中は異常である。あまりにも小さな島に、多くの卵を詰め込み過ぎる。
戦後ずっとこの状況が変わらないというのは政府と国会の怠慢である。



(当ブログのコメント)
 民意に対するこの対応と似た対応をした政府が過去にありました。
米騒動と治安維持法(共謀罪)


1918年に起きた米騒動

とりあえず流れを全体的に説明してみます。

 まず、米騒動が起きた根本的な原因は、第一次世界大戦中の1917年に起きた「ロシア革命」です。
ロシア革命は労働者や兵士の反対から起こりました。
何故革命が起きてしまったのかというと、ロシアの独裁的な帝政や長く続く大戦継続に反対しているものが多かったからです。
「レーニン」率いる「ポリシェヴィキ党」が中心となって起こされたこの革命の結果、ソビエト政権が誕生し、ロシアは「ソビエト連邦」に改名、いわゆる「ソ連」へと変わりました。
この「ソビエト連邦」は「世界ではじめての社会主義国家」として全世界を仰天させました。
ロシア革命後、ソ連はそれまで敵であった、ドイツ・オーストリアと「ブレスト=リトフスク条約」という単独講和を結んで、大戦から離脱しました。

 さて、このロシア革命が起きたときの日本の首相は誰だったのかというと、それは「超然内閣」を組織した「寺内正毅」でした。
寺内正毅はこの「ソ連」に対して非常に危機感を抱いていました。
というのは、当時社会主義者というのは国家を転覆するテロリストのような認識があったのです。 

だから、日本もこれまで社会主義を徹底的に弾圧をしてきました。
このような社会主義国家が誕生してしまったら日本にいる社会主義者の勢力も高まってしまうと恐れたのです。
そこで、寺内はそのロシア革命を干渉するために列国(アメリカ・イギリス・フランスなどが中心)と共に1918年に「シベリア出兵」を行いました。
日本や列国が兵を送ることで、革命を邪魔しようと考えたのです。

ところが、そんなことを表向きにしたら当然レーニン率いるロシア国民が大激怒してしまいます。
そのため、「チェコスロヴァキア」軍の救出ということを名目にシベリアに兵を送ったのです。

 さて、ここからが米騒動の大きな原因となります。
日本では「シベリア出兵」を行った結果、米価が急増しました。
なぜかというと、出兵した兵たちの食糧を目的に国が大量の米を買い上げようとしたからです。
では、米を大量に買うと分かっている商人たちは何を考えるでしょうか?
「政府は兵士のために大量に米を買おうとしている。
ならばちょっとくらい値上げをしても買い上げてくれるだろう」と考えたはずです。
そのため、商人たちが米の値段を上げて、米価が急増したのです。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1

(参考:米価高騰の影響)
 江戸幕府が滅ぶ原因になった日米修好通商条約によって、日本が輸出する生糸、茶、蚕卵紙の生産が追いつかず(輸出超過で良く売れ経済が良くなったと思われた)、
 一方で、国内向けが品不足になり、米の値段を含む物価が高騰し貧困層が増加しました。 

(このグラフは「米一俵(60kg)の価格の推移」のページのデータをグラフ化しました)

  もちろん、その影響は普通の一般市民にも及びます。
特に主婦のみなさんにとってはいい迷惑ですよね。
「昨日まで3000円だったのに、今日になった途端6000円に上がってる!どないやねーん!」と思ったはずです。
そこで、富山県の漁村の女性が起こした「越中女一揆」というのが起こりました。

「米騒動」は、この漁村の「越中女一揆」がきっかけで運動が全国規模に広がったという説があった。
しかし、その後の研究が進んだ結果、米騒動は、少なくとも「富山湾沿岸地帯」から始まったものであり、
「漁村から始まったのではない」、
米騒動の主体は「海運・荷役労働者の家族、
「都市漁民」の前期プロレタリアである等と、
従来の「漁村から開始説」が改められた。


そして、全国の都市民衆・貧農・被差別民が、商人たちを襲うようになりました。
そして、寺内内閣はこの騒動を「軍隊」を使って鎮圧したのです。

 で・す・が、ここで「あれ?」と思いませんか?どうして寺内は軍隊を使って鎮圧をした。
これはあまりにも理不尽だと思いませんでしょうか?

