2014年8月30日土曜日

新聞『山城』の25年&山本宣治

(ブログ目次はここをクリック)

新聞『山城』の25年  本庄 豊 
(京都歴史教育者協議会事務局長)

(当ブログのコメント:以下の日本の政府の情報取り締まりの趣旨を理解するために、戦前の日本での情報取り締まりを調べました。)
(現在の日本と、それに類似する韓国の情報取り締まり状況)
 韓国では、1948年に制定された「国家保安法」(日本の秘密保護法案に相当)
(・・反国家団体に秘密にしなければならない事実、物件又は知識である場合には、死刑又は無期懲役に処する。)
が言論統制・抑圧政策体制の基礎となってきました。
(そして、1998年1月1日から、国家保安法(秘密保護法)を労働組合法より優先することにした

http://sightfree.blogspot.jp/2010/11/1700.html

 このたび2013年10月に、日本の自民党が、それに相当する「秘密保護法案」を提出しました。

【 特定秘密保護法、自由主義社会からの脱落への途を歩み出した日本 】
AP通信 / ワシントンポスト 11月26日
(自由・平等を保障する民主主義に、キバをむき始めた安倍政権
「日本の報道の自由に対する深刻な脅威」国外の有識者からも深刻な懸念
国民の監視の目が届かないところで、国民の目に触れることなく、自分たちが望む形にこの国を変えてしまうための環境づくり)
・・・
 この法律が施行されれば、政府は原子力発電所に関する情報について、テロリストの攻撃目標になる恐れがあるとの理由で、大切な情報のほとんどを機密扱いにしてしまうことも可能である、このような批判的な意見もあります。

台湾、報道自由度で世界50位 2年連続で後退も日本より高評価(2014/2/12)
(「国境なき記者団」(RSF)が12日発表した2014年のワールド・プレス・フリーダム・インデックス(世界の報道自由度ランキング)で、報道の自由度が最も高い上位3位はフィンランド、オランダ、ノルウェーであった。
アメリカ合衆国(32位)、台湾(50位)、韓国(57位)、
日本(59位)、香港(61位)、ウクライナ(126位)、北朝鮮(178位)、)
日本は韓国よりも北朝鮮に近い


日本の自衛官の自殺率東京新聞2012年9月27日付朝刊1面)のデータは誤りで、男性が多い自衛官の自殺率が民間の男性の自殺率と比べて極端に多いというデータは誤り。
また、以下の自衛官の自殺率のグラフも、日本全体の自殺率増加と同じ傾向であるので、派兵が自殺率を増加させたという証拠にはならない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2014071202000171.html

http://sightfree.blogspot.jp/2010/10/blog-post_31.html

(日本は、戦前の日本の言論統制を再び実施する構えを見せている
自民党がヘイトスピーチと国会周辺のデモを同列にして規制(非合法化)しようとしている(2014年8月29日))これは、戦前に普通選挙法に抱き合わせて治安維持法を成立させた旧日本の政治戦略を連想させます。

 1919年から27年まで,日本の工業生産の増加率は欧米諸国を越えていたのであるが,
このような工業発展は,中国市場を中心とする国際的進出と,国内における労働条件の低水準維持策とによって,一応支えられていたのであった。
それに対して,中国人民の反日闘争と,国内では社会主義・民主主義運動・労働運動の高揚によって大きな制約を受けることになった。
 日本資本主義の進展をはかる官僚・軍閥は,中国への武力による帝国主義的侵略と,国内の反体制運動に対する弾圧によって,この危機を克服しようとした



なお、以下に出て来る戦前の「思想善導」という教育運動は、戦後の日本では、「青少年健全育成」と名付けられています。


Copy:
新聞『山城』の25年

序 日本の青春 
(4)『山城』の時期区分
   デモクラシー・普選・戦争

 一九一六年から一九四一年まで四半世紀、二五年にわたって発行された新聞『山城』を、どのように分類し研究・執筆するか、私は非常に迷った。
記事内容による分類も考えてみたが、奇をてらわずオーソドックスな時系列分類とし、以下のように、『山城』が発行されていた時期 を三期に分けることにした。
その上で時代の流れと『山城』の変遷を整理し、概要を記した。

