2015年8月15日土曜日

集団的自衛権で日本がアニメを作れなくなる日

(ブログ目次はここをクリック) 
集団的自衛権の行き着く先は、
以下の事件のように、
日本で絵を書いてはいけない時代に行き着くのではないかと思います。
 すなわち、日本がアニメを作れなくなる時代になるのではないかと思います。

1940年1月「生活図画事件」
(生活綴方教育が「子どもに資本主義社会の矛盾を自覚させ、共産主義につながる」として、教員らが一斉検挙される事件が起きた。逮捕されたのは、五十六人ともいわれる。)


 戦時下、生活のありのままを描く「生活図画教育」を実践していた北海道の教員や学生らが治安維持法違反容疑で逮捕された事件があった。

 大量の逮捕者が出た思想弾圧事件だが、あまり知られていない。

偏見を恐れ、口を閉ざしていた関係者の一人が当時を証言した。

特定秘密保護法など戦前の思想統制と似た時代が到来する中、「一人一人が小さくても声を上げなければ」と訴える。
(出田阿生)

 二枚の絵がある。題名は「レコードコンサート」と「休憩時間」。

一枚は、レコードをかけ、クラシック音楽を聴く学生たち。
もう一枚は、勤労動員で製紙工場の拡張工事に汗を流した後、原野で休憩している若者。
北海道音更町の松本五郎さん(九三)が、二十歳のときに仲間を描いたものだ。

 これら何げない日常風景の絵が、「犯罪」の証拠とされ、一九四一年九月、当時、旭川師範学校五年生だった松本さんは、治安維持法違反容疑で逮捕された。

 絵が好きだった松本さんは、師範学校の美術部長に就いていた。

師事していた教員の熊田満佐吾(まさご)さんは「生活図画」という教育運動を進めていた。
単に美しい絵を描くのではなく、生活のありのままを絵に写し取り、より良い生き方を考える。そんな教育手法だった。

 当時、同様の教育運動の作文は「生活綴方(つづりかた)教育」、美術は「生活図画教育」と呼ばれていた。

 ところが四〇年一月、生活綴方教育が「子どもに資本主義社会の矛盾を自覚させ、共産主義につながる」として、教員らが一斉検挙される事件が起きる。

逮捕されたのは、五十六人ともいわれる。

 翌年一月、今度は生活図画教育を指導していた熊田さんが特別高等(特高)警察に逮捕される。

松本さんら教え子も、同年九月、寄宿舎に突然やってきた警察官に連行された。

 共産主義思想を学んだこともなく、全く身に覚えがない。

「二、三日で帰れるだろう」と思っていた。
だが、それは大間違いだった。

 接見禁止で外部との連絡を絶たれ、独房に放置された。

シラミの卵が産みつけられた布団を体に巻いて、眠れぬ夜を過ごした。
神経衰弱になり、毛髪が針金に変化したような錯覚に陥った。

 取調べがようやく始まったのは、約二カ月後。

説明すれば分かってもらえるという期待はすぐに裏切られた。
「コミンテルンや唯物史観とは何か、紙に書けと言われた。
『知らない』と応えると『そこに本がたくさんあるから参考にして詳しく書け』と強要された。
何度も書き直しを命じられた」
 こうして、操り人形のように描かされた「論文」が、「共産主義者」を裏付ける証拠となった。

 「検事が思わず失笑した警察の調書もあった」という。

松本さんは古事記の「因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の紙芝居を作ったことがあった。
ワニザメに毛をむしられ「赤裸」になったウサギを、大国主命(おおくにぬしのみこと)が治すという物語。

調書では「アカ(共産主義者)を助ける意味だ」とこじつけた。

 「何を言っても受け入れられない」と、あきらめた。

氷点下三〇度になる極寒の刑務所で、手足や顔の皮膚が凍傷でただれる冬を過ごし、四二年末に釈放された。
その後、懲役一年三月、執行猶予三年の判決を受けた。

人生壊され

 「逮捕されて人生を壊されたのは、純粋に夢の実現に向けて燃えていた教員志望の青年たちだった。

『たとえ勤労動員で授業がつぶれても学生の本分は学問。
感性を磨き、どう生きるかを考えよ』と説く熊田先生の教えに感動した。
それがすべて罪とされた」

 師範学校を退学処分となった松本さんは、戦後、卒業資格を取得して教員になった。

「竹やりで戦車に立ち向かえという国家総動員体制では、科学的な思考は邪魔になる。
自分の頭できちんと考える教育をすることが危険視されたのだろう」
と松本さんは言う。

現存者2名

 「生活綴方事件」については、事件を題材とした作家三浦綾子さんの小説「銃口」で広く知られている。

だが、生活図画事件は知る人は少ない。
しかも、逮捕された人の中で、現存者は松本さんを含め二人だけだ。

 長年話さなかったのは、思い出すことのつらさに加え、偏見を恐れたからだという。

松本さんとともに逮捕された仲間の一人は、勤め先で
「思想犯で刑務所に入っていたことがあるらしい」
といううわさを社内で流され、会社の要職を外されたという。
元号が平成にかわった後の話だ。

 「もう事件について黙っているときではない」。

松本さんが事件について語り始めたのは八十歳を過ぎてから。
「語ってほしい」と自らの教え子たちに背中を押されたことも大きかった。
今年九月には「証言 生活図画事件」を自費出版した。

 今、教育基本法には「愛国心」が盛り込まれ、国家安全保障戦略にまで「わが国と郷土を愛する」という文言が入った。

そして、特定秘密保護法によって、国民の知る権利が奪われようとしている。

 「知る権利が奪われたら、為政者が思いのままになる。

人権より国家を優先させる時代にしてはならない」と松本さんは憂える。
「今ならまだ間に合う。
誰かがなんとかしてくれるだろうと思うのは駄目。
一人一人が声を上げ続けなければ」 

松本五郎さんのインタビューyoutube動画
(生活図画事件(治安維持法)を体験した美術教師)
 「生活図画」 というのは、美術の絵は、きれいな絵だけを描くのでは無く、生活の実態を絵で表現し、生活を改善する役にたてようという思想に基づく創作活動でした。
 上に掲載した2つの絵の2番目の絵は、学生がパルプ工場の地ならしに動員されて働いている間の休憩時間を描いた絵です。
 絵の中の学生が本を持っています。それは、休憩時間と言えども学問をするのが学生の本分と考え、その志に基づき休憩時間に本を読んで学生の本分の勉強をしていた学生を描いた絵です。

「関係ない」が統制招く

 小樽商科大荻野富士夫教授

 大正デモクラシー時代、子どもに作文や図画を自由に創作させる教育運動が各地で起きた。

一九三〇年代半ばには生活に密着した形を目指して「生活教育運動」となり、特に東北地方や北海道で盛んだった。
こうした運動が四〇年前後に集中して弾圧を受けた。

 共産主義者ではない教員や学生が大量に検挙された。

「現状を客観的にとらえ、改善を考えよう」という教育趣旨を、当局が「危険思想の芽生え」として摘み取ろうとしたのだ。

 北海道での弾圧が突出しているわけではない。

自然条件が厳しい土地柄で、苦しい生活を直視する教育をすれば、社会の矛盾に気づきかねないと当局が警戒した側面はあるかもしれない。

 父や兄が徴兵されて人手不足なのはなぜなのか。

子どもがそうしたことを考えれば、戦争反対とまでいかなくても厭戦(えんせん)的な気持ちにつながる。

 治安維持法制定当時、政府は

「慎重に運用」
「一般国民とは関係ない」
と説明した。
多くの人が「自分とは関係ない」と思っていたら思想統制の社会が到来した。
安倍晋三首相の靖国神社参拝や改憲への動きを見ると、
特定秘密保護法が将来どう運用されるのか、やはり安心できない。

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生活図画事件 

 人々の暮らしを写実的に描く「生活図画」という教育運動が弾圧された事件。
「資本主義の矛盾を自覚させ、共産主義を広めかねない」として、旭川師範学校や旭川中の教師、学生らが治安維持法違反容疑で逮捕された。
逮捕者は27人にも上るとされる。


(生活図画事件に至る歴史の流れを見る前に、先ず、日本人が軍隊に入隊せざるを得ない現状を以下で見てみます)
 日本では貧困世帯の子供が増えてきています。
貧困世帯の子供の中学卒業や高校卒業の学歴では、就職が困難な時代になって来ています。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3165.html
1992年から、日本の製造業の大手企業が生産を海外に移転し始めた。
それにともない、高卒者の就職数が急落し(中卒者の就職数はそれ以前から急落していた)、
総体としての失業率が増えた。
そして、金融資産ゼロ世帯が増え始め、
自殺率が増え、現在に至っている。

ただし、総務省の統計で、
2014年は:
全産業の就業者数は6390万人
製造業の就業者数は1024万人で6分の1
卸売業・小売業は  1082万人
医療・福祉      735万人(拡大してきている)
 であるので、製造業の雇用責任は6分の1に過ぎない。

若者の雇用と報酬が十分で無いのは、製造業の海外生産移転というダイナミックな動きよりは、それ以外の全産業に係わる国家体質に原因があると考えられる。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000026271631
厚生労働省の毎月勤労統計調査の統計表一覧、季節調整済指数及び増減率11(実質賃金 季節調整済指数及び増減率、現金給与総額(5人以上))から(1月-3月)データを抽出

http://sightfree.blogspot.jp/2012/10/1995.html
(家計の金融行動に関する世論調査:2人以上世帯調査)時系列データ(問2(a))

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/h25.html
失業率の推移のデータはここをクリックした先のページから得た。
 日本の自殺率には、「失業率が3.5%を超えると自殺率が増える」という法則があるように見える。

この問題に対して、自衛隊への就職の道があります。

陸上自衛隊 高等工科学校(男子のみ)
(月額 94,900円の生徒手当(平成25年4月1日現在))
防衛大学校
(毎月108,300円の学生手当(平成25年4月1日現在))


安倍政権の集団的自衛権の閣議決定により、貧困家庭の子供に、自衛隊への就職の道が大きくなりつつあるように思います。

日本国は、軍隊を拡大して貧困家庭の子供の就職口を拡大(実質的な徴兵制度を実施)するよりも、もっと生産的な若者の就職先を作るべきだと思います。

京都ものづくり産業育成塾
(募集受付終了しているので、企画の例として掲載)
(時給980円、月額15万円程度支給)

