2015年6月19日金曜日

知られざる東日本大震災の米軍「トモダチ作戦」

知られざる東日本大震災の米軍「トモダチ作戦」
より引用:

東日本大震災時にアメリカ軍が行った大規模支援のOperation Tomodachi「トモダチ作戦」

アメリカのネットコミュニティに、
この作戦に参加してる米兵の姉が弟からの手紙というのを書き込んでいた。

「姉さん、僕はいま軍隊に入っていちばん充実しているんだ、それを知って欲しい。
 イラクで激しい戦闘も経験したけど、そんなのとは比較にならないのさ。
 僕は兵士だから命令されれば人も殺すし、他人の家だって破壊する。
 だけど姉さん、それは僕が望んですることじゃないんだ。
 僕は兵士だから危険は覚悟してるし、それを期待してすらいる。
 だけど姉さん、僕が望むのは人々の命を救う事なんだ。
 この作戦が終わったら、はじめてまっすぐに姉さんに会いに行けると思う。
 自分をごまかすための酒まみれの日々は、今度はいらない。
 一緒に母さんの墓へいこう。
 今なら母さんも息子の僕を誇りに思ってくれると思うんだ」

名無しさん@十一周年 :2011/03/27(日)

2011年3月11日、日本を未曾有の災害が襲い、東北地方は深刻な被害を受けました。

また、そんな危機的状況にある日本を沢山の国々の人々が助けてくれました。

いくら年月が過ぎようとも、なお風化せずに人々の記憶に残リ続けていることと思います。
いや、残っていなくてはならないこといって良いでしょう。

中でも、その規模の大きさにおいて、
Operation Tomodachi「トモダチ作戦」は、前代未聞の作戦でした。

これは、災害救助・救援および復興支援を目的として、アメリカが行った作戦。

なんと、
2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇が参加しました。

米韓合同演習のために西太平洋を航行中であったロナルド・レーガン空母打撃群は、
本州東海岸域に展開、震災翌々日の3月13日には海上自衛隊災害派遣部隊との
震災対応に関する作戦会議を実施。

空母ロナルド・レーガンは全長333m、全幅77m。

例えるなら、全長はサッカーフィールドの長辺3つ分、
水面からの高さは20階建てのビル相当という巨大さ。

乗員は5,680名。

いわば1つの町を形成している<海に浮かぶ城>といって良いでしょう。

空母打撃群は自らの艦載ヘリコプター のみならず、
自衛隊のヘリコプターのための洋上給油拠点として運用されています。

「ロナルド・レーガン」の将兵からは毛布やセーターなど
1,000着以上の寄付が行われました。

強襲揚陸艦「エセックス」は、海から直接物資を運ぶことができ、
多くの町が交通網が寸断され、連絡すらつかない中、多くの救援品が届けられました。
「エセックス」内部には、手術室やICUまでも完備していました。

