2015年7月15日水曜日

Copy:憲法学者だけじゃない! 高村副総裁も防衛省HPも「集団的自衛権は違憲」と言っていた!(リテラ)

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憲法学者だけじゃない! 高村副総裁も防衛省HPも「集団的自衛権は違憲」と言っていた!(リテラ)
2015 年 6 月 19 日

 国会に招致された3人の憲法学者がそろって集団的自衛権・安保法制を「違憲」と指摘して以降、「違憲ではない」という弁明に必死の安倍政権。だが、その弁明自体がインチキであることが露呈し、さらにデタラメな弁明を重ねるという、異常な事態におちいっている。

 たとえば、菅義偉官房長官は当初、「集団的自衛権は合憲だとする憲法学者はたくさんいる」といっていたが、「誰がいるのか」と問われると、百地章氏、西修氏、長尾一紘氏の3人しか名前をあげられなかった。

 そして、先日、『報道ステーション』(テレビ朝日系)のアンケート調査によって、
とうとう「たくさんいる」がまったくのデタラメであることが完全に証明されてしまった。
同番組が有斐閣の発行する判例集『憲法判例百選』の執筆者198人に「集団的自衛権の行使は日本国憲法に違反するか」を聞いたところ、
回答者151人のうち、132人が「憲法に違反する」、
12人が「憲法違反の疑いがある」と答え、
「憲法違反の疑いがない」はたったの4人。
「安保法制は違憲か」という問いでは、「疑いがない」はさらに減って3人しかいなかった。

 しかも、菅官房長官が「集団的自衛権は合憲だとする憲法学者」として名前をあげた百地章氏、西修氏、長尾一紘氏の3人は全員、櫻井よしこが代表をつとめる民間憲法臨調のメンバーだ。
この民間憲法臨調は日本会議や神社本庁と深い関係にあるウルトラタカ派憲法改正団体で、西は同団体の副会長、百地は事務局長をつとめている。

 こんな右翼イデオロギー集団に関係している学者なら、それは「合憲」と言うだろう。
実際、国会招致され、違憲を指摘した小林節、長谷部恭男に対して、この3人が朝日新聞紙上で反論した「合憲の理由」は憲法学者の答えとは思えないものばかりだった。

 百地章氏
「学者の解釈は私的解釈にすぎない。
国は異論に縛られず、防衛に責任を持つ立場で進めればいい」 
 西修氏
「批判する学者は法案が従来の政府解釈を超えているから違憲と訴えている。
だが、憲法の条文に照らして解釈すれば今回の法案は憲法の枠内だ」 
 長尾一紘氏
「日本の安全保障環境が大きく変化するなか、お二人は数十年前の見解をずっと持ち続けているのかと驚いた。
政府見解を変えてはいけないルールはない」

 しかも、菅官房長官が名前をあげた西修氏は、以前、今回の政府見解とまったく違う主張をしていたことも明らかになった。

 政府は武力行使をしている米軍等への軍事支援、いわゆる「後方支援」について、「武力行使と一体化しないから憲法違反ではない」としている。

 だが、西氏は2008年、第一次安倍政権の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」に参加して、この「武力行使との一体化」という判断基準について、こんな批判をしているのだ。

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 また、政府の解釈には、不明確性、非現実性、非論理性、非国際性、無責任性という基本的な問題がある。
①不明確性とは、政府の説明にある「一体化」の判断基準が、密接性とか地理的関係等抽象的過ぎること、
②非現実性とは、「戦闘地域」と「非戦闘地域」とに分け、我が国の活動は「非戦闘地域」に限るとしているが、事態が刻々と変わる中で「非戦闘地域」を絶えず分けることが現実的に可能かどうか疑問であること、
③非論理性とは、「一体化」の論理を突き詰めれば日米安保条約は違憲ということに行き着くこと、
④非国際性とは、「一体化」は国際的に確立した概念でないことや確立した英訳がなく、国際的には説明できないこと、
⑤無責任性とは、周辺事態とは、放置しておけば我が国の平和と安全に直接関わる事態であるにもかかわらず、我が国は活動の内容、地域を限定していることはまるで人ごとのような態度が窺われること、である。
 つまり、「武力の行使との一体化」の概念自体が非常におかしく、我が国の安全という側面から「武力の行使との一体化」のコンセプトそのものを見直す必要がある。
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 西氏はいつ宗旨替えをしたのだろうか。
だが、次々と出てくるこうしたほころびにも、自民党、安倍政権は一向に立ち止まる姿勢を見せない。
最近はなんと、違憲論をおさえこむために憲法学者不要論まで口にし始めた。
その急先鋒は自ら弁護士資格を持っている高村正彦副総裁だ。

「憲法の番人は最高裁であって、憲法学者ではない」
「憲法学者というものは、どうしても憲法9条の字面に拘泥する傾向がある」
「たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」
「学者の言うとおりにしたら日本の平和が保たれたか極めて疑わしい」

 学者を見下した発言のオンパレードだ。
だが、その高村自身、小渕恵三内閣で外務大臣だったとき、国会の安全保障委員会で明確にこう答弁しているのだ。

「憲法9条のもとにおいて許容される自衛権の行使は我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することはその範囲を超えるものであって、我が国の憲法上許されない、こう考えております」
(1999年2月9日 議事録より)

 高村は、この答弁との整合性をどう説明するのだろう。
「日本を取り巻く安全保障情勢が厳しくなった」とバカのひとつ覚えに繰り返すが、この間、たったの16年だ。何がどう厳しくなったのかの説明もない。
「違憲」が「合憲」になるほどのどんな変化があったというのか。安倍首相は「我が国の近隣にたくさんの弾道ミサイルを持ち、核兵器を載せる能力を開発している国がある」といっているが、それなら、個別的自衛権を強化すれば済む話で、海外派兵する必要も安保法制も全く関係がない。

 そもそも、当事者である防衛省からして、集団的自衛権については消極的だった。
実は防衛省は、ホームページ上で以前から、「集団的自衛権行使は違憲である」と主張していたのだ。

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国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有するとされている。わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法9条のもとで許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。
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   これは、行使容認の閣議決定があった後も掲載され続けていたが、一週間後にツイッターで指摘され、あわてて削除した。

 ようするに、誰も彼もが安倍のツルの一声で無理矢理宗旨替えを行っているのだ。
おそらく、今、安保法制の旗ふり役をしている官僚も専門家も心のなかでは「こんなものが合憲なわけがない」と思っているのではないだろうか。

 しかし、みんなが憲法違反だと思っているその法律が通り、自衛隊が戦争に出かけ、血を流す体制ができあがっていく。
それが今の日本で起きている現実である。

(野尻民夫)

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