富山県ひとり親家庭等自立促進計画
(富山県のひとり親家庭等に対する支援の方向性と具体的施策を定めています) 
基本的施策
 ひとり親家庭等の自立を支援するため、次の5つの基本的施策を定め、その展開を図ります。
(1)相談・情報提供機能の充実強化
 ひとり親家庭等が子育てや仕事などさまざまな悩みについて、気軽に相談できる体制づくりを進めるとともに、適切かつ迅速に対応できるよう各種相談機関の連携強化や行政等の支援施策に関する情報提供をきめ細かく行います。
(2)就業支援の積極的推進
 ひとり親等は不安定な雇用形態が多く、一般世帯に比べ収入が低い傾向にあります。
より安定した仕事に就き経済的に自立した生活を送ることができるよう、職業紹介や職業訓練等の就業支援を積極的に行います。
(3)子育て・生活支援策の充実強化
 ひとり親等が安心して子育てを行うことができ、子どもが心身ともに健やかに成長できるように、子育てや日常生活面での支援に積極的に取り組みます。
(4)養育費確保の推進
 父母が離婚した後においても、双方の親は引き続き子どもを養う責任を分担しなければならず、養育費は子どもの権利です。しかし、現実に養育費を受け取っている世帯は、低い割合にとどまっており、養育費取得促進のための情報提供や啓発活動を実施し、養育費の支払いについての社会的気運の醸成を図るとともに、相談体制の充実に努めます。
(5)経済的支援の推進
 ひとり親家庭等の一番の不安や悩みは生活費の問題となっています。就業面での支援を図るとともに、母子及び寡婦福祉資金の貸付や児童扶養手当の支給、ひとり親家庭等医療費助成の実施など、ひとり親家庭等の経済的支援に努めます。


 ところで、北欧をはじめとするヨーロッパでは、大学の授業料が無料というだけでなく、大学生に生活費が支給されます。つまり、大学に行きたい人は誰でも生活が保障されて通学することができるのです。 


 一方、 最近の日本では:
(1)安倍晋三政権は2013年から、貧困層への生活保護基準引き下げ(保護費削減)を実施。
(2)来年度(2015年)は子育て給付金中止、低所得者向けも圧縮ですって。 
(3)「無料塾」継続困難に 来年度(2015年)から国の補助減
琉球新報 9月5日(金)配信
(4)生活保護世帯の学習支援事業 2015年度から国庫補助半減

(5)生活保護のうち家賃として支払う「住宅扶助」について2015年度から引き下げ、2017年度には2014年度と比べ約190億円減額する。
(2015年度予算で食費など生活費に充てる「生活扶助」の約260億円減額も決まっている。そのため、2015年度は実質では計約320億円の減額となる。)
(6)東京都渋谷区が,年末年始の貧困者への炊き出し(食事の提供)をさせないことを目的に宮下公園など3公園を閉鎖

(7)防衛費、補正予算倍に 「経済対策」名目に拡充(2015年1月8日) 

 アメリカでは、「徴兵制はいらない。貧困があるから」と言われていて、まさに国家規模の「貧困ビジネス」が戦争になっているわけです。 

安倍政権の福祉は【兵隊】貧しい若者を兵隊として「食わせる」国防は最大の福祉と!佐藤正久・自民党参院議員
 
△右翼政権がボリビアとウルグアイを貧困にした

 
(自衛隊への就職について、話を続けます)

 一方で、自衛隊が拡大される動きも無視できないので、自衛隊に就職する若者のために、せめて、自衛隊内での兵隊いじめの体質が改善される必要があると思います。

 自民党を支配している右翼組織の「日本会議」の副会長に小田村四郎がいる。
彼の右翼運動・思想の礎は、戦前の1938年ころの右翼活動で作られた。
彼は、さまざまな学生運動団体を立ち上げ(東大精神科学研究会→東大文化科学研究会→日本学生協会→精神科学研究所)、日本主義(右翼)的な学生思想運動を全国に展開した。
その右翼運動を、「日本会議」で継続していると考える。

 日本会議が目指しているらしい戦前の国家体制は、右翼団体の力を借りた体制であったので、その軍隊においても右翼団体が勢力を持っていたのではないか。

そして、その右翼団体の優遇体制が、軍隊内での兵隊へのいじめ・暴行がまん延する原因を作ったのではないか。
 それは(当時は日本の支配下にあった)韓国の軍隊にも遺伝しているのではないか、と推察します。
(1)韓国軍での乱射事件捜査結果を発表(韓国軍内のいじめが原因)(2014年7月15日)
(2)2014年7月31日、韓国海軍の「要注意(関心)兵士」が、所属していた軍艦内で首をつって自殺していたことが分かった (2014年8月1日)
(このところ韓国では、6月にGOP(一般前哨)銃乱射、7月27日には陸軍兵士2人が自殺と、同様の事件が相次いでいる。)
(3)韓国軍の兵士集団暴行死で引責:韓国陸軍参謀総長が辞意(2014年8月5日)
(4)韓国で軍人による犯罪は昨年7530件 過去5年で最多(2014年8月7日)
(5)韓国軍兵士の4割がうつ病、日常的ないじめなどが原因(2014年8月18日)


藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行
 第3章 日本軍隊の特質
1.精神主義への過信
①日露戦後の軍事思想
②白兵主義の欠陥
2.兵士の人権
①軍紀と服従
②無視された人権
③生命の濫費で勝利を購う
3.兵站部門の軽視
①差別されていた輻重兵科
②経理部への差別
③軍医部の地位向上策
4.幹部教育の偏向
①精神重視の教育と幼年学校
②幼年学校出身者の要職独占とその弊害
5.降伏の禁止と玉砕の強制
①日本軍の捕虜政策とその転換
②戦陣訓と捕虜禁止
③命令された「玉砕」

いじめ駆け込み寺
(私は5年間、自衛隊にいたのでわかりますが……
旧日本軍の悪しき軍隊いじめの伝統を受け継いだ、
体育会系的パワーハラスメントの構造に支配された世界です。
自衛隊は、いじめの巣窟


  日本の自衛隊も韓国軍と同類の、
旧日本軍の右翼優遇の体質を受け継いだ
いじめ体質がある可能性がある。


 自民党を支配している右翼組織の「日本会議」 の考える日本の伝統とは何かを以下で考えます。
 
 その日本の伝統とは、以下の、戦前の「思想善導(青少年健全育成)」による「教化総動員」体制のことを意味しているように思います。
(ただし、その思想善導運動を進めるためには、もう1つの要素として、「治安維持法」が必要になりますが。) 


次に、旧日本軍の兵隊たちの運命を見ます。

日中戦争や太平洋戦争の戦没者230万人:6割「餓死」の学説も=無謀な作戦が惨劇招く
2014年08月15日

 歴史学者の故・藤原彰氏(一橋大名誉教授)は旧厚生省援護局作成の地域別戦没者(1964年発表)を基礎データに独自の分析を試みた。
著書の「餓死した英霊たち」(青木書店)で、全戦没者の60%強、140万人前後が戦病死者だったと試算。
さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけた。

 個別の戦闘ではある程度のデータが残っている。
「戦史叢書」(防衛庁防衛研修所戦史室編さん)によると、
「ガダルカナル島の戦い」(1942年8月〜43年2月)では、
日本陸軍3万1000人のうち約2万人が戦没。
その約75%、約1万5000人が栄養失調症、マラリア、下痢、かっけなどによる死者だったという。

太平洋戦争戦跡地
戦没者の60%強140万人は餓死であった
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html
230万人はどのように戦死したのか?

◆「英霊」たちの区分けⅡ――百数十万の日本兵の大量餓死は、なぜ引き起こされたか
(ニューギニアでは、数次にわたって14万8000人の大兵力が送りこまれ、その90%を超す13万5000人が亡くなりました。自決した方面軍司令官の安達中将が「その大部は栄養失調に起因する戦病死」と記したように、原因は餓死でした。)

インパール帰還兵の証言二
(半死の状態の者は自殺用に「手榴弾をください」と訴えた。だめだというと「私を殺してください」と哀願してきた。長い軍隊生活の中でも、これほどの惨状は初めてだった。)
(インパール作戦は「糧は敵から奪うので何とかなる」という作戦だった)
(この指揮官は、安倍内閣のように部下の慎重論に一切耳を貸さなかった。あげくは、作戦に参加した3人の師団長を全員解任、更迭した。)



 次に、現在の日本の政治の現状を簡単に見ます。

(参考データ)日本の政治の結果の経済
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000026271631
厚生労働省の毎月勤労統計調査の統計表一覧、季節調整済指数及び増減率11(実質賃金 季節調整済指数及び増減率、現金給与総額(5人以上))から(1月-3月)データを抽出

http://www.stat.go.jp/data/gousei/soku10/zuhyou/1s.xls
総務省統計局家計消費指数 結果表(平成22年基準)の、総世帯の家計消費指数のデータから、実質家計消費指数を抽出

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa14/index.html

母子家庭の原因の離婚の原因は貧困
http://sightfree.blogspot.jp/2012/10/1995.html
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/rikon10/01.html

2015年3月6日:ふつうは業績回復が先行し、その後に人件費は増加していく。ところが、現状ではそうなっていない。

2015年6月8日:安倍政権はこれでも派遣法を改悪するのか?派遣労働で貧困にあえぐ”普通の女性たち” 
http://www.jil.go.jp/press/documents/20150630.pdf

2014年02月10日11時52分
【日本の給与レベルは16年ぶりの低水準、アベノミクスが新たな壁に直面=アメリカのメディアが報道】
 米メディアはこのほど、日本の給与水準が低下し続けているため、給与の引き上げなどを通じてデフレの脱却を目指す「アベノミクス」が新たな壁に直面して いるとの見方を示した。また、多くの中小企業の賃上げが見送られている中、一部の大手企業のベースアップだけで4月の消費税引き上げの悪影響を解消できる かどうか現時点では不明だと指摘した。


(当ブログのコメント)
 アメリカのメディアの予想通り、2014年は、消費税の3%の引き上げを全く解消できずに、2014年度分の(5人以上職場の)実質現金賃金は、2013年度より3%低下し2010年の94.9%(1998年の88.3%)に下がった。

日本と中国の名目GDP(ドル換算)
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPD&c1=CN&c2=JP
http://ecodb.net/exec/trans_country.php?type=WEO&d=NGDPD&s=1980&e=2015&c1=JP&c2=US&c3=&c4=&c5=&c6=

2014年11月19日
 海外メディアが相次いでアベノミクスを痛烈批判!タイム誌「消費税よりもアベノミクスそのものが失敗」「日本が景気後退入り」 

2014年12月1日
 米格付け会社ムーディーズ・インベスターズ・サービスは2014年12月1日、日本の長期国債の格付けを「Aa3(ダブルAマイナスに相当)」から「A1(シングルAプラス)」へ1段階引き下げたと発表した。財政赤字削減目標の達成可能性に不確実性が高まったほか、デフレ圧力の下で成長戦略のタイミングと有効性に対する不確実性が高まったと判断した。
(これで、日本国債の格付けは中国国債や韓国国債やサウジアラビア国債よりも低くなった) 


2015年4月27日
 米格付け会社フィッチが、日本国債を格下げした。

◆円安で流出する日本の所得
円安の進行は、経済成長の観点からは成長率を押し下げる方向に働く。 

 次に、現在の日本の政治の流れを簡単に見ます。
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2011年(第177国会)に、自民党の
高市早苗(自民党)稲田朋美(自民党)山谷えり子(自民党)下村博文(自民党)西村康稔(自民党)山本拓(自民党)が、
児童ポルノ単純所持罪の制定の請願を国会に提出した。