●第一期
 デモクラシーの風 
 一九一六~一九二三
 第一期は、大正五(一九一六)年から大正十二(一九二三)年までの、ロシア革命、米騒動、全国水平社の創立など、内外の激動する情勢を正面から受け、 『山城』の紙面が躍動する時期である。

『山城』と「特別要視察人」新井清太郎に関する記述がある京都府警察部機密資料『高等警察課主管事務引継書』(一九 二二年十月)が書かれたのもこの時期だった(十二月四日付本紙連載3参照)。
世は大正デモクラシー期と呼ばれ、恋愛の自由が提唱され、女性の社会進出がすすみつつあった。
白樺派文学が青年の心を捉えていた時期であり、プロレタリア文学が起こってくる時期でもあった。

 だが大正デモクラシーの農村部への浸透はまだ不十分で、旧弊の陋習が残存しているのもまた現実だった。創刊された『山城』には恋愛論、女性論、文学論が 矢継ぎ早に登場する。青年団活動のリーダーだった新井清太郎は、三山木(京田辺市)の林熊三と出会った。三歳年長の林熊三は、新聞『現代の青年』を主宰し ていた。のち『現代の青年』は林熊三と新井清太郎の共同経営となる。以後、『山城』の紙面は社会批判に満ちたものになっていく。(林熊三については、次号 ならびに第一部(6)「『現代の青年』①茶商林熊三の思想形成と向上会」で詳しく論じたい)

  青年たちの自立のための地域産業の振興、とりわけ農業の振興についての提言や情報の紹介が、意識的に掲載されているのも『山城』の特徴である。『山城』掲載の広告は、当時の南山城における産業(農業)の様子を端的に示す重要な資料となっている。
 『山城』第八九号(大正十二年三月十日)巻頭に早稲田大学教授佐野学の農民運動に関する論考をあてたのは、佐野理論が水平社を創立した阪本清一郎、西光萬吉ら奈良県柏原村の青年たちに大きな影響を与えていたことを、新井清太郎が知っていたからだ。


 新井清太郎は青年団有志の集まりとして、向上会を組織した。向上会の主要メンバーで、水平運動のリーダー平原光親(井手村・僧侶)、鷲山諦厳(同)などについては、できるだけ詳細にとりあげていくつもりである。


 『山城』を読むと、自らの要求を実現するためには普通選挙(普選)の実現しかないという、向上会青年たちの燃えるような信念が伝わってくる。向上会は比 較的裕福で知的な青年のグループだったが、小作人が一人入っており、『山城』にも投稿していた。『山城』は一時向上会の機関紙のようになっていた。


 関東大震災(大正十二年九月一日)や「新しき村」の建設、小作争議の様子など、『山城』を繰っているだけでこの時代の動きを感じることができる。しか し、『山城』は単純な政治新聞ではない。青年たちのために、文学を語り、生き方を語る新聞なのである。投書による紙上討論も起こっている。『山城』に折り 込んだと見られる『現代の青年』(主筆林熊三)では、より直截的に青年の恋や生きる意味を問いかけている。


 ●第二期
 普選に揺れる南山城 
 一九二四~一九二九
 普通選挙法が治安維持法と抱き合わせで帝国議会を通過したのは、大正十四(一九二五)年のことだった。普選は南山城地域の民衆、とりわけ 多数を占めた農民たちの政治的覚醒につながった。『山城』の選挙報道から当時の人々の政治意識を知ることができる。だが彼らは、治安維持法の危険性をどれ だけ見抜いていたのだろうか。


 南山城を巻き込んだ城南小作争議を指導したのは、日本農民組合(日農)支部だった。

小作人が村長をつとめる村もできた。
労働者や農民たちは労働農民党 (労農党)に結集し、第一回普通選挙をたたかうことになる。
彼らが神輿としてかついだのは、高級料理旅館花やしき(宇治町)の若主人で、産児制限運動家の山本宣治(山宣)だった。