そもそも何故、米騒動が起こったのかというとその原因は先ほども説明したとおり商人たちが利益を目先に米価を上げたから、もっと深い原因まで行けば、政府が大量に米を買い占めようとしたからではないでしょうか?

つまり、米騒動の根本的な原因は「政府自身」にあったのにも関わらず、政府はそんなことを省みず暴力で無理矢理鎮圧したのです。
超然主義ならでのやり方ですね。
当然これには民衆は大激怒します。
この結果、寺内内閣は民衆からの信用を一気に失い、寺内内閣は総辞職という形を取らざるえなくなったのです。

-日本の、「科学を論じないしきたり」の歴史的背景-
戦時体制下における教育思潮
から引用。
 


1917年(大正6年)から1918年(大正7年)という時期は、
第一次大戦(~1918年)の好況に社会の一部は潤いながらも、
米をはじ めとした物価は高騰を続けた。


1917年ロシア革命
 この革命の影響で、社会主義運動が急激に広まっていった。


(1)米騒動(1918年)
  米騒動の根本的な原因は「政府自身」にあったのにも関わらず、政府はそんなことを省みず暴力で無理矢理鎮圧した。
(2)小作争議(1922年~)
(3)労働争議(1921年3万人の争議)(1922年~)
など、
社会全体が大きな動揺をしていた。
 また、 

(4)河上肇の個人雑誌『社会問題研究』や山川 均等の『社会主義研究』等により社会主義運動が活発化した。

(当ブログのコメント)江戸時代では、百姓一揆を弾圧し首謀者を見せしめに処刑していたが、大正時代の政府は小作争議に対しては、問題を根本的に改善する農地改革の知恵を出した。
 しかし、労働争議に対処する知恵は出さなかったように思います。

1917年(大正6年)9月20日に、
 政府は、このような不穏な空気を抑えるイデオロギー的統制を強めるために
岡田文相が、官制1)を公布して、
内閣に直属する諮問機関の「臨時教育会議」を設置した
そこでは、
「大戦による思想上の変動に対して国民道徳を徹底させ、国体観念を強固にするという国家主義的な方針」
が審議された。

 この臨時教育会議は文教施策を確立するために,従来においては見られなかった大きな組織をもって発足した。
同会議の委員には,総裁の平田東助,副総裁の久保田譲,その他,教育専門家,学者,政治家,産業界代表者,官省および軍代表者など三十六名が任命され、戦後の教育方策を樹立するための基本方針を審議して答申することとなった。

 寺内首相は,その主要目標の中で、国民教育の全般を通じて徳性,智能、身体の教育をなし,護国の精神をもつ忠良なる国民を育成することに務めなけばならないとした。
このためには,実科教育,高等教育の検討を必要とすることが挙げられている。

 この会議は1917(大正6)年10月から1919(大正8)年3月までの間に,九つの問題についての諮問に詳細な答申がなされている。
 それは,小学教育,男子の高等普通教育, 大学教育及び専門教育,師範教育,視学制度,女子教育,実業教育,通俗教育,学位制度であった。
 教員養成制度についても新たな方策が要望された。

 教育内容については,実科教育尊重の思想から実務生活に生徒の学習を適応させる方針が立てられた。
これらの主要な方針が答申されたが,1918(大正7)年から引き続き昭和初年にかけて,臨時教育会議の諸方策が,実現されることとなった。
 大正後半年から昭和20(1945)年に至る間の教育制度の基本となる体制は,臨時教育会議の答申の線に沿って決定された。

 第一次世界大戦(~1918年)後の日本の社会教育の分野の制度化が広く進められて、文部省の文教行政が学外にまで拡充された。

1917年(大正6年)7月、国柱会の機関誌『国柱新聞』182号が、「安寧秩序を乱す」との理由で、内務省から発売禁止の処分を受けた。

(本来は国家主義的なメディアまでもが発売禁止処分を受けた。)