【安倍内閣の教育再生実行会議の八木秀次委員が、2014年5月3日に北海道札幌市で開催された在日特権を許さない市民の会(在特会)系集会「日本のため行動する会」に参加していた。】
 (在特会副会長だった桜ゆみこ氏が会のページ上で告知を投稿した2009年10月27日開催の「10・27「日本解体法案」反対請願受付国民集会&デモ」にも、発起人の連名に複数の国会議員とともに八木秀次氏の名前がある)
 (当ブログのコメント: 日本会議(在特会)は、やはり、戦前の教育体制「思想善導(青少年健全育成)」に力を入れているようだ。)


在特会の桜ゆみこは山本優美子として「なでしこアクション」を立ち上げて活動しています
桜ゆみこ在特会副会長
→山本優美子「なでしこアクション」代表
→「慰安婦問題を糺し、毅然とした国の対応を求める国民集会」開催 桜ゆみこ(山本優美子)、桜井誠の写真がこれ。
 奥に写っている桜ゆみこ在特会副会長が、
 山本優美子となって「なでしこアクション」代表に。 なでしこアクション
「慰安婦問題を糺し、毅然とした国の対応を求める国民集会」開催。
 2012年11月6日衆議院第一議員会館。
 参加した「極右」国会議員。
 基調講演 山谷えり子
 (2012年11月6日山谷えり子議員が在特会系の「なでしこアクション」で基調講演) 

元在特会副会長の呼びかけに参集した議員ども
古屋圭司
稲田朋美
衛藤晟一
塚田一郎
宇都隆史
『現・国家公安委員長』の山谷と『前・国家公安委員長』の古屋圭司が共に『なでしこアクション』(元在特副会長が主催するヘイト団体)のイベントでスピーチしていた。・・・ついでにネオナチ稲田朋美も一緒だ。

18歳選挙権 教員の政治活動に罰則も 自民部会了承
2015年7月3日 東京新聞朝刊

 自民党の文部科学部会(冨岡勉部会長)は二日、選挙権年齢を「十八歳以上」に引き下げる改正公職選挙法の成立を受け、学校教育のあり方をまとめた提言を了承した。

公立学校の教員の政治的行為の制限を強化し、
違反には罰則を科すため、
教育公務員特例法の改正を盛り込んだ。
罰則の内容は明記しなかった。
月内にも政府に提言する方針。

 提言は選挙権年齢の引き下げに伴う「学校教育の混乱を防ぐ」ことを目的に掲げた。
 教員は「政治参加に関する指導で個人の考えや特定のイデオロギーを押しつけることがあってはならない」と明記した。
 これまでも教員の政治活動は制限されていたが罰則規定が設けられれば、教育現場が萎縮する可能性は否定できない。

 団体などが特定政党に偏った教育を教員にさせることを禁じた法律も改正し、
対象を現行の義務教育から高校まで拡大するとした。

 新たに選挙権を持つ高校生への対応では「政治的活動は学校内外で抑制的であるべきだとの指導を高校が行えるよう政府が責任を持つ」とした。
家庭には「子供を街頭演説に連れていったり、投票所で投票している様子を見せたりすることを通して、政治への関心を高める」ことを求めた。
保護者が子供を投票に同行させることを可能にする公選法改正も提唱した。

 提言作成を主導した池田佳隆衆院議員は「一日も早くそういう形にしたい」と記者団に述べ、法改正に意欲を示した。

 自民党は野党時代の二〇一〇年に、
公立学校の教員が政治的行為の制限に違反した場合、
三年以下の懲役か百万円以下の罰金を科す特例法改正案を国会に提出したが、廃案になった。

◆教育の放棄につながりかねず

 林大介東洋大社会学部助教(政治学)の話 こうしてはいけないと上から押さえ付けると、現場は萎縮する。
教員が生徒に「自分たちで材料を見つけて考えて」と教育を放棄することにつながりかねない。
教員がデモに参加したり、SNSで意見を発信したりするような学校外の活動まで制限するべきではない。
生徒に多様な意見をバランスよく提示し、自由に話せる環境づくりをしてほしい。 

(当ブログのコメント)
 安倍政権は、以下に説明する治安維持法によってイノベーションの源泉の科学やアカデミズム(批判精神・現状変革力を根源に持つ)を否定した時代を再現したいのではないか。

(教育規制の経緯)
 以下に、日本会議による教育規制の動きを書きますが、その前に一言言いたい。
 日本会議は、日本を戦前の状態に戻して日本人の真の力を発揮させるのだというビジョンを抱いているのだろうと考えます。
 それならば、劣化した日本の国力を取り戻す力を見せて欲しい。日本の国力を上げる力も無い無能力者の日本会議は早く退場して欲しい。 

(教員の処罰の背景)
 社会の貧困問題が大きくなって来ているので、教員が社会問題を学生に知らせると政権を批判をする学生が育つ可能性があるため、安倍政権が社会教育を禁止しようとしていると考えられる。
 民主主義体制ならば、政権批判を恐れる必要は無いが、戦前体制では批判意見を封じる必要があるためと考えられる。

 以下に、 日本会議による教育規制の経緯を書きます。以下の動きは日本会議という集団全体による動きであり、ある個人が統制した動きではないかもしれない。しかし、日本会議の成員は事件に共同責任を負っていると考えます。


1981年10月、日本会議の前身の「日本を守る国民会議」が発足した。日本会議が発足したのは1997年5月。「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の二つの保守系団体が統合され、今日の姿になった。

1989年7月、右翼の梶山茂が、本島長崎市長に対して実弾入りの脅迫状を送った。その後逮捕・有罪(懲役二年)になった。1990年5月24日国会で話題
梶山茂は、全国教育問題協議会の顧問をしている。
山谷えり子も、梶山茂と一緒に全国教育問題協議会の顧問をしている。

梶山茂は在特会関係者

1990年1月18日、本島長崎市長が右翼の若島和美に銃撃された。

1994年、「終戦50周年国民運動実行委員会」が結成された。
(会長・加瀬俊一元国連大使、最高顧問・福田赳夫元首相)
この委員会は、日本を守る国民会議、日本遺族会、神社本庁、英霊に応える会、新日本協議会、明治神宮、靖国神社、神道政治連盟、教科書を正す親の会など右派勢力が結成した。

1994年12月、自民党が「終戦50周年国会議員連盟」を結成。
(奥野誠亮会長、板垣正事務局長、顧問・橋本龍太郎など、衆参161議員)
 敗戦50周年の1995年8月15日に企画されていた、侵略戦争を反省し、戦後処理問題に一定の見通しをつけて、アジアとの和解を実現するための国会決議に反対するために「終戦50周年国会議員連盟」が結成された。

 この議員連盟は、「終戦50周年国民運動実行委員会」と一体となって、
「日本は侵略国ではない」「戦争反省決議反対」「英霊に応える決議を」などと主張して、地方議会決議(26県、90市町村が決議)や署名運動(456万筆達成)に取り組んだ。
 この議連や右派勢力の運動が「成功」して、敗戦50周年決議は、当初の目論見から大きく外れ、侵略戦争の反省などまったくない内容になった。
 終戦50周年国会議員連盟は、96年6月、「明るい日本・国会議員連盟」(奥野誠亮会長、板垣正事務局長)に発展的改組された。
この議員連盟は、歴史・検討委員会の侵略・加害否定の「研究成果」と「業績」を受け継いで、95年1月に発足した新進党(当時)の「正しい歴史を伝える国会議員連盟」(小沢辰男会長)と共同して、96年の教科書「偏向」攻撃で中心的な働きをおこなった。
 同議連は、「『慰安婦』は売春婦」というキャンペーンを行い、96年6月以降は、教科書の「慰安婦」や南京大虐殺記述を攻撃し、教科書からの削除を要求して活動した。
 この議連の活動は、97年2月の「若手議員の会」の結成以降は、「若手議員の会」に引き継がれることになった。

1995年1月、新進党議員の「正しい歴史を伝える国会議員連盟」が結成された。

1997年5月、「日本会議」が発足した。安倍政権を完全支配する「日本会議」の源を探る。

1999年1月31日、元在特会幹部の増木重夫が事務局長をする「教育再生・地方議員百人と市民の会(百人の会)」が増木らによって設立された。
産経新聞が主導した新しい歴史教科書をつくる会の運動と連動した動きである。
山谷えり子が(実質的に筆頭の)顧問をつとめた。
(増木氏は「山谷えり子氏とは十五年ほど前に、(百人の会の)顧問をお願いしてからの付き合い」としている。)

 http://matome.naver.jp/odai/2141112838210565301
2009年8月17日撮影、増木重夫元在特会関西支部長(左)と笑顔で写真を撮る安倍晋三(サイトより。現在は削除済)

【山谷えり子国家公安委員長が在特会系行事に参加しまくっていたことが判明】

山谷国家公安委員長、2010年12月8日に、増木(元在特会幹部)を議員会館に招いて写真撮影していた

2000年2月 山谷えり子が顧問をしている教育再生地方議員百人と市民の会」を代表して土屋敬之(たかゆき)議員が東京女性財団作成の『ジェンダー・チェック』を不適切と批判。 

2000年4月、参議院自民党政策審議会の下に設置された青少年問題検討小委員会が、「青少年社会環境対策基本法案」(当初は、青少年有害環境対策法案)を策定した。(青少年健全育成基本法案)

(社団法人日本図書館協会、2001年3月21日)
  参議院自民党政策審議会の下に設置された青少年問題検討小委員会が昨年4月に策定した「青少年社会環境対策基本法案」(当初は、青少年有害環境対策法案。以下、法案)が、議員立法として今国会に提出されようとしています。
   日本図書館協会は、戦前に公立図書館が国家意志を担って「思想善導」と 検閲のための機関となった歴史を反省し、戦後、「図書館の自由に関する宣言」(1954年総会決定。1979年改訂)を図書館界の総意として確認し、国民 の知る自由・学習する権利を保障することが公立図書館の基本的任務であることを表明しました。
少数意見、あるいは不快、危険と批判を受ける表現をも含め、 言論・思想が自由に表出され自由にアクセスできることが必要です。それが日本国憲法の原理の求めるところであり、図書館はその実現維持のために不断に努力 することを使命とします。
   本法案は、政府と地方公共団体に対し、子ども達の発達に悪影響を与えると考えられる商品や情報を幅広く規制する権限を与えるものです。子ども達が幸せに成長することは社会の願いです。しかしながら、法案はそれに応えるものではなく、次のような重大な問題点をもっています。
・・・・・
  第2に、政府は1977年度以来、再三「有害」図書類と青少年の「逸脱行動」と を関係づけるべく調査を重ねていますが、「有害」図書類に接することが逸脱 行動の原因であるという結果は得られていません。
・・・・
 第5に、政府や地方公共団体などの行政機関に、社会の木鐸たる報道メディア に直接介入する権限を与えることです。すでに報道・出版に関わる諸団体から 検閲の危険さえ指摘されていますが、私たちもその危惧を抱くものです。