海軍は震災後3日後の時点で10隻の艦艇を現地海域に派遣しています。

兵士達は、命令で参加したのではなく、募集したうえで、志願兵が集まったとのこと。
しかも館内マイクで、募って10分で、枠が埋まってしまったといいます。

この時、宮城県にある航空自衛隊松島基地や仙台空港は津波の被害により
壊滅的な被害を受けていたため三沢基地への到着となりました。

日本へ到着した米軍は、即座に救援物資の輸送、瓦礫の撤去、
被災者の救助などを行いましたが、最も象徴的な作業は仙台空港の
復旧でした。

絶え間なく大きな余震が起こる中、
そして未知の原発事故が起こる中でのまさに命がけの作戦でした。

当時の防衛大臣北沢俊美は

「米軍に感謝と称賛を申し上げたい。今ほど米国が同盟国であったことを頼もしく、
誇りに思う時はない」

と謝意を表明しました。

仙台空港が再開したのは4月6日。

4月13日に震災以来初の民間機が飛び立ちました。

3月11日の震災からおよそ1ヵ月という短い期間の間に
仙台空港をほぼ以前と同じような状態まで復旧させたのは、
まさしくアメリカ軍のおかげでした。

このことはニュースにはあまりならなかったため、
(再開したというニュースはあったようです)
一般には広く知られていないようです。

米軍は空港復旧の仕事が終わると共に、立ち去っていました。

日本で最大の救助作戦を行なったにもかかわらず、
米軍基地のホスト国の日本の立場を害することがないよう慎重に配慮したものでした。

下記の、横田基地の記事を見てもらうと解るとおり、
彼らは賞賛を必要としていませんでした。

純粋に「助ける」ことそして「義務をこなすこと」を目的としていたのです。

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2011年3月11日のマグニチュード9.0の地震とそれに続く
33フィート(約10m)の津波によって残された惨状は言葉では言い表せない。

日本の本州東沿岸300マイル(約480km)以上が破壊された。

震災当初目にした中で最も悲惨な状況だったのは、仙台空港そして
隣接する名取市と仙台市だった。

津波が押し寄せた仙台空港と近隣の町のビデオは衝撃的だったが、
3月16日に初めて仙台空港に到着してこれらの地域を目の当たりにした衝撃は、
映像をはるかに超えていた。

何千もの潰れた車両、折れ曲がった飛行機、根こそぎにされた木々、
崩壊した家々、水、砂、魚貝などが散乱し、機能が停止した空港のイメージは、
フィルムに、そして我々の記憶にも記録された。

しかしそれと対象的なのが今日の仙台空港の映像であり、
それは希望と復興のそれである。

当初から私達の展望は、日本側と調整しながら人道支援物資を災害地域の
中心まで直接配送可能にする為に、仙台空港再開を促進することであった。

3月16日、最初の固定翼機が仙台空港の主滑走路に着陸したことにより
その展望を達成した。

その4日後MC-130第一便が着陸し、日本人とアメリカ人で編成されるチームは
全滑走路を整備してC-17の着陸を可能にした。

我々は共同して拠点を築き、災害の中心地にむけての支援が流れ始めた。

後に仙台空港の再開が希望の象徴として宮城県の人々に
勇気を与えることになろうとは、当初は予想だにしなかった。


我々の到着前、日本国土交通省航空局と仙台空港機関は仙台空港再開は
不可能だろうと考えていた。

聖アウグスティヌス曰く、
「我々は賞賛には値しません。我々は我々の義務をなすのです」

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気仙沼市大島においては、4月6日の海兵隊の撤収時には、
多くの住民が見送りを行い、上陸用舟艇には別れのリボンが付けられた。

航空機向けの標識として、宮城県女川町では"THANK YOU USA"の文字が描かれ、
仙台空港そばの海岸には、住民により「ARIGATO」(アリガトウ)の文字が作られる
などの謝意表明が行われている。

トモダチ作戦はなにも日米安保条約があったから行われたわけではありません。

日米安保の枠外で行われ、しかも安保条約始まって以来の
史上空前の大規模な協力作戦でした。

<本当に困っているときに助けてくれる人こそ、真の友>

彼らは言いました。

“THANK YOU” IS NOT NECESSARY; U.S. FORCES HONORED TO HELP REOPEN SENDAI.

『日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません。
我々は仙台の復興の手助けができたことを誇りに思う』