1919年から27年まで、
 日本の工業生産の増加率は欧米諸国を越えていたのであるが,
このような工業発展は,中国市場を中心とする国際的進出と,国内における労働条件の低水準維持策とによって,一応支えられていたのであった。


1919年には、コミンテルンが成立し、共産主に基づく世界革命の可能性が現実味を帯びていきました。
 このような状況に対して、原内閣は社会主義団体の監視強化、労働運動に対する融和、そして思想善導といった対策を実施しますが成果は乏しいものでした。

1921年には、その手詰まり感を背景として、過激社会運動取締法案が検討されるに至った。
 この法案は、共産主義者による国内での思想宣伝行為に対処することを目的として成立が企図されたが、法案があいまいであったので廃案となった。
 しかしこのような失敗は、まさに治安維持法成立のために必要な条件と表裏一体であり、法案からあいまいな文言及び宣伝罪を排し、内務省と司法省が協力し、両院を説得し、1925年に治安維持法を成立させるに至った。

1922年に、非合法(治安警察法違反)の党として日本共産党創立された。

1923年9月1日、関東大震災: 震災直後に緊急勅令で治安維持令が公布された。

1923年に、日本共産党の大検挙。 

1924年、全国高校で、社旗禁圧・暴圧反対運動。
1925年、一高・三高の研究会解散命令に対する学連の抗議運動。 


1925(大正14)年、政府は大正中期以降の反体制運動の高揚に対して,普通選挙法と治安維持法を制定した。
治安維持法制定当時、政府は「慎重に運用」「一般国民とは関係ない」と説明した。


《2015年現在の状況は、1925年当時の状況と類似している。2015年施行の「秘密保護法」「集団的自衛権関連の法律」が1925年の「治安維持法」に対応すると思われる。》

1925年末から1926年初め、京大生を中心とする治安維持法・出版法違反事件がおきた。


1927年:日本での「金融恐慌」

1928年6月には,治安椎持法が改正された。
---------補足-----------
・1928年の治安維持法の改正の趣旨
 この時の改正は2つの目的を持っていました。
①一つは結社罪の最高刑を死刑としたこと*2
②もう一つは目的遂行罪(結社に加入していなくても、国体変革等を目指す結社の目的に寄与する行動を罰するもの)の設定でした。
 特に後者について、改正後に拡大適用されて猛威を振るうことになります。

 この改正(改悪)は、政権や公安警察にとって不都合なあらゆる現象・行動を治安維持法違反にしたという意味を持つ
---------補足おわり------
 
第1の思想弾圧事件(3.15事件)

 1928年3月15日:第一回普選(1928年2月)での無産政党(共産党)の進出に脅威を持った政府は,選挙直後の3月15日,全国いっせいに日本共産党・労農党・労働組合評議会・無産青年同盟の関係者を多数検挙し,さらに労農党以下3団体の解散を命じた。(3.15事件)
(逮捕者の中に学生150名が含まれていた)


治安維持法違反被疑者の弁護人も逮捕される
 3・15事件の弁護人のリーダー格となった布施辰治は、大阪地方裁判所での弁護活動が「弁護士の体面を汚したもの」とされ、弁護士資格を剥奪された。
 さらに、1933年(昭和8年)9月13日、布施や上村進などの三・一五事件、四・一六事件の弁護士が逮捕され、前後して他の弁護士も逮捕された。
 日本労農弁護士団事件》1933年9月~11月,日本労農弁護士団に属する左派系弁護士30人が検挙された。
 その結果、治安維持法被疑者への弁護は思想的に無縁とされた弁護人しか認められなくなり、1941年の法改正では、司法大臣の指定した官選弁護人しか認められなくなった。

1928年7月には,内務省に保安課が新設され,思想取締まりにあたる特別高等警察を全国に設置し,憲兵隊に思想係を設置するなど,その権力は思想にまで介入することになり,反体制運動への弾圧が強化されたのであった。