 新井清太郎が『山城』で予想した通り、山宣は当選した。
府議選に続いて立候補した平原光親は善戦するも落選した。
向上会は山宣派(自由青年同盟)と平原派に別れて選挙戦をたたかっていた。
自由青年同盟の中心を担ったのは、村田佳久(多賀)や杣田禎治郎(草内)だった。

-------引用開始------------------------------

学生運動取締に関する質問
 山本宣治
昭和四年(1929年)二月二十一日予算委員会

 私の質問は文部省所管の歳出に関して、いわゆる思想善導費の諸項目に関しての質問であります。
これに関しては既に川崎氏、原氏、又椎尾博士これらの諸委員からお尋ねに依りまして、
これに当局がお答えになっておりまするから、
それは詳細すでに熟読いたしまして、重複の点を全部省きまして、
私はついこのほどまで京都帝国大学に職を奉じておった関係上、こうした問題の内容に関して、具体的事実を得る便宜があった。
そうした関係上事実をあげて、それに対する文部当局の所見或いは対策を承りたいと思うのであります。
それで一月二十五日の本会議でありましたが、それに文部大臣は浅原健三君の質問に答えるに、こういう言葉をもってしておられておる。
そのまま読みますると
「浅原君より文部大臣に向いまして、警官が神聖なる教場に乱入をいたして制服制帽のままで学生を拉致《らっち》したというような事があるが、
それに対して文部大臣の権威を冒涜するようなことはないかというような、
きわめて私に対してはご深切なる御質問でありました。
しかし私の受けておりまする所によりますると、さようなことについては何らの報告がございませぬ。
又私はさような事のないことを信じておりまするから、どうかさようにご承知を顧います」
かようにお答えになっておるのでありまするが、
質問当時におきましてはそれより遡りまして以前に東京帝国大学の校内において、教室において、聴講中の帝大生が教室の中から警察へ引致された。
或いは正門の前において構内に入ろうとする学生があった。
それを正門の傍で警官が検束したという風な事実を浅原君は指しておったものであります。
一月二十五日以前の事件は私は申しませぬ。
その後において今申したような事実があったのであります。
去る二月一日の事であります。
金沢の第四高等学校文科三年生宮島隅夫および野田薪三、滋賀政夫の三名は授業中突如広阪警察署に引致されて、一応取調べの上に帰宅せしめられたという事実があります。
この三名の人の引張られたのは昨年軍事教練反対運動の急先鋒となり、又最近は軍事教練の費用の内容を明らかにせよと当局に迫った為に、常に不穏分子として当局から睨まれたからであるという風なことなのでありますが、
こういう風なことで文部省の直轄学校の校内に、しかも授業中に警察官が闖入して学生を引致するという風なことはこれは当局は常態であるとお考えになりますか、
まずその辺の御所見を伺いたい。  

◇勝田国務大臣
 山本君のお尋ねでありまするが、その件については未だどういう実際の状況であったかという報告は得ておりませぬが、
しかし私はさような事はないと思います。
これは教場で授業しおる所へそこに警官が闖入して、それをすぐ拉致するというような事柄でなくして、
或いは教場において授業を受けつつあったのかも知れませぬが、
これをその外に呼んで、そうしてそれを拉致したというようなことと私は信じておる。
又私などの報告を得ておる所によりましても、学校の講堂だとか、教室だとか、そういう中に警官が闖入して生徒を拉致して行くということはどうもないようであります。
それだけお答えしておきます。
・・・・・
・・・・・ 
 今申しておりまするのは、現在の「ブルジョア」教育の最も徹底した最高学府における問題であります、
そうしてそこに学ぶ人は、この「ブルジョア」の子弟の中で最も優秀なる人のみであります。
そこへ来るまでに小学中学において修身と倫理の話はうんと聴いて来て、
思想善導に関しては最も完全なる条件を持ち、最も恵まれた環境の中に育って来て、
なおこうした形式の訓育を必要とするという点に、
文部当局は何か自信の欠乏をお感じにはならないか、
この点に関して、大学内においても事実思想善導の完全に行われておるというのは
――これは地方の高等学校と大都市の高等学校を比べて見ますというと、
文部当局から見れば、
大都市においては「ルーズ」になっておる。
地方の高等学校の方が中央政府の指令が行き届いて行われておる
という風にお考えになるか知れませぬが、
帝国大学の進歩的な職員の中には決して地方高等学校の「ゲートル」を穿かせて訓練を盛んに行い、
そうして横文字の本は精々読ませないように、
新刊雑誌はまるきり読ませないというような風にした教育を決して歓迎するのではない。

