2015年7月12日日曜日

Copy:「この政治続けば、闇の時代になる」 反戦へ 東大の英知

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「この政治続けば、闇の時代になる」 反戦へ 東大の英知
2015年7月11日 東京新聞朝刊

 安全保障関連法案の採決強行に反対し、東京大の学生や教職員、OBらが十日夜に催した抗議集会。
戦前に軍国主義の波にのまれ、学問の自由を失い、多くの学徒が戦争に動員された。
日本のアカデミズムを担う自覚から「平和と民主主義の破壊を止め、痛苦の歴史を繰り返さない」と、世論や学者に耳貸さぬ安倍政権に異議を唱えた。
(辻渕智之、中山高志)

 「こんな現実のため、こんな時代を迎えるために、私たちは学んできたわけじゃない」。
東大で教員を二十年以上務めた佐藤学名誉教授(教育学)が声を震わせた。
「この法案を支持する人は言う。憲法九条にしがみつくのは理想論だと。しかし、イラク戦争では五十万人の子どもが亡くなった。戦争で犠牲になるのはいつも若者と子どもだ。これはリアリズムだ」

 駒場キャンパス(東京都目黒区)の講義室に大きな拍手が響いた。佐藤氏は、太平洋戦争では東大から少なくとも三千三百人が学徒出陣し、半数以上が命を失ったとも話した。

 集会を呼びかけた一人、田中慶季(よしき)さん(19)=理科一類一年=も
「今の政治が続けば僕が大人になるころ闇の時代になってしまう。首相は、なぜ法案が必要なのかという問いを抹殺している」
と語った。

 集会は憲法勉強会などを開いている学生有志が六月下旬、教授陣に声を掛けて実現した。
市野川容孝(やすたか)教授(社会学)は「表だって反対することにしらけた社会の空気の中、学生や教職員の危機感が強かった表れ」とみる。
東大生らは、国会前で抗議を続ける首都圏の大学生らのグループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」と連携する。

 集会には東大OBら五百人以上から賛同メッセージが寄せられた。

 文学部卒で思想家の内田樹(たつる)さんは「ここで食い止めないと、遠からず日本人はまた巨大な災厄を隣国と自分たち自身の上に及ぼす」とつづった。 

◆戦中は軍事研究に加担

 東大は戦中から戦前にかけて軍需生産に必要な技術者を育て、工学部が二つ、兵器製造を研究する造兵学科まであった。
戦後、安保闘争などに積極的に参加したのとは様変わりし、近年は国に異議を唱える看板はキャンパスに見当たらなかったが、教職員や学生が一体となって声を上げた。

 戦後の1950年五月、東大トップの南原繁学長(当時、写真)は終戦処理をめぐり、吉田茂首相(当時)から
「国際問題を知らぬ曲学阿世(きょくがくあせい)(学問を曲げて世間におもねる)の徒」
と非難される。
米国と講和交渉を進めようとする政府に反発し、旧ソ連も含む全面講和を主張したからだった。

 この日の抗議集会を呼びかけた佐藤大介さん(21)=法学部三年=は、南原発言を知っているといい、「社会の圧力に負けず信念を持つ。
それが学問を志すことだ」と話した。

 1960年には、政府が日米新安保条約を国会で強行採決した。
当時の政権トップは、安倍首相の祖父の岸信介首相。

 それに反対した安保闘争で、東大生の樺(かんば)美智子さん=当時(22)=が国会敷地内での警官隊との衝突で死亡した。
1968~1969年の東大紛争では、大学側への抗議が全国の大学に拡大。
集会に参加した男子学生(20)は「東大には発信力がある。こういうときに声を上げるのは大切だ」と話した。

 戦後、東大は軍事研究を一切行わない方針を引き継いできた。
ある男性職員は、安倍政権下で研究予算を含む防衛費が増大していると指摘し、
「軍事研究の方に流れる危険性は大きい」
と懸念した。

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