1928(昭和3)年12月1日,政府は教学振興・国体観念養成を声明して,「思想善導(青少年健全育成)」への方向で,翌29年8月に,文部省は教化総動員の運動を企画し,これを全国的規模で推進した。

(当ブログのコメント:思想善導は、現代の日本の青少年健全育成に対応する概念です。)


  この教化総動員を打ち出すにあたって,文部官僚の危機感は,思想国難,経済困難として表現されている。 教化総動員は,田中内閣に変わって,1929(昭和4)年7月に成立した浜口民政党内閣の施政方針にしたがうことになった。 それは、 一方で,共産党以下反体制運動を抑圧し, 他方で,金融恐慌後の経済危機を克服しようとする, 資本の産業合理化を支援する経済緊縮政策を援助するために, 政府(権力)の支配下にある全官僚・団体の機構を総動員して展開した一大教化運動であった。

★1928年に、文部省内に学生課(後の1934年の「思想局」の前身)を設置し、組織的に学生の思想を取り締まった。
その業務は:
「一 内外における社会思想の調査研究に関すること」
「二 学生生徒の思想の調査研究に関すること」
「三 学生生徒の思想的運動に関すること」
「四 その他、思想問題に関する調査研究に関すること」
であった。

1929年3月:国会議員の山本宣治(死後に共産党員に加えられる)が、国会で思想善導(「青少年健全育成」に対応する)について質問した後の3月5日に暗殺された。

(当ブログのコメント:思想善導は、現代の日本の青少年健全育成に対応する概念です。

 また、戦後の日本政府は、(弾圧した国民の復讐を恐れ)、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした
(1945年10月4日、GHQから治安維持法の廃止を要求された東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した)
 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。)

第2の思想弾圧事件(4.16事件)

1929 S(4)4.16事件
・3.15の思想弾圧後に再度、全国規模で全国一斉検挙 700名検挙
 報道禁止されていた
・知識階級の子弟が多く支配者層はショック
・共産党にとっては壊滅的な打撃 活動は以後地下にもぐる
・日本軍の山東出兵反対運動主流派逮捕される
・1929.11.5 新聞報道を解除し「共産党事件」と発表
・幹部党員には無期懲役などの重い刑

1929年に、文部省内の学生課を学生部に昇格させ(後の1934年の「思想局」の前身)、学生の思想の取り締まりを強化した。

1930年:世界恐慌(1929)の影響により、日本が「昭和恐慌」に入り経済が危機的状況に陥る。

1931(昭和6)年:満州事変

第3の思想弾圧事件(司法官赤化事件)

1932年:司法官赤化事件:
 1932年11月12日、東京地方裁判所の判事・尾崎陞が日本共産党員であるとして、治安維持法違反により同地裁の書記4人とともに逮捕された
翌1933年2月から3月にかけては 
長崎地方裁判所の判事と雇員各1人
札幌地方裁判所の判事1人
山形地方裁判所鶴岡支部の判事と書記各1人
も相次いで逮捕された
 逮捕された9人の容疑内容はいずれも
研究会を開いた
カンパに応じた
連絡を取り合った
などの行為だったが、
日本共産党の目的遂行のためにおこなった行為とみなされ、全員が有罪判決を受けた。

(これらの行為は、政権や公安警察にとって不都合なあらゆる現象・行動を罰する治安維持法の逮捕要件を満足する) 

これらは、共謀罪の逮捕要件 を、満足する。


第4の思想弾圧事件((長野県と)全国教員赤化事件)

1933年 2月4日:
 長野県で教員が思想問題で多数(66校、230名)検挙される(長野県教員赤化事件)。
 この事件を契機に、全国各地で同様の弾圧が行なわれ、1933年12月までに岩手県、福島県、香川県、群馬県、茨城県、福岡県、青森県、兵庫県、熊本県、沖縄県で多数の教員が検挙された。