それは現に中央の大学の中には、学校は指して申しませぬが、

僻遠の地方の学校の出身者は一高とか三高のような高等学校の出身者と、その素養においては二年三年の差異を見ておるというような実情であります。

この思想善導というものは何を目標としておるかといえば、
即ち危険思想にかぶれないで、そうしてできるだけ学校当局者の統治の容易いような、毒にもならなければ薬にもならぬものを目標として立っておるように見受けらるるのでありますが、
これに関して弘前高等学校の最近の「ストライキ」の状勢に関して今お話になった以外に、
只今「ストライキ」が起きておるという実情が目の前にある。
学校の当事者が生徒に委ねられたその金を横領して何か使途不明の所に使い果した。
こういう事態の前に学生はその校長のやった非違を糺弾してはいけないという風にお考えになるのでありますか。
「ストライキ」に関する所見を伺いたい。

〔「答弁の必要なし」
「大臣の発言を抑圧する必要はない」
と叫びその他発言するもの多し〕

(当ブログのコメント:この議会の質の悪い「やじ」体質は2014年の東京都議会のセクハラやじに引き継がれていますね。
日本のデモクラシーは今に至っても脆弱だと思います。
こういう日本では、とてもスウェーデンのような良い国にはなれない。日本では、今後もデモクラシーを自らのものにする思想作りを、少しづつ体でおぼえて身に付ける地道な努力が必要だと思います。
少なくとも、日本の庶民は、戦後にアメリカから与えられたデモクラシーに大変満足しているように思いますので。)

◇工藤委員 議事進行です
――これはお答えになった方がよろしいかと考えるのですが、
この思想善導に最も影響のあるのは、やはり「ストライキ」などの問題と思います。
即ち師弟の間の問題がわが国の道徳の一の根底をなすのですから、
これに対して文教の重任にある当局大臣は、
あなたがたはどうか知らぬが、
政府はこう考えておるというてしたがってこれに善処する方法をかような席で発表するということは、もっとも適当なる機会を得たのではないかと思いますから、
議事進行の上に置いて文部大臣の所見を発表することを要求いたします。

 只今の質問の要点が確かにお分りにならないと思いますから、簡単に反復いたします。
学校当事者が非違を行うたという実跡がある場合に、学生生徒はそれを糺弾してはいけないものであるか
これをお伺いいたします。 

◇勝田国務大臣
 学校の当局者が非違を行うた場合に、これを匡正する途は種々備っております。
しかして学生といたしましてこれを直接に糺弾するが如きはこれを認むることは出来ませぬ
・・・
・・・
 細かい問題であるという風な政府委員のお答えでありましたが、
思想善導に関しては既に貴族院において二荒伯が田中首相に思想善導の善とは何ぞやということを聞かれた時に、
きわめて簡単に正しく導くという風な御話でありました。
その正しくとか、善くとかいうことを申しましても、
校長の言う意味と、或いは文部省当局の言う意味と、青年学生の言う意味とは、そこに盛られる内容が違うのであります。
思想善導というのは具体的にお答えするならば、
学生には「ストライキ」をするな、
又工場労働者に対しても同じく「ストライキ」をやってはいかぬ。
小作人は小作争議などをやってはいかぬ。
こういう風に解してよろしいのでありますか。

◇安藤政府委員
 簡単にお答えいたしますが、工場の労働者に対する「ストライキ」という事と、
学校の生徒が校長や学校に対して「ストライキ」をやるという事とは、
非常なる根柢において意味の相違があるのではなかろうかと思うのであります。