2000年6月、8月、安倍晋三宅火炎瓶事件
安倍晋三の事務所がヤクザに対立候補の中傷を依頼!?安倍氏宅火炎瓶事件まとめ
(下関市市長選のときに、暴力団工藤会の組員らが、市長選に出馬した古賀敬章氏を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)した怪文書をバラまくという仕事を、安倍事務所の秘書から請け負って、それをきっちりやり遂げた。
 業界で言うところの「裏選対」というやつだが、この報酬が待てど暮らせど安倍事務所から支払われない。ヤクザをダマすとはいい度胸しているじゃないかということで犯行に走った、というのだ。)

その真相というのは、
①安倍事務所が小山氏に安倍氏が推す市長候補の対抗候補者の選挙妨害を依頼、
②小山氏、怪文書を作成して撒く、
③見返りに土建工事を出すとの約束の「念書」を地元秘書が出す、
④現金3百万円は秘書を通して受け取ったものの、肝心の工事の方は1年以上経っても出されない、
⑤小山氏、怒って工藤会に襲撃依頼
ということで、このことは裁判でも明らかになっています。(しかしマスゴミはそのこともやはり報じなかった)

2000年の衆院選の際の2000年5月に、雷韻出版という会社から『誰も知らない日本共産党のホンネ』という本が出版され、
自民党が全国で日本共産党を攻撃する“宣伝ビラ”として大量に撒かれた。雷韻出版の当時の代表はネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」の代表と同一人物であった。
2000年6月21日の『赤旗』は、自民党広報本部長の名で全国の支部にあてた「通達文書」をすっぱ抜き、自民党本部がこの本を大量に買い取り、選挙に活用するよう全国に通知していたと報じている。
 ようするに選挙違反にならないよう、自民党が本の宣伝の体裁をとって共産党攻撃を仕掛けていたわけだが、問題はその本の出版元だ。
この本を出版した雷韻出版の当時の代表がネオナチ団体「国家社会主義日本労働者党」の代表と同一人物であり、2011年に、高市や稲田とツーショットにおさまっていた。

2001年9月「日本女性の会」(日本会議系組織)結成(山谷えり子、西川京子、高市早苗(山谷えり子が顧問の「百人の会」の顧問)らが副会長)。


http://matome.naver.jp/odai/2140963578944305601
出典nsjap.com
高市早苗政調会長と山田一成

山谷えり子氏が衆議院文部科学委員会で性教育・性の自己決定権を批判。2001年10月31日
(衆議院文部科学委員会での山谷えり子の質問)
((主体的に選択できる自己決定権を持つことが女性の)基本的人権としての選択肢の一つであるというようなことが確認されたというような文章では、私の読解力ではそういうふうに読み取れなかった)
(自己犠牲の美しさというような献身、それから上に立つ者のやせ我慢みたいなものを伝えていくというような教材の選び方があってもいいのではないか)


2001年11月19日、山谷えり子氏が、統一協会の日刊紙世界日報』で夫婦別姓問題で「通称使用拡大で十分」と発言。2001年11月
夫婦別姓選択性推進を求める申し入れ女性国会議員有志リスト
http://www.kaigamori.com/bessei/info/mousiire.html
統一協会の日刊紙世界日報のサイト (7)通称の使用拡大で十分/衆議院議員 山谷えり子氏 (8)家族は「運命共同体」/衆議院議員 山谷えり子
http://www.worldtimes.co.jp/mem2/features/nisikawa/main.html
(警察庁を管理する国家公安委員会のトップが、国が問題視する団体と「深い関係」なんて冗談ではない。)


2002年7月3日:
小泉内閣は有事法案の成立と教育基本法改悪をワンセットで一挙に進めようとしている
--有事法制反対と教育基本法改悪反対との結合を--
 文部科学省は、2001年11月に「教育基本法のあり方及び教育振興基本計画策定」に関する諮問を中教審に対して行いました。
これは、教育基本法の早期改悪を要求する自民党内の強硬姿勢に後押しされたものでした。
「2002年5月24日にも、有事関連三法案の衆院強行採決か?」と報道され、政府与党の強行突破で今国会における有事法案成立の可能性が現実になったのと同じ頃に、

中教審の「基本問題部会」(座長:鳥居泰彦中教審会長(2001年から2006年まで))を設置し、
鳥居会長は、5月28日の総会で、反対意見の存在を無視して、6月21日の総会には「基本法見直しの骨子」(=見直すという結論と見直し内容の骨子)を提出するとの強硬姿勢を明らかにしました。
2003年10月1日:国立大学が法人化された。

2002年6月27 日本会議の山谷えり子衆院議員を代表に、「行き過ぎたジェンダーフリー教育や性教育から子どもを守る」ために「健全な教育を考える会」を結成。
民主党国会議員78人、山谷えり子氏が代表幹事。

2002年8月:土屋たかゆき議員(山谷えり子が顧問の「百人の会」の理事)が、統一協会の日刊紙の『世界日報』の(2002年8月4日「首都圏のぺージ」)で発言。

2002年10月:山谷えり子議員が、統一協会の日刊紙の『世界日報』2002年10月31日号で、「禁欲教える価値観こそ必要」と発言。

2002年11月:山谷えり子議員が、統一協会の日刊紙の『世界日報』2002年11月4日号で、「フリーセックスを奨励する」「日本では一部の性教育者たちの思い込みで過激な性教育が選択の余地なく行われている」と発言。
 (そもそも公党の議員が、裁判でも明確になっている反社会的な犯罪集団の機関紙・誌に登場し、その運動に結果的に与することにまったく疑問を抱いてないとすれば、そうした議員活動こそ”不適切”であり、こうした協力関係をつづけていくこと自体が”逸脱”行為であるといわざるをえないのではないでしょうか。)

2003年7月2日都議会で「行き過ぎたジェンダー・性教育」に懸念を持つ議員が、当時の東京都教育長に、この頃七生養護学校で使われていた『からだうた』という歌の歌詞について「質問」した。
2003年7月2日に都議会で質問した都議会議員・土屋敬之(たかゆき)
山谷えりこ議員が顧問をしている「教育再生地方議員百人と市民の会」東京支部理事)は授業内容を「世間の常識とかけ離れた教育だ」と述べ、都教委に「毅然とした対処」を要求。


2003年7月2日,C都議は都議会定例会での一般質問で,
「最近の性教育は,口に出す,文字に書くのもはばかられるほど,内容が先鋭化し,世間の常識とかけ離れたものと なっている」,
「ある都立学校養護学校(※内容から七生養護と分かる)の教諭は小学部の 児童に『からだのうた』を歌わせている」「男女の性器の名称を歌うことになっている」 と,
七生養護を名指し同然に非難し,
さらに都教委に対し,
①不適切な教材配置の実施を 調査すること,
② 320 人いる指導主事を活用して教員を直接指導すること,
③週案の提出 を徹底させること,
④不適切図書や教材について,第一に調査,第二に廃棄処分すべき, 
と要求して教育現場への介入・統制を促した。
これに対し,石原都知事は
「どれを見ても,あきれ果てるような事態」
「異常な何か信念をもって,異常な指導をする先生」
など と答弁し,
教育長も,
「とても人前で読むことがはばかられる」
「極めて不適切な教材」
と決め付けた上,C都議が求めた行動①~④を積極的に実行していく旨答弁した。
マスコミでは一社のみがこれを報道した。

2 「視察」と称し大挙して学校に乗り込む
 そのわずか二日後の7 月4 日,A,B,C都議は,「視察」と称して,市議2 名,区議 1 名,都教委指導主事ら7 名,報道した新聞社の記者1 名を同行して七生養護を訪れた。 

A都議がこの新聞社だけに声をかけた理由は価値観が合致するからということであった (同新聞は,かねてよりフェミニズム,ジェンダーフリーを敵視する観点から教育現場へ の批判を重ねていた。
「最近は男らしさ,女らしさまで否定する過激なフェミニズムが教育現場に浸透」,
「男らしさ,女らしさを否定するジェンダーフリー教育の弊害は,国を危うくすることになりかねない…日本の伝統や文化も無視」
など)。

 一行は,まず校長室で校長から1 時間ほど説明を受けた。

同校長は同年4月に赴任した ばかりで,「こころとからだの学習」の実践を見たことすらほとんど無く,教材の使用目的・使用方法や授業の意図もろくに説明できなかった。
にもかかわらず,同校長が当日配布した資料には
「今後の対応について」として
「指導主事の訪問を依頼し,見直しについて具体的な指導を仰ぐ」
「不適切な教材・内容は廃棄・中止する」
「月別の指導計画,週の授業計画の事前提出を求める」
と記載され,三都議らの要求に沿った方針が既に示されていた。
校長は都議らと都教委のすりあわせの結果を先に伝えられ受諾させられていたのであり,
「説明会」とは名ばかりのアリバイ作りに過ぎなかった。

3 保健室での侮辱・教材持ち去り
 その後,都議らは保健室の「視察」を要望し,

都議ら17 名(七生養護の管理職3名を含む)が保健室に一斉に移動し,入室した。
都議らは室内にいた養護教諭2名に挨拶や自己紹介もないまま保健室内を物色し始め,
保健室内の教材を撮影したり,
教材を棚から取 り出すなどし始めた。
C都議が「大きい人形があるだろう!出して!」と命令口調で,養 護教諭に人形を運び出させて,机の上に下半身だけ衣服を脱がせた形で並べ,
同行した新 聞記者に写真を撮らせた。
都議らは,精通指導用の教材や,コンドーム装着用の棒等を見 て
「常識では考えられない」
「あなた,『からだうた』を宴会で歌えるんですか?感覚が麻痺しているよ!」
「教員が性器のみに執着しているから,こんな指導になるんだ。ここは 治外法権じゃない」
「どこの大学を出ているのか知らないけれど,あなたもっと勉強しなければならない」
などと養護教諭を罵倒した。
さらに,ファイルを勝手に持って行こうと したB都議に,養護教諭が
「何を持って行くのか教えて下さい」
「性教育検討委員会に使 う資料がある」
と言うと,
B都議は
「俺たちは国税と同じだ。1 円までも暴いてやるからな」
「何を使いたいかそれを抜け。コピーして持って行く。それで仕事ができないという なら能力が低すぎるということだ!」
「名誉毀損で訴えるからな!」
など威圧的な言葉を重ねた。
都議らが立ち去った後,養護教諭らは今まで取り組んできたものを全て否定され た屈辱と恐怖心から,抱き合って泣き出してしまった程であった。
この「視察」の際に持 ち去られたり,この前後に提出を求められたりして,性教育に関する教材・資料はほぼ根こそぎ都教委に没収された形となり,授業に著しい支障が生じた

2003年10月1日:国立大学が法人化された。

2005年10月:保守系の女性議員を輩出することをめざした「建て直そう日本・女性塾」
(初代塾長、山谷えり子
二代目塾長、稲田朋美
幹事長、伊藤玲子・前鎌倉市議会議員)
設立(2005年10月)
 http://matome.naver.jp/odai/2140963578944305601
出典nsjap.com
稲田朋美内閣府特命担当大臣と山田一成