第5の思想弾圧事件(滝川事件)
1933年:滝川事件
 1933年3月になり共産党員およびその同調者とされた裁判官・裁判所職員が検挙される「司法官赤化事件」が起こった。
 この事件をきっかけに、5月26日、文部省は文官分限令により
京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授の休職処分を強行した。
滝川の休職処分と同時に、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示した。


 この様に、日本の戦前には、共謀を罪に定める共謀罪が猛威を振るっていました。
 以上の共謀罪の猛威の例はほんの一部の抜粋です。詳しくは、日本の治安維持法の歴史を自分で調べて学んでください。

(当ブログのコメント)
母子家庭の原因の離婚の原因は貧困
を参照。

http://sightfree.blogspot.jp/2012/10/1995.html
(家計の金融行動に関する世論調査:2人以上世帯調査)時系列データ(問2(a))

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/rikon10/01.html

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000026271631
厚生労働省の毎月勤労統計調査の統計表一覧、季節調整済指数及び増減率11(実質賃金 季節調整済指数及び増減率、現金給与総額(5人以上))から(1月-3月)データを抽出

http://www.stat.go.jp/data/gousei/soku10/zuhyou/1s.xls
総務省統計局家計消費指数 結果表(平成22年基準)の、総世帯の家計消費指数のデータから、実質家計消費指数を抽出

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa14/index.html

(貧困家庭が離婚し母子家庭になると考えられる。離婚しなかったらもっと貧困。)
http://www.jil.go.jp/press/documents/20150630.pdf

 先進国の北欧をはじめとするヨーロッパでは、大学の授業料が無料というだけでなく、大学生に生活費が支給されます。つまり、大学に行きたい人は誰でも生活が保障されて通学することができるのです。 

 それに対して、最近の日本では:
(1)安倍晋三政権は2013年から、貧困層への生活保護基準引き下げ(保護費削減)を実施。
(2)来年度(2015年)は子育て給付金中止、低所得者向けも圧縮ですって。 
(3)「無料塾」継続困難に 来年度(2015年)から国の補助減
琉球新報 9月5日(金)配信
(4)生活保護世帯の学習支援事業 2015年度から国庫補助半減

(5)生活保護のうち家賃として支払う「住宅扶助」について2015年度から引き下げ、2017年度には2014年度と比べ約190億円減額する。
(2015年度予算で食費など生活費に充てる「生活扶助」の約260億円減額も決まっている。そのため、2015年度は実質では計約320億円の減額となる。)
(6)東京都渋谷区が,年末年始の貧困者への炊き出し(食事の提供)をさせないことを目的に宮下公園など3公園を閉鎖

(7)防衛費、補正予算倍に 「経済対策」名目に拡充(2015年1月8日)
 アメリカでは、「徴兵制はいらない。貧困があるから」と言われていて、まさに国家規模の「貧困ビジネス」が戦争になっているわけです。 
(コメント終わり)

日弁連は共謀罪に反対します(共謀罪法案対策本部)

1945年
 占領軍の指揮官のマッカーサーは、日本の徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、日本の改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される

1945年10月4日、
 マッカーサーから治安維持法(共謀罪)の廃止を要求された日本の東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した。
 すなわち、日本の支配層は、敗戦後に、弾圧した国民の復讐を恐れ、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした

 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法(共謀罪)も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。

「児童を保護するため」と言った児童ポルノ規制法は、実際は、
「児童ポルノ単純所持罪は児童を逮捕するための法律かも」
でした。
http://sightfree.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
(このグラフの元データは、警察庁の生活安全の確保に関する統計のうち、「平成25年中の少年非行情勢について」の報告による)

同様に、「国民をテロから保護するため」と言うテロ準備罪は、
「国民を逮捕するための法律」のようです。

また自民党は、テロ準備罪(治安維持法)の成立に向けて、以下の憲法改悪案で運用したいと考えているようです。
(憲法36条)公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
自民党案では:「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、これを禁ずる。」に変えます。
テロ準備罪(治安維持法)の運用等で止むお得ないと総理大臣(安倍)が判断した場合は、拷問を許可するようです。