(当ブログのコメント:この反論は論理的な反論とも思えます。もっと丁寧に論点を説明すれば、ディベートに勝てたかもしれない。以下の流れを見ると、ディベートに負けていますが、、、)

これを同一に混同して「ストライキ」はどこでも行われてよろしいというような事になっては
――そういう思想を抱いて居る者がだんだん多くなっては、
これこそ実に国民思想振作の為の大問題ではなかろうかと思うのでありまして、
私共はこういう質問がしばしばこういう席上に出るのをすこぶる遺憾とする次第である。

(当ブログのコメント:この発言は民主主義に反する立場の表明だと思います。山本宣治のような共産主義者(治安警察法違反)を弾圧するのが政府の仕事だと意思表明したものと解釈できます。)

〔「ヒヤヒヤ」「ノウノウ」と叫びその他発言する者多し〕 

◇堀切委員長
 諸君に注意致します。
静粛に顧いますが、しかし質問者のご質問或いはその言葉などによってなかなか委員長が努力しても静粛になりかねる事がありますから、ご注意を願いたい。
たとえば、昨日の横山君のご質問の如く、本議場ではだいぶ横山君は紛擾も起された事もありますが、
昨日は静粛に謹聴しておった(ヒヤヒヤ)というような訳ですから、
どうぞご質問なさる方においても静粛になるようにご注意を願いたい。 

 弘前の高等学校におきまして校長の非違を発見した生徒が大会を開いてこれを糺弾した所が、
その決議文を生徒主事がすぐ受取って焼払った。
そうして
その時に二十五日以後の学年試験に応じない生徒は二年三年以上は全部落第とし、
一年は全部放校するに決するという訓示があった
ということであります。
こういうような事実に徴しますると、
今政府委員の申された如く、温情主義的の教育がその学校の内に行われておらぬ。
今日における教育は「ブルジョア」資本主義の大量教育でありまして、職業教育である。
おのおの職業を得て立身出世をしよう、或いはとにかく一つの位地を得ようという為に、努力する、
その間に最小時間において最大の効果を挙げようとしてやる場合に、
学校というものは人格の陶冶をする機関ではなくして、
知識或いは職業的訓練を最も能率よく授ける機関であるとして学生は今日行っておる。
だから校長先生から人格的陶冶を加えて戴こうとは思っておらぬ。
その点において学校が学生の要求を満してくれないならば、
ここに種々の要求が起って来るのは当然の事である。
その要求を完全に満し得ないような学校がある。
ために学生主事という風ないわば一種の思想警察という風な制度を学校内に輸入して、
そうして何事ぞといえば放校に処するとか或いは落第をさせるとかいう風な事を言って、
学生をその圧迫の下に押しつけようとしておる。
これでは決して真の教育とは言えない……

〔此時発言する者多し〕 

 ◇堀切委員長 静粛に。


 殊に学生主事という風なこの「スパイ」の如きものを学校内に輸入したというのは、
もはや今の学校教育が情操とか或いは温情主義とか、そういう風なものには、立ち得ない
ということを自ら告白し来ったものである
とこう解釈して、
私はもはやこれ以上社会観或いは世界観の相違に基づく所の質問を打切ります。

(当ブログのコメント:この議論は山本宣治の勝ち逃げに終わったようです。民主主義国家ならば、もっとしっかり議論されただろうと思いますが、、、) 
 
底本:
「現代日本記録全集12 社会と事件」
筑摩書房 1970(昭和45)年4月25日初版第1刷
底本の親本:
「山本宣治全集第八巻」
ロゴス書院 1930(昭和5)年 

この質問の2週間後の3月5日に山本宣治は暗殺された。
死後に、 共産党員に加えられた。

-----------------引用おわり----------------------- 

 新井清太郎が山宣をはじめとする「運動」から距離を置くようになったのは、昭和三(1928)年に起こった、三・一五事件からだ。

これは京都学連事件に次ぐ、治安維持法違反適用事件である。
新井清太郎は山宣グループから少しだけ離れた立場にたち、『山城』を存続させようとする。
そして翌年の山本宣治暗殺―― 。