2005年11:山谷えり子氏が内閣府大臣政務官(男女共同参画担当)に就任

安倍晋三と「2006年8月15日:自民党の加藤紘一宅放火事件
(この放火事件で加藤紘一・自民党元幹事長の実家兼事務所が全焼した事件で、容疑者が8月29日にやっと逮捕された。
 犯人は、右翼団体「大日本同胞会」堀米正広。
右翼団体「大日本同胞会」は、暴力団「住吉会」の鈴木康夫常任相談役が率いる「音羽一家」の系列だそうです。
加藤氏が安倍首相の靖国神社参拝を批判してきたことが事件と関係していると見られている。
(当ブログのコメント: 安倍内閣の山谷国家公安委員長と深く結びついている在特会の協賛団体に、暴力団住吉会の会長が最高顧問をしている右翼団体の「日本青年社」が加わっています。)

以下は、Copy:殺人をほのめかすヘイトデモを「政府が承認」する時代に移行した」に詳細を記載:
日本青年社最高顧問・西口茂男と、住吉会会長の西口茂男については同一人物
*在特会の協賛団体に指定暴力団傘下住吉会系右翼の「日本青年社」が名を連ねてる。
*警察が在特会のデモを守るようになる以前は、暴力団住吉会系の右翼「日本青年社」が在特会のデモを守っていた。 
(日本青年社は、問い合わせに対して、[在特会とは”友好関係”]と回答している。)
(安倍晋三は、暴力団住吉会系右翼団体の日本青年社の関係する(北朝鮮に誘拐された被害者を)「救う会」の活動を通じて政治権力を強めてきた。自民党の森派が一枚噛んでいる(北朝鮮に誘拐された被害者を)「救う会」と住吉会系右翼「日本青年社」の間に密接な関係がある。具体的には、北朝鮮拉致問題の新潟・救う会会長、水野孝吉は、指定暴力団住吉会系の日本青年社の幹部である。
 自民党の「安倍晋三」元総理大臣と「加藤紘一」元官房長官は何故、仲が悪いのですか?
(安部さんが総理の時、小泉改革を継承した安部改革に対して、復党していた加藤さんが強く反対した。これが一番大きな理由でしょうかね。)

-------安倍内閣開始-------------------------------
2006年9月26日、安倍内閣(及び大臣並みの地位の首相補佐官)が組閣され、「歴史教育議連」「日本会議議連」に参加しているメンバーが大量に登用される。
バックラッシュ派である高市早苗(山谷えり子が顧問の「百人の会」の顧問)が少子化・男女共同参画担当大臣、
山谷えり子氏が教育改革担当首相補佐官、下村が官房副長官になる。

2007年2月13日、日本共産党の志位和夫委員長が、衆院予算委員会での総括質疑で、子どもの中での貧困の広がりを指摘し、「成長の可能性をはばむだけでなく、貧困が次世代に引き継がれる危険をつくりだしている。日本の未来にとって重大な問題だ」と、安倍晋三首相を問いただした。
志位氏は、経済協力開発機構(OECD)の報告書をもとに、平均的所得の半分(貧困ライン)以下の家庭で暮らす子どもの割合が、OECD諸国平均を上回る 14・3%にのぼると指摘。とくに母子家庭・ひとり親家庭では貧困ライン以下の家庭で暮らす子どもの割合が57・9%にものぼり、平均の三倍近くになるこ とを明らかにした。

 安倍首相は「貧困が再生産される日本にしてはいけない」と答弁した。

 志位氏は、子どもの貧困に向き合う政治の責任として、予算のあり方と最低賃金の問題を取り上げた。

 志位氏は「税制と社会保障で所得の再分配をおこなうことが予算の役目だ」と指摘。ところが、日本では税制と社会保障によっても子どもの貧困率が逆に1・4%高まるという逆立ちぶりを浮き彫りにしたグラフを突きつけた。

 志位氏は、所得の低い母子家庭に対して子どもが十八歳になるまで支給されている児童扶養手当の大幅削減を政府がすすめようとしていることを批判し、
生活保護を受けている母子家庭への母子加算の段階的廃止を政府がすすめようとしていることを批判し、
「母子家庭の『命綱』を二本ともたち切ろうとする冷酷な政治だ。
中止を強く求める」と要求した。

 母子加算の段階的廃止について、安倍首相は「生活保護を受給している世帯と、していない世帯との公平性をみないといけない」とのべた。志位氏は「懸命に 生きている母子家庭から母子加算を取り上げるのではなく、必死に働いても生活保護水準以下の暮らししかできない母子家庭の水準を引き上げるために心を砕く ことこそ、本当の公平性だ」と厳しく批判した。

最賃の抜本的引き上げを

 さらに志位氏は、貧困の広がりの土台に世界でも最低水準の最低賃金があるとして、「最低賃金で働いても貧困にならない社会を目標にし、最低賃金を労働者の平均的所得の五割にすることを目標に掲げるべきだ」と求めた。

 安倍首相は「中小企業を中心に事業経営が圧迫され、雇用が失われる可能性が高い」と答弁。
志位氏は「中小企業の経営を圧迫するというなら、無法な下請けいじめをやめさせることこそ必要だ。
最低賃金の抜本引き上げを中小企業の経営を応援する政治と同時並行ですすめるべきだ」とのべた。
その上で、「貧困と格差を土台からただしていくために、最低賃金を抜本的に引き上げ、全国一律の制度とすることを強く求める」と強調した。

2007年3月、安倍政権下で、 安倍首相の地元、山口県の原発建設予定地の四代正八幡宮という神社で、原発建設に反対して解任された林宮司が06年、山口県神社庁を相手に文書の偽造、違法手続があったとして裁判を起こしたが、裁判の途中の2007年3月に突然に死亡

2007年4月17日、安倍政権下で、伊藤一長長崎市長が右翼の城尾哲弥に銃殺された。

2009年10月1日、在特会と関連団体を批判するジャーナリストに抗議する目的で在特会系右翼団体『そよ風』メンバーらが数十名規模でジャーナリストのマンションや「実家」に掛けつけ、いやがらせをした。

2010年3月30日:
「国立大:法人化後医系・文系で研究の質低下」
 論文・学会発表の数が、医歯薬学系では「(法人化前より)減った」との答えが57.7%、文科系も34.5%に上り、それぞれ「増えた」を上回った。

 「職場の雰囲気」が「悪化した」との回答は、医歯薬学系47.1%、文科系45.9%と、
悪化の割合が理工系、農学系より高かった。 

2010年5月4日、埼玉県浦和市で開催された在特会系の集会に長谷川三千子NHK経営委員と上田清司埼玉県知事が在特会のベテラン会員の村田春樹らとともに登壇

2010年6月24日、山谷えり子が、桜組の副代表の松谷祐子(在特会関係者)から政治献金を受領(2010年1月18日も)

2013年12月:文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長:日本会議関係者の鳥居泰彦)は2日、現在は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」について、教科への格上げを求める最終的な報告書案を、修正を鳥居泰彦座長に一任し下村博文文科相に提出した。


2010年3月30日:
「国立大:法人化後医系・文系で研究の質低下」
 論文・学会発表の数が、医歯薬学系では「(法人化前より)減った」との答えが57.7%、文科系も34.5%に上り、それぞれ「増えた」を上回った。

 「職場の雰囲気」が「悪化した」との回答は、医歯薬学系47.1%、文科系45.9%と、
悪化の割合が理工系、農学系より高かった。 

2013年12月:文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇談会」(座長:日本会議関係者の鳥居泰彦)は2日、現在は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」について、教科への格上げを求める最終的な報告書案を、修正を鳥居泰彦座長に一任し下村博文文科相に提出した。

2014年8月4日:国立大学法人評価委員会
(2003年から2009年まで、日本会議関係者鳥居泰彦が委員に在籍していた)
(文部科学省は国立大に人文系はいらないと考えている)
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/08/13/1350876_02.pdf

2014年9月2日:東京新聞朝刊
国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“
「文部科学省は先月2014年8月、同省の審議会『国立大学法人評価委員会』の論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」

2015年5月27日:
文部科学省が、国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換(文科省が素案提示)

大学の「文学部」が政府に消されようとしてる…
 
国立大学改革亡国論「文系学部廃止」は天下の愚策
(この件は、「東京新聞」などの少数を除いて、ほとんど報道されません)
------------------


 次に、兵隊たちの過半数が餓死した戦争に至る歴史を見ます。

-日本の、「科学を論じないしきたり」の歴史的背景-
戦時体制下における教育思潮
から引用。
 


1917年(大正6年)から1918年(大正7年):
 第一次大戦
(~1918年)の好況に社会の一部は潤いながらも、
米をはじ めとした物価は高騰を続けた。
米騒動(1918年)小作争議(1922年~)労働争議(1921年3万人の争議)(1922年~)

など、
社会全体が大きな動揺をしていた。
 また、河上肇の個人雑誌『社会問題研究』や山川 均等の『社会主義研究』等により社会主義運動が活発化した。


(当ブログのコメント)江戸時代では、百姓一揆を弾圧し首謀者を見せしめに処刑していたが、大正時代の政府は小作争議に対しては、問題を根本的に改善する農地改革の知恵を出した。
 しかし、労働争議に対処する知恵は出さなかったように思います。

1923年に、日本共産党の大検挙。
1924年、全国高校で、社旗禁圧・暴圧反対運動。
1925年、一高・三高の研究会解散命令に対する学連の抗議運動。

1925(大正14)年、政府は大正中期以降の反体制運動の高揚に対して,普通選挙法と治安維持法を制定した。
治安維持法制定当時、政府は「慎重に運用」「一般国民とは関係ない」と説明した。


1925年末から1926年初め、京大生を中心とする治安維持法・出版法違反事件がおきた。

1927年:日本での「金融恐慌」

1928年6月には,治安椎持法が改正された。
---------補足-----------
・1928年の治安維持法の改正の趣旨
 この時の改正は2つの目的を持っていました。
①一つは結社罪の最高刑を死刑としたこと*2
②もう一つは目的遂行罪(結社に加入していなくても、国体変革等を目指す結社の目的に寄与する行動を罰するもの)の設定でした。
 特に後者について、改正後に拡大適用されて猛威を振るうことになります。

 この改正(改悪)は、政権や公安警察にとって不都合なあらゆる現象・行動を治安維持法違反にしたという意味を持つ
---------補足おわり------
 
第1の思想弾圧事件(3.15事件)

 1928年3月15日:第一回普選(1928年2月)での無産政党(共産党)の進出に脅威を持った政府は,選挙直後の3月15日,全国いっせいに日本共産党・労農党・労働組合評議会・無産青年同盟の関係者を多数検挙し,さらに労農党以下3団体の解散を命じた。(3.15事件)
(逮捕者の中に学生150名が含まれていた)


治安維持法違反被疑者の弁護人も逮捕される
 3・15事件の弁護人のリーダー格となった布施辰治は、大阪地方裁判所での弁護活動が「弁護士の体面を汚したもの」とされ、弁護士資格を剥奪された。
 さらに、1933年(昭和8年)9月13日、布施や上村進などの三・一五事件、四・一六事件の弁護士が逮捕され、前後して他の弁護士も逮捕された。
 日本労農弁護士団事件》1933年9月~11月,日本労農弁護士団に属する左派系弁護士30人が検挙された。
 その結果、治安維持法被疑者への弁護は思想的に無縁とされた弁護人しか認められなくなり、1941年の法改正では、司法大臣の指定した官選弁護人しか認められなくなった。

1928年7月には,内務省に保安課が新設され,思想取締まりにあたる特別高等警察を全国に設置し,憲兵隊に思想係を設置するなど,その権力は思想にまで介入することになり,反体制運動への弾圧が強化されたのであった。

1928(昭和3)年12月1日,政府は教学振興・国体観念養成を声明して,「思想善導(青少年健全育成)」への方向で,翌29年8月に,文部省は教化総動員の運動を企画し,これを全国的規模で推進した。

(当ブログのコメント:思想善導は、現代の日本の青少年健全育成に対応する概念です。)


  この教化総動員を打ち出すにあたって,文部官僚の危機感は,思想国難,経済困難として表現されている。 教化総動員は,田中内閣に変わって,1929(昭和4)年7月に成立した浜口民政党内閣の施政方針にしたがうことになった。 それは、 一方で,共産党以下反体制運動を抑圧し, 他方で,金融恐慌後の経済危機を克服しようとする, 資本の産業合理化を支援する経済緊縮政策を援助するために, 政府(権力)の支配下にある全官僚・団体の機構を総動員して展開した一大教化運動であった。

★1928年に、文部省内に学生課(後の1934年の「思想局」の前身)を設置し、組織的に学生の思想を取り締まった。
その業務は:
「一 内外における社会思想の調査研究に関すること」
「二 学生生徒の思想の調査研究に関すること」
「三 学生生徒の思想的運動に関すること」
「四 その他、思想問題に関する調査研究に関すること」
であった。

1929年3月:国会議員の山本宣治(死後に共産党員に加えられる)が、国会で思想善導(「青少年健全育成」に対応する)について質問した後の3月5日に暗殺された。

(当ブログのコメント:思想善導は、現代の日本の青少年健全育成に対応する概念です。

 また、戦後の日本政府は、(弾圧した国民の復讐を恐れ)、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした
(1945年10月4日、GHQから治安維持法の廃止を要求された東久邇内閣は、それを拒絶し総辞職した)
 しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。)

第2の思想弾圧事件(4.16事件)

1929 S(4)4.16事件
・3.15の思想弾圧後に再度、全国規模で全国一斉検挙 700名検挙
 報道禁止されていた
・知識階級の子弟が多く支配者層はショック
・共産党にとっては壊滅的な打撃 活動は以後地下にもぐる
・日本軍の山東出兵反対運動主流派逮捕される
・1929.11.5 新聞報道を解除し「共産党事件」と発表
・幹部党員には無期懲役などの重い刑

1929年に、文部省内の学生課を学生部に昇格させ(後の1934年の「思想局」の前身)、学生の思想の取り締まりを強化した。

1930年:世界恐慌(1929)の影響により、日本が「昭和恐慌」に入り経済が危機的状況に陥る。

1931(昭和6)年:満州事変

第3の思想弾圧事件(司法官赤化事件)

1932年:司法官赤化事件:
 1932年11月12日、東京地方裁判所の判事・尾崎陞が日本共産党員であるとして、治安維持法違反により同地裁の書記4人とともに逮捕された
翌1933年2月から3月にかけては 
長崎地方裁判所の判事と雇員各1人
札幌地方裁判所の判事1人
山形地方裁判所鶴岡支部の判事と書記各1人
も相次いで逮捕された
 逮捕された9人の容疑内容はいずれも
「研究会を開いた」「カンパに応じた」「連絡を取り合った」
などの行為だったが、
日本共産党の目的遂行のためにおこなった行為とみなされ、全員が有罪判決を受けた。
(これらの行為は、政権や公安警察にとって不都合なあらゆる現象・行動を罰する治安維持法の逮捕要件を満足する

第4の思想弾圧事件((長野県と)全国教員赤化事件)

1933年 2月4日:
 長野県で教員が思想問題で多数(66校、230名)検挙される(長野県教員赤化事件)。
 この事件を契機に、全国各地で同様の弾圧が行なわれ、1933年12月までに岩手県、福島県、香川県、群馬県、茨城県、福岡県、青森県、兵庫県、熊本県、沖縄県で多数の教員が検挙された。

第5の思想弾圧事件(滝川事件)
1933年:滝川事件
 1933年3月になり共産党員およびその同調者とされた裁判官・裁判所職員が検挙される「司法官赤化事件」が起こった。
 この事件をきっかけに、5月26日、文部省は文官分限令により
京都帝国大学法学部の滝川幸辰教授の休職処分を強行した。
滝川の休職処分と同時に、京大法学部は教授31名から副手に至る全教官が辞表を提出して抗議の意思を示した。


1934年に、 
(1)文部省の学生部(1928年に設置した学生課)を「思想局」へ昇格させた。
(2) 国民精神文化研究所が、文部省の直轄する研究所として発足した。
 これらが教学思想を確立するための活動を開始させることとなった。

1936年に設置された「日本諸学振興委員会」が,学問領域の全般にわたって「日本学」の方向を打ち出し,
1937年3月には思想局(1928年の学生課)から『国体の本義』7)が発行されて、教学刷新の基準が明確にされた。

1937(昭和12)年7月には,すでに,教学刷新の中心機関である思想局(1928年の学生課)が、文部省外局「教学局」に昇格され,学問研究に対する統制の中枢をなした。

(当ブログのコメント: この 教学局は、1937年に開始された、「国民精神総動員」運動の名のもとに先の教化総動員を再編成した大規模な日本精神発揚の教化運動を推進する中心であり、教化運動を計画する本部です。安倍内閣を支配している「日本会議」は、この、「大規模な日本精神発揚の教化運動」を理想としていると推察します。)

1999年1月31日、元在特会幹部の増木重夫が事務局長をする「教育再生・地方議員百人と市民の会(百人の会)」が増木らによって設立された。
産経新聞が主導した新しい歴史教科書をつくる会の運動と連動した動きである。
山谷えり子が(実質的に筆頭の)顧問をつとめた。
(増木氏は「山谷えり子氏とは十五年ほど前に、(百人の会の)顧問をお願いしてからの付き合い」としている。)

 http://matome.naver.jp/odai/2141112838210565301
2009年8月17日撮影、増木重夫元在特会関西支部長(左)と笑顔で写真を撮る安倍晋三(サイトより。現在は削除済)

1937(昭和12)年の第一次近衛内閣時代には,日中戦争の開始(同年7月7日)という国際的危機にあって, 国民精神総動員」運動の名のもとに,先の教化総動員を再編成して,大規模な日本精神発揚の教化運動が展開されることになる。 戦争開始直後の8月24日に,閣議で『国民精神総動員実施要綱』6)が決定され,内務・文部両省を中心に運動が推進された。

(当ブログのコメント:安倍内閣が、閣議で『集団的自衛権』を決定したことが、この戦前のやり方に似ている)

この運動には, 全国神職会・全国市長会・帝国在郷軍人会の他,労働組合組織など多数の団体が参加し,

(当ブログのコメント:「日本会議」はこの運動と同じく、神職会と軍人会から構成されていますね)

近衛内閣は,その運動目標として,挙匡一致・尽忠報国・堅忍持久を掲げ,国体観念の宣伝,注入に努めた。

 さらに,部落・町会・隣組など隣保組織まで行政組織の末端に組入れて,上意下達の道筋を確立しようとした。
 
 1938(昭和13)年には,地方道府県の国民精神総動員実行委員会が活動し,地方官僚を中核に殆ど全団体の代表者を網羅した委員会の主導によって,
懇談会・講演会・映画会の開催,
ポスター・パンフレット・ビラの配布,
新聞・公報・ラジオ放送などによる宣伝,
また,祈願祭の執行,
奉公歌歌詞募集・寄金募集など,
その他,強調週間の実施などの諸行事が推進されたのであった。
 
 1939(昭和14)年4月,平沼内閣時代に,
国民精神総動員委員会第二回総会は,
「国民精神総動員新展開の基本方針」 を決定した。

平沼内閣のもとに,荒木貞夫大将を文相に置いたが, その主導で,
総理大臣直轄の委員会と地方府県の主務課の設置によって, 右翼団体を始めとし,その他の教化団体と行政系統とを駆使して, 皇道主義・一君万民思想の普及に徹することになった。
 1940(昭和15)年の第二次近衛内閣に至り,先の総動員本部は解散されて,生活組織を基礎に全国民を対象とする大政翼賛会の組織による運動が実施されることになった。

・・・
 1937(昭和12)年7月には,すでに,教学刷新の中心機関である教学局(1928年の学生課)が文部省外局として設置され,学問研究に対する統制の中枢をなした。

・・・
算数の役割を「数理思想の滴養」(「国民学校令施行規則」)に置き,本来,科学的精神の精髄である批判的精神を除却(除去)した合理的精神の涵養(水が自然に土に浸透するように、出しゃばらずにゆっくりと国家方針に合った思想を養い育てること)が求められたのであった。
・・・
戦前の国民的な心理,意識,生活を支配し,規制していたものは,国体論と精神主義を柱とする天皇制イデオロギーであり,
それはあらゆる非科学性の根源であった。
また同時に,それは国家存立の根幹であるとみなされていたからである。
 科学は明治以降の外来,輸入のものであり.日本の伝統や国粋とはなじまぬもので,日本の欧米化を促進するもとになるという危惧の念があったと思われる。
 したがって,科学は少数の研究者に委ね,国民多数にとって必要で大切なのは,科学的知識よりも忠孝の道である,という認識であった。

・・・
 ところで,1938年に,一部軍需産業は好況を招き,労働力不足は一定の賃金上昇をもたらした。 
・・・
 やがて戦争の影響が国民の日常生活の次元にまであらゆる角度から押し寄せてきた時に,多面的な生活科学への要求がおこってくる。 
・・・
しかし,「科学」の名称が一定の効用をもつのもこの一時期を限りのものであった。 
・・・
 しかし戦争の激化は,生活理念において「科学」に代って再び「精神」が重視されることになる。
太平洋戦争下において,それは「決戦生活」という言葉で表現された。 

・・・

1940年1月「生活図画事件」
(生活綴方教育が「子どもに資本主義社会の矛盾を自覚させ、共産主義につながる」として、教員らが一斉検挙される事件が起きる。逮捕されたのは、五十六人ともいわれる。)


 大熊信行が,1943年7月から11月まで「婦人公論」に連載していた『新家政学』は,軍の干渉により執筆禁止となった。
その理由は,内容に天皇中心思想を欠くというものであった。
これは明らかに,科学に代る精神主義が再び重視されてきたことを意味している。 

・・・
  このように,戦時下の生活科学構想はそれ自体戦争協力の学でありながら,しかも権力と精神主義の攻撃の前に崩れていったのである。
 (もっと読む)