(当ブログ主の感想:戦前の政府は、思想善導(青少年健全育成)運動を、反対者を殺してでも実施したようです。)

 新井清太郎は宇治橋で山宣の遺児たちに声をかける。

新井清太郎は山宣の身近にいた一人であり、山宣を尊敬する一人でもあった。
戦後山宣を回顧して、新井 清太郎が山宣を敬愛していたと述べていたという。
また山宣の選挙応援をしていた河上肇にも、清太郎は接していた。
新井清太郎が育てた、村田佳久や杣田禎治 郎をはじめとする自由青年同盟員は、山宣の側に立っていた。

 三・一五事件、山宣暗殺に続いたのは、昭和の御大典と思想善導運動だった。

『山城』の有力広告主だった島本銀行が金融恐慌のあおりを食って没落したことに見られるように、人々は長期不況下で生活苦を強いられていた。
思想善導はそうした人々が「過激」ならないようにする草の根からのファシズム運動でもあっ た。
しだいに『山城』は時代の流れに飲み込まれていくかにみえた。

 ●第三期
 軍靴響くとも 
 一九三〇~一九四一
 『山城』の紙面は、一九三〇年からは日に日に日本主義的、伝統回帰的になっていった。

満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇隊のことが紙面を飾るようになる。
これは社会の状況を『山城』が反映したともいえる。
だが一九三一年の満州事変は、南山城の人々にとってまだ遠い外地での出来事だった。

 『山城』と新井清太郎の真価が問われたのが、一九三七年からはじまる日中全面戦争(日華事変)による戦死報道だった。

『山城』は毎号で戦死者の氏名と経 歴を掲載した。
戦死者を極端に英雄視せず、淡々と報道する姿勢はヒューマニスト新井清太郎らしい。
『山城』を読み、当時の人々は戦争のむなしさを感じ取っ た。

 しかし『山城』から一斉に広告が引き揚げられるという事件が起こり、

その後『山城』は『城南』へと名前を変更し、戦死報道を取りやめてしまった。
紙面は軍国主義一色となり、
新井清太郎の精神は跡形もなくなった。
まもなく『山城』は廃刊。
二五年におよぶ『山城』の歴史が終わった。

 アジア太平洋戦争を直前にして、新井清太郎は無力感のなかにいた。

 『山城』はもともと、青年団を下から組織するための機関紙として発行された新聞だった。
昭和一六(一九四一)年に大日本青年団、少年団、 女子青年団が統合されて文部大臣を団長とする大日本青少年団が結成され、戦時体制のなかに組み入れられていくなかで、
新井清太郎は『山城』発行という自分 の仕事が終わりを迎えたことに気づいたのだ。

 じつは『山城』の終焉は、軍国主義、国家主義に対抗できなかった大正デモクラシーの限界のなかにすでに準備されていたのだが、

そのことは連載全体を通じて明らかにされていくだろう。
(つづく)