(注意)安倍政権を支配する「日本会議」が目指す戦前の国民的な心理,意識,生活を支配し,規制していたものは,国体論と精神主義を柱とする天皇制イデオロギーであり,それはあらゆる非科学性の根源であった。   

(戦後の日本の歴史)

『敗北を抱きしめて』(岩波書店)歴史家ジョン・ダワー著

 1945年4月から6月まで続いた沖縄戦では、1万人以上のアメリカ人が死んだ。11万人以上の日本軍が壊滅した。沖縄住民の約3分の1、おそらく15万人におよぶ男女と子供が殺された。

 日本の降伏により、日本軍の実態が明らかになった。日本軍の集団としてのまとまりや規律は、軍部がくりかえし宣伝した「忠」とか「和」とかいった理念の上にではなく、実は上からの抑圧を強制していく権威主義的な仕組みの上に築かれていた。上官は、尊敬よりも恐怖によって命令を徹底させていた。そのため、敗戦になると、それまで抑圧されていた深い復讐願望が一挙に解放されることになった。
 極端な場合には、そうした敵意から、元上官を殺害した者もいた。
 降伏後、こうした感情は、はじめて公然と表現された。ある復員軍人は、自軍の指揮官たちの暴虐によって殺された戦友たちの霊を、どう慰めたらいいのかと問いかけていた。昔の言葉に、敵を「冥土の土産にする」というのがある。これは自分が死ぬときは敵を道連れにするという意味であったが、自分の戦友たちは、いざ玉砕のおりには敵ではなくて上官の1人を冥土の土産に連れていくつもりであったと述べている。
 日本の降伏の前には考えられなかったこうした実態暴露は、「1億1心」なる戦争中の宣伝が、たわ言にすぎなかったことを白日の下にさらした。 

----コメント-----------------------
 この日本軍の体質は、太平洋戦争中は日本の支配下にあった韓国の軍隊にも遺伝しているのではないか、と推察します。
(1)韓国軍での乱射事件捜査結果を発表(韓国軍内のいじめが原因)(2014年7月15日)
(2)2014年7月31日、韓国海軍の「要注意(関心)兵士」が、所属していた軍艦内で首をつって自殺していたことが分かった (2014年8月1日)
(このところ韓国では、6月にGOP(一般前哨)銃乱射、7月27日には陸軍兵士2人が自殺と、同様の事件が相次いでいる。)
(3)韓国軍の兵士集団暴行死で引責:韓国陸軍参謀総長が辞意(2014年8月5日)
(4)韓国で軍人による犯罪は昨年7530件 過去5年で最多(2014年8月7日)
(5)韓国軍兵士の4割がうつ病、日常的ないじめなどが原因(2014年8月18日)

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  太平洋戦争の敗戦により、日本の民衆は飢えに苦しむ羽目になる。中国・台湾・朝鮮に頼っていた食糧輸入は途絶えた上に、1945年は記録的な凶作。おまけに外地からの復員者で養うべき口は増える。闇市は繁盛し、その価格は統制価格の30倍にも及んだ。 
---- コメント ---------
GHQ経済分析官の見た日本「敗戦と民主化」)p21によると、
 「1945年8月14日から28日にかけて、陸海軍省は政府公認の下に、それぞれが持っていた膨大な物資のかなりの部分を、地方官庁および財閥系企業に隠匿した。その大部分は隠匿された状態におかれ、ゆっくりと少しずつ闇市場に流れていった。」
と分析されています。
 また、軍隊が管理していた日本の物資を財閥系企業が隠匿していたため日本では物資が不足し十分な物資が国民に配給できないでいたとも分析されています。
 そのため、闇物資(隠匿物資)を持っていた財閥が、ヤクザ(右翼)を介して商品を販売したのが闇市だったと解釈できます。
-----------------コメントおわり------------------------
  1945年は、天候不順、労働力不足、粗末な農機具、そして肥料生産の減少により、収穫高は例年より40%近くも減少し、1910年以来最悪の不作の年となった。 
 食糧を求めて、都会人は農村に群がった。農村には、(1946年10月21日~)農地改革によって各農家が自由に取引できる食糧があった。

 ということで、

「1946年6月、米の闇値は政府の配給制度で割り当てられた米のおよそ30倍」になる。
 ----------------- コメント -----------------------
GHQ経済分析官の見た日本「敗戦と民主化」)p51によると、
 「農地改革以前には、大地主階級がトップに君臨する、末端の隣組に至る農業会の組織があった。地主は、農業会での影響力により、また地方官吏と提携して、自分の穀物の一部を(闇市で)闇価格で売るために隠匿しておくことができた。だが小さい自作農は、米やその他の配給食糧品を公定の低価格で供出することを強制された。」
と分析されています。
 そのため、闇市に闇価格で米を販売できる、闇市に関与できたのは、大きな地主階級のみだった。
-----------------コメントおわり------------------------

そこに疫病がやってくる。
「1945年から48年の間に、コレラ、赤痢、腸チフス、パラチフス、天然痘、流行性チフス(紅斑熱)、猩紅熱、ジフテリア、流行性髄膜炎、ポリオ、脳炎に感染した者は65万人以上と報道された」。


 結核は、他の全ての病気を合わせたよりもはるかに多数の犠牲者をもたらした。結核による年間死亡者数は、
1935年:130,763名
1942年:160,398名
その後の4年間で更に多くの人が結核で死亡したと思われる証拠もある。
1947年:146,241名
1951年:10万人以下
 降伏後の結核の年間感染者は、おそらく100万人をはるかに上回ったと思われる。

8月18日、内務省は全国の警察管区に秘密電報を送り、占領軍専用の「慰安施設」を特設するよう指示した。

 女をあてがえ、というわけだ。これが半端な仕事じゃなく、「ある推計によれば、RAA(Recreation and Amusement Association)の女性が一日に相手にした米兵の数は、15人から60人であった」。
一応1946年1月に「婦人の人権」をタテに禁止を命じるが、本音は「RAAの女性は90%が性病検査で陽性となっていた」。

「1946年4月、アメリカのペニシリンの製法特許が最初に日本の企業に売られたが、その最大の目的は、性病をなんとかするためであった」。
同年、かの有名な赤線が指定される。

内務省曰く「女性には売春婦になる権利がある」。
この理屈も政治家らしい。
 
 繁盛するのは闇市。


  1945年8月18日、新聞広告が出る。軍需工場に対し、買い取るから見本を持って来い、というもの。
 広告主は関東尾津組。ヤクザが闇市を仕切ってた。
(当ブログコメント:この新聞広告は、軍需工場の物資が既に組織的に隠匿されていた事実を隠すために、軍需工場の物資がそのまま残っているように見せかける、目くらましの宣伝と考えられます。)

 新橋を仕切った松田組に至っては…
新入り商人への出店許可(有料だが)とか、照明とかトイレとかゴミ集めといった、なくてはならぬ実際的業務をひきうけたので、東京都と警察が背後から支援した
彼は治安の維持のために、警察よりも自分の組員を頼りにしていた。



(当ブログのコメント)軍隊が管理していた日本の物資を財閥系企業が隠匿していたため日本では物資が不足し十分な物資が国民に配給できないでいた。そのとき、物資を持っていた財閥が商品を販売する末端商店の闇市が始まった。
 闇市は、闇物資の元締めの財閥系企業の管理下にあったヤクザが仕切る事になった

----引用(GHQ経済分析官の見た日本「敗戦と民主化」)p21-----
 1945年8月14日から28日にかけて、陸海軍省は政府公認の下に、それぞれが持っていた膨大な物資のかなりの部分を、地方官庁および財閥系企業に隠匿した。
 その大部分は隠匿された状態におかれ、ゆっくりと少しずつ闇市場に流れていった
 軍事的に降伏する必要に直面した財閥は、かくして、その権力の政治的・経済的基礎を維持するべく、戦後のたたかいにその力を結集したのである。あらゆる徴候が示していたのは、それを総合すると、この支配連合はまぎれもなく抜け目がなく、資力もあり、しかも決意をもった敵対者だ、ということだったのである。
-----------------引用おわり------------------------

 1947年11月初旬に、20日前に34歳の判事・山口良忠が餓死していたことが報道された。


 文化面では、沈黙を強いられた出版界は、紙の不足にもめげず活況を呈し、「戦争が終わった時点で、日本には約300の出版社があった。その八ヵ月後には、2000社ちかくにまで増えている」。

「1945年初めの時点では、この敗戦国に民主主義革命を導入しようという計画は存在しなかった」。

 穏健政策は米国内の知日派の見解なんだが、次第に過激派、つまり根本的な改革を求める勢力が主導権を握ってゆく。そしてGHQは、日本についての素人集団で出来上がる。だからこそ大胆な改革ができたんだ、と著者は主張している。

 マッカーサーは徹底改革&天皇制維持の姿勢を決めていた。ワシントン政府は、改革・天皇制いずれにもフラフラしてた。結局はマッカーサーが独断専行で決めていく。

 そのマッカーサーを、日本国民は熱烈歓迎する。
ここで労働基準法を作り組合活動を合法化し、戦前・戦中に拘束されていた社会主義者・共産主義者が釈放される。

●天皇制

 天皇制の維持は、結構あぶなかった事がわかる。「当時、天皇に対して敵対的な連合国側の世論の声は高かった」。日本国内でも、退位を求める声があった。民間人では、雑誌『新潮』が詩人の三好達治による退位を求めるエッセイを掲載している。

大阪で実施された世論調査では、回答者の1/4以上が、裕仁はただちに、あるいは適切な時期に退位すべきだと考えていた。他の資料では、もし天皇の退位に ついて投票を行なった場合、おそらく50%ほどの人が退位を支持するであろうし、天皇個人が退位の意思を表明すれば、支持はもっと高くなるだろうとしてい た。

 そればかりでない。なんと、「三笠宮が、枢密院の緊迫した会議において天皇に敗戦の責任をとるよう間接的に促した」。現代より過激な意見が多かったし、それを堂々と言える状況だったのにも驚く。

 だが、マッカーサーの意思は固く、これは誰にも変えられなかった。

理由は共産主義を畏れた事と、占領統治をスムーズにすること。
理由はともかく、天皇制維持の方法は幾つかの点で日本側の思惑と一致する。「『軍国主義者のギャングたち』は日本人をだましただけでなく、聖なる君主も裏切ったのだ」。そういうシナリオで事を進める。

 という事で、占領軍も日本政府も、天皇に対し戦争責任を一切認めないよう説得した。やがて巡幸が始まる。大げさな米軍の護衛がついたが、「攻撃はついぞ起こらなかった」。

全般的に天皇制は占領軍の思惑通り保全され、どころか新憲法による規定で、吉田茂首相の予言どおりになる。曰く…

天皇と政治のより明白な分離の結果、天皇の「内的地位」

――おそらく天皇の精神的役割という意味であろう――
は、「その分だけ一層拡大するであろうし、天皇の地位はいっそう重要性と微妙さを増すだろう」

 事実、その通りになっている。現代の日本で天皇制打倒を叫んだら、良くて変人、悪けりゃ過激派扱いである。


●新憲法

 日本人の大多数は憲法修正を支持しており、この問題を研究するための組織を選挙で選ぶことを望んでいた。マッカーサーも、それまでは日本政府に直接圧力 をかけることに慎重であった。それなのに、何故マッカーサーは、憲法の草案を起草して上からの改革で憲法を改正したのか。

 その答えは、当時の国際情勢・政治情勢にあった。
 マッカーサーが迅速に憲法草案を起草した理由は、天皇を擁護するためにはそうしなければならないと考えたからである。
 マッカーサーは1946年の初頭のこの時点において、皇室は2つの方向から深刻な脅威にさらされていると考えていた。
 第1は日本国民からの脅威である。高野や共産党の憲法草案に具現化された「共和思想」は、時がたつにつれて強力になるだろう。
 第2は、諸外国からの脅威である。連合国陣営のなかには天皇制に強く反対する国々が存在し、近いうちに憲法改正の諸条件に干渉するようになるだろう。
 このような状況下でマッカーサーが直面した課題は、極東委員会が実質的な活動を開始する前に、天皇制の存続を可能にするような憲法草案を公の討議にかけることであった。

 なお、問題の九条は、当時から解釈が分かれている。

邦楽博士の松本烝治は枢密院で「自衛行為まで禁じるという趣旨を有するものではない」とする。
しかし、吉田茂首相は国会で「自衛権の放棄をも必然的に伴うと指摘」している。
「日本は今後の安全保障を国際的な平和組織に委ねることになるだろう」と。

●東京裁判

 東京裁判は勝者による復讐だ、というのが著者の見解だ。「検察の方針や戦略におけるアメリカの支配は絶対に近かった」と。

 裁判手続きのまやかしを延々と書いているが、私は「ある種の集団、ある種の犯罪がそこから見逃されていた」点に注目する。東京裁判は戦勝国が敗戦国を裁 いたのだ。「インドネシア(略)ベトナム、マレー半島、ビルマで日本人の手にかかって辛酸をなめたアジア民族も、独自の代表を送れなかった」。そしてもち ろん…

人びとに恐れられた憲兵隊の隊長は誰も起訴されなかった。超国家主義秘密結社の指導者も、侵略によって私腹を肥やし、「戦争への道」を拓くことに親しく関与してきた実業家も、起訴されていなかった。

 日本国内でも声はあったのだ。

1945年9月半ばには、『朝日新聞』などの新聞に、戦争犯罪人とおぼしき者たちのリストを日本人の手でまとめるべきだ、そのほうが連合国の作成するであ ろうリストよりもずっと長くなるだろう、そして、できれば日本人自身による裁判も行なうべきだ、とする論調が現れた。多くの読者がこれに賛同した。

 が、そんな裁判は行なわれなかった。

児玉誉士夫笹川良一岸信介(ここをクリック)も釈放され、辻政信は潜伏する。
裁判と処刑が終わってしまえば、清算は済んだという事になり、その後の追及は難しい。
かくして日本人の庶民には被害者意識だけが残り、権力者はホッとする。 

「農地改革」は日本側からの提案であったので、アメリカ側は事情に詳しくない。
 以下のページを参照してください。
「Copy:四、農地改革」
 この農地改革(1946年10月21日~)によって当時の日本庶民の収入は、以下のグラフを逆にした右上がりの形に増加していきました。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000026271631
 戦後の都市部の焼け跡世代の人々は、第二次世界大戦中に幼少期と少年期を防空壕と焼け跡の中で過ごし、飢餓や経済的困窮、放射性被害など戦争による被害に苦しんだ。青空教室と闇市を経験した者もいる。
 戦中に農村部に疎開していた人々は、空襲で自宅が失われたことや、大都市部で深刻化した食料難から戦後もしばらく農村で過ごした者も多い。  

(当ブログのコメント)
 戦後の日本は、初めは貧困でしたが、農地改革(1946年10月21日~)の影響で、国民が経済的に豊かになったので、日本の民主化が成功したと考えられます。
 日本の民主化が成功していなければ、今頃の日本はヤクザが支配する国になっていたと考えられます。


◆米財務長官も日本の再増税に警告
2014年10月10日
   日本の消費再増税推進派は「予定通り増税を実施しないと海外から“日本売り”を浴びる」と警告しているが、これは認識不足。消費税再増税に関しては米国 からも慎重論が強まっている。ルー米財務長官が2014年10月10日、IMFの諮問機関である国際通貨金融委員会(IMFC)での声明で、日本経済について「今年と来年は低迷が続く」と指摘
 「財政再建のペースを慎重に調整し、成長を促す構造改革を実行すべきだ」と主張したのだ。これは明らかに経済が低迷する中、消費増税のペースが速過ぎると苦言を呈したものだ。ニューヨークタイムズも社説で慎重論を展開している。


(アラブの春(民主化)の失敗の原因は何か?)
チュニジアだけ「アラブの春」が成功している理由は?
 2011年に始まったアラブの春と呼ばれる一連の民主化運動は、多くが頓挫しているが、唯一チュニジアだけが民主化のプロセスに成功しつつある。
 「エジプトの1人あたりのGDPは3000ドルだがチュニジアは4400ドルと相対的に豊かである。リゾート地が多いことやグローバル企業を積極的に誘致していることもあり、国内の雰囲気はリベラルだ。」
 経済的な苦境から一部の層の保守化が進み、民主主義的な価値観との対立が起こるという図式は全世界的な傾向である。こうした対立構造は、結局、軍部や官僚組織という既得権益層の利益につながってしまう。


既得権益層の利益:「新国立競技場の総工費って海外の五輪メインスタジアムと比べて高いの?」

(農地改革の効果)
 敗戦後の日本は、初めは貧困でしたが、農地改革(1946年10月21日~)の影響で、国民が経済的に豊かになったので、日本の民主化が成功したと考えられます。
 日本の民主化が成功していなければ、今頃の日本はヤクザが支配する国になっていたと考えられます。

 右翼政権の安倍政権が経済不況の原因になっているように見えるので、安倍政権を批判する人が多く存在します。
 そのため、安倍政権は、経済を立ち上げる事ができると思われる政党に政権を引き渡して一旦引き下がったら良いと考えます。
 もし、その政権が日本経済を立ち上げる事ができなければ、すなわち、経済不況が永続する国家には、右翼政権による支配が本当に必要になると考えます。その時こそ安倍政権が真に必要とされるのではないかと考えます。

(まったくあり得ない話ではなさそうな空想の話)
 集団的自衛権を行使するための安全保障関連法を安倍内閣が強行採決した。その強行採決に公明党が同調した。
 それに対し、公明党は主要な支持母体である創価学会員の支持が得られなくなった。公明党は、その法案強行採決への同調の責任を一時的な公明党執行部の責任に転嫁して党の延命を図ろうとしたが、衰退し、数年後に公明党が消滅した。
 一方、民主党は、安全保障関連法案が自民党によって強行採決されたが、その安全保障関連法律を破棄した場合に予想されるアメリカとの関係が悪化する事を恐れて、安全保障関連法の破棄の動きを取れなかった。

 農民は、アメリカとのTPPの取り決めによって、米作保護が撤廃されたことで、小規模農家が打撃を受け、大部分の農家が小作農家に転落した。そして急増した小作農家が雇い主との間で起こす小作争議が頻発するようになった。

 また、若い家庭は派遣労働で収入減にあえぎ、働きの悪い男を追いだし母子家庭の割合が大部分になった。
 その大部分の母子家庭の大部分が貧困家庭であった。
 安倍政権は、その貧困家庭を軍隊に入隊させる大規模な兵隊の募集を図ったが、アメリカのように兵隊を増すことができなかった。貧困家庭は、共産党が食の保障をすることで、共産党員に取り込んだ。
 安倍内閣は、軍事予算で決められた兵隊の人数を確保するために、閣議決定で徴兵制を定めた

  小作農家も、貧困家庭も共産党に希望を託し、共産党支持層が多くなった。また、多くの知識人も共産党を支持し始めた。
 アメリカは共産党の進出に脅威を感じ、また、安倍内閣の徴兵制の閣議決定に反発する日本国内世論を鎮静化させるため、密かに安倍内閣に原爆を貸与し、日本国民を脅して従わせるよう命じた。
 安倍総理は、ただちに、貸与された原爆を、共産党が多かった沖縄に投下するよう、自衛隊に命じた。
 安倍総理は、自衛隊から、沖縄へ原爆を投下した報告を受け、
「これで積年の願いがかなった」
と言った。 

(参考資料:農地改革
 日本の敗戦後に、政府やGHQに勢力拡大を警戒されていた日本共産党の力が、
戦後の農地改革により、大幅に削がれることになった。
 その理由は:

 従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が、
土地資本を私有財産として持つ自作農になり、その多くが保守系政党に取り込まれたためである。

(当ブログのコメント)
 1927年の日本の金融不況以降の日本では、貧困層が増え、その貧困層の増加が共産主義思想を強めたので、それに比例して治安維持法の力を強める必要があったようです。
 貧困の増大に応じて生じる共産思想を治安維持法で封じるには、政権に対するあらゆる批判行為を罰するのみならず、批判の芽になりそうなあらゆる批判精神を消滅させる必要があったようです。
 科学思考が特に批判精神が強いので、あらゆる科学思索・合理的思索を禁じる必要があったのではないかと考えます。科学思索を禁じた日本は科学を味方につけているアメリカと戦争を開始しましたが、科学思索を禁じていたので、兵隊の60%を餓死させるという最も被害の大きい負け方をしました。
 あらゆる科学思索を禁じる究極の方法は、支配者が管理している宗教を作って、庶民をその宗教に隷属させるのが良いと考えられている可能性があります。
 もしかして、オウム真理教(統一協会がかなり関与していた)も実験的に作られ、それは管理しきれなくなったので捨てられ、統一協会(韓国CIAが作った宗教)は、管理できているので使われている、とういう事もあるかもしれません。
 しかし、宗教によってあらゆる科学思索を禁じようとしても、宗教であるキリスト教(カトリック)の腐敗した支配層が、その腐敗に対する批判を封じ込めるために「魔女狩り」によって、男女を問わずに批判者を逮捕したように、宗教支配であっても、治安維持法もどきの制度が必ず必要になるのではないかと考えます。
 そういう宗教支配の歴史の反省の結果生み出されたのが民主主義なので、民主主義に大きな力があるのではないかと思います。
 GHQの日本支配の活動の記録が、民主主義の活動の根源の要素が何かという事を教えてくれるのではないかと思います。
 アメリカ軍は軍事的に日本が負けるまで武力によって戦いましたが、占領した日本の支配は、人を殺さない手段で、憲法や法律を変えることで行ないました。
 敵の人間を殺さない事を大前提にして、科学思索を味方にしつつ、いかにして敵をあざむいて勝つかを工夫する活動の連続。それが民主主義の根源の要素なのではないかと思います。

民主主義の活動の工夫の良い例:
あかりちゃんの安保関連法案の説明1
あかりちゃんの安保関連法案の説明2

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