青少年社会環境対策基本法案についての見解
2001年3月21日
社団法人 日本図書館協会
  参議院自民党政策審議会の下に設置された青少年問題検討小委員会が昨年4月に策定した「青少年社会環境対策基本法案」(当初は、青少年有害環境対策法案。以下、法案)が、議員立法として今国会に提出されようとしています。  
 日本図書館協会は、戦前に公立図書館が国家意志を担って「思想善導」と 検閲のための機関となった歴史を反省し、戦後、「図書館の自由に関する宣言」(1954年総会決定。1979年改訂)を図書館界の総意として確認し、国民 の知る自由・学習する権利を保障することが公立図書館の基本的任務であることを表明しました。少数意見、あるいは不快、危険と批判を受ける表現をも含め、 言論・思想が自由に表出され自由にアクセスできることが必要です。それが日本国憲法の原理の求めるところであり、図書館はその実現維持のために不断に努力 することを使命とします。  
 本法案は、政府と地方公共団体に対し、子ども達の発達に悪影響を与えると考えられる商品や情報を幅広く規制する権限を与えるものです。子ども達が幸せに成長することは社会の願いです。しかしながら、法案はそれに応えるものではなく、次のような重大な問題点をもっています。  
 第1に、規制の対象とする表現等の内容の定義が不明確で、恣意的な拡大解釈を許すことです。  
 規制を予定する対象を「有害な社会環境」とし、それが「誘発し、若しくは助長する」もの として性と暴力の逸脱行為に加え、これも曖昧な「不良行為」を例示していますが、なおこの3つに限定してはいません。これらの行為を「誘発し」「助長する 等青少年の健全な育成を阻害する恐れのある社会環境をいう」と同義反復して、規制対象とする表現内容を明確に定義していません。これは規制する表現対象の 恣意的拡大を可能にし、表現の自由の萎縮をもたらす立法であり、違憲の疑いが強いものです。  
 第2に、政府は1977年度以来、再三「有害」図書類と青少年の「逸脱行動」とを関係づ けるべく調査を重ねていますが、「有害」図書類に接することが逸脱行動の原因であるという結果は得られていません。表現と行動の因果関係が科学的に証明で きないのですから、どのような表現が逸脱行動の原因であるかを科学的に定義することは不可能で、このことも規制する表現対象の恣意的拡大を可能にします。  
 法案作成者の談話によると、子どもに親しまれてきた絵本の『くまのプーさん』でさえ大きなまさかりで殺す場面が出てくるという理由で規制の対象になりかねない状況です。(長岡義幸:強まる「有害」規制の動き 『文化通信』 2000.2.5号)  
 第3に、現在46都道府県で施行されている青少年条例の有害図書類の規制に比べて、規制のレベルが高いことです。  
 これら青少年条例の有害図書指定制度は、規制の度を強める一方、一部世論に迎合し、目的 逸脱の疑いのある指定事例が見られるとはいえ、多くが第三者審議機関による指定審査や不服申立ての制度を備えて指定の客観性や透明性を図っています。しか しながら、法案にはこのような表現の自由を尊重する制度はなく、全国斉一の行政措置が強力に執行されることを許すものです。  
 第4に、政府や地方公共団体などの行政機関に、人の価値観やモラルなど内心の領域への侵入を許すことです。  
 例示されている性に関する表現にしても、規制立法は青少年保護が目的とはいえ違憲性の高 いものです。例えば衆議院法制局が衆議院文教委員会に提出した見解「『ポルノ』出版物の規制について」(1977年5月13日)の中でも、「そもそも性の 問題は、人間存在の根元にかかわることであり、家庭・学校その他の場を通じ、良識による判断・選択により問題の解決が図られるべきもの」と述べられていま す。  
 第5に、政府や地方公共団体などの行政機関に、社会の木鐸たる報道メディアに直接介入する権限を与えることです。すでに報道・出版に関わる諸団体から検閲の危険さえ指摘されていますが、私たちもその危惧を抱くものです。  
 「図書館の自由に関する宣言」改訂から20年経過し、宣言は資料提供の規制 や排除などの事例を通じて社会的理解と支持を広げてきました。しかしながら、宣言の基本的精神に反する自己規制が、行政の指示や誘導に基づいて行われる事 例が増加しております。本法案が成立すれば、一層それを助長し、ひいては民主主義の根幹である国民の知る権利を著しく阻害する結果になります。  
 以上の理由により、当日本図書館協会は、本法案が今国会に提出されることに反対を表明します。


自民党「青少年有害社会環境対策基本法案」に対するメディア総研の見解
2002年2月21日
メディア総合研究所
所長 須藤春夫

 2001年11月、自民党の内閣部会・青少年を取り巻く有害な環境対策の推進に関する小委員会(田中直紀委員長)は、1年前につくった原案「青少年社会環境対策基本法案」を修正し、新たに「青少年有害社会環境対策基本法案」をまとめた。
 この法案では「青少年有害社会環境」を、「青少年の性若しくは暴力に関する価値観の形成に悪影響を及ぼし」「逸脱行為若しくは残虐な行為を誘発し、若し くは助長する」など「青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境」と、広範かつあいまいに定義している(第2条)。
 今日のように多様化した社会においては、価値観の形成に影響を及ぼす環境は複雑・多様であり、何が青少年にとって「有害」か、を一概に決めることは困難である。
ところがこの法案は、そうしたあいまいな定義のもとに、国が基本方針を策定し、国民的広がりをもった取り組みの推進と事業者(団体)による自主的な取り組みとによって
「近年の我が国社会における急激な情報化の進展、過度の商業主義的風潮のまん延等により、青少年有害環境のもたらす弊害が深刻化し、かつ、増大している傾向にあること」(第3条)
に対処するとしている。
そのために、国、地方公共団体、事業者、保護者および国民の責務を列挙し、それらが一体となって思想善導運動を推進することをめざしている。
このような姿勢は、戦前、
日本が国策として推進した「青少年の健全育成」の姿と重なるものがあり、
政府・政権党主導による官民あげての精神運動の危険を感じずにはいられない。
 法案が「青少年有害社会環境対策協会」の設立とそれへの加入の努力義務を事業者に求めていること(第15条)も問題である。
「自主規律」とはいえ、事業者は対策協会からの助言、指導、勧告を受け、苦情の対処に関しては、対策協会から説明や文書の提出を求められれば、正当な理由なくこれを拒むことはできないことになっている。
また法案は、主務大臣または都道府県知事に対して、対策協会への助言、指導権限を与えており、
主務大臣等は対策協会の業務の改善について必要な勧告を行うことができ、勧告に従わないときは、その旨を公表する処分ができることになっている。
そのうえ、内閣総理大臣が指定する「青少年有害社会環境対策センター」が対策協会と連携して苦情処理と青少年の健全な育成を阻害するおそれのある商品・役務の供給状況等の調査を行うことにもなっている(第21条)。
 こうした仕組みは、これまで事業者が行ってきた自主的な取り組みを、行政の管理のもとで再組織しようとするものであり、視聴者・読者・市民の自主的な運動を官製の枠組みに押し込めようとするものにほかならない。
 すでに放送分野では、現行放送法が求める番組審議機関(番審)が長年にわたって活動をしており、NHKと民放連が共同で設立した「放送と青少年に関する委員会」も2000年から苦情対応と調査研究にあたっている。
また、映画分野には50年を超える映倫の活動があり、
出版分野においても出版倫理協議会等による自主・自律の取り組みが行われている。
法案はこうした事業者の自主・自律の姿勢と努力を否定するものであり、
各種の自主規制機関の存在をないがしろにするものといわざるを得ない。
 事業者の自主的な取り組みを結果的に否定するのであれば、その立法趣旨として、各業界がとってきた自主規制措置では不足だとする根拠が具体的に明示されなければならないはずだが、
現段階では、都道府県市町村議会などの「青少年健全育成のための法制定要請」が主たる理由として説明されているだけである
(たとえば、2002年1月28日開催のマス・コミユニケーション倫理懇談会全国協議会の「マスコミと公共性」研究会での田中直紀氏の発言)。
 議員立法としてこの法案を提出する当事者には、こうした問題点への具体的な回答に加え、放送法に明記された放送事業における番組審議機関と、この法案が設立を予定している「対策協会」との関連、あるいはそれらの位置付けを説明する責任が求められる。
 たしかに、日本民間放送連盟や日本書籍出版協会などが、これまでにこの法案に反対する見解を表明しているが、
個々の事業者あるいは各労働組合の公式な意見表明は見当たらない。
さらに、女性の尊厳を冒涜するような表現が放送番組・雑誌などで氾濫している現状も認めざるを得ない。
こうした表現について事業者が説明責任を果たさなければ、法規制を自ら招くものと判断されても仕方のないところではある。
メディア総合研究所は、こうした事業者の姿勢についても強く自省を求め、市民と向き合った自主的取り組みによる解決をあくまでも求めるものである。
 憲法21条、そして放送法が明記しているように、表現の自由にかかわる分野に関する法的規制については、極めて慎重でなければならない。
そのような理由から、同法案の国会上程については、強く反対の意思を表明する。

以 上

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