困っているから、助けた、ただそれだけ、と彼らはいうでしょう。

けれど、助けてもらったことを、友情を、きっと日本の人は忘れず
「ありがとう」の心を持ち続けるのではないでしょうか。


米軍が避難所に救援物資輸送

復旧に向けた米軍の「トモダチ作戦」に密着

政府から民間まで,米国で一気に高まった日本支援の輪 
http://girlschannel.net/topics/14106/
サマリタンズパース(Samaritan’s Purse)と言うアメリカを拠点としたクリスチャンの救援団体があります。
 現在はビリー・グラハム (Billy Graham)さんの息子のフランクリン・グラハム (Franklin Graham)さんがリーダーとして、活躍されている団体です。
 世界中の災害に遭われた方々やサポートを必要としている国々に、“In the Name of Jesus Christ” と言いながら、働かれているそうです。
 世界のどこかでいつも災害が起こっていて、この団体は休む間もないようです。
 いつも、アフリカやハイチやアジアのどこかのレポートを見ていましたが、今月は我が祖国日本のレポートが届きました。
もうすでに、いろいろなニュースソースでご存知の方も多いのでしょうが、私は、この組織の組織力に驚きました。

 震災直後の3月19日には、すでにボーイング747ジャンボジェット機で93トンの仮設住宅を含む救援物資を福生にある横田基地に飛ばしています。

 20日にC−17軍用機によってアメリカ軍と自衛隊が緊急に整備した仙台空港に、この物資が運ばれました。
 東日本の各教会をベースにして、牧師先生や教会の方々によってこれらの物資を必要としている方々に渡されている映像が、この団体のWebサイトで見る事ができます。


(当ブログのコメント)
 東日本大震災で、震災後ただちに米軍が救援物資を運んで来た米軍の機動力の速さと見えていたのは、実は、米軍を足にして使うサマリタンズ・パースの機動力だったのですね。
 
【 クリスチャン新聞掲載号 : 2011-04-03 】
新設 ジャパン・ミッション・センター被災地へ

--サマリタンズ・パースと協力
 ジャパン・ミッション・センター

(JMC・高田義三理事長=CCNZ日本・大阪教会)が発足した。
  今回の大震災では、救援に駆け付けたアメリカの世界的救援団体であるサマリタンズ・パース(フランクリン・グラハム総裁)の受け皿となって、
15日、救援物資を満載した4トントラック、サマリタンズ・パースから送られた。
現地責任者である医師とスタッフと共に、JMCのメンバーが宮城県の被災地に入った。
現在先発の日本国際飢餓対策機構(JIFH、岩橋竜介理事長)のスタッフらと協力して、教会を中心に救援を続けている。
高田理事長は被災地の様子を次のように語った。「私の人生で、ああいう光景は見たことがありません。すさまじい。しばらくは茫ぼうぜん然と立ちすくんでいました。
・・・
救済は一刻を争います。神の愛と救いが求められています。お祈りください」 
 サマリタンズ・パースからはジャンボ機で、その後米軍横田基地を経由し陸路で約100トンの物資が運び込まれた。
義援金も届けられた。
物資はトラックで各教会に運搬、近隣の被災者に配られている。

2011-04-10
「サマリタンズパース」(フランクリングラハム総裁)が93トン緊急支援
                           東日本大地震
 アメリカの災害援助組織は、やることが早くて大きい。また運び入れる機器も充実しています。

本拠地を決めると、しっかりとした事務体制も整えて、動かしていく、さすが、です。
この場所は仙台金港堂跡地です。
北米から空輸された「サマリタンズパース」の支援物資は、国際飢餓対策機構、クラッシュジャパン、などを通して、ボランティアを通して運ばれていました。

▼クリスチャン新聞 復興支援サイト|
サマリタンズ・パース 活動拠点2か所設置 ボランティアチーム募集中〔2011-05-11〕
 http://jpnews.org/shien/index.php?id=215 
 ▽「【 電子版掲載日 : 2011-05-11 】 
■サマリタンズ・パース 活動拠点2か所設置 ボランティアチーム募集中」
「【〔2011年〕5月11日午後2時 中田 朗】
 地震発生直後から緊急援助活動を行っている米国キリスト教救援団体「サマリタンズ・パース」(フランクリン・グラハム総裁)は、
クリスチャン・ボランティアが宿泊できる場所と食事を備えたベースキャンプを岩手県気仙郡住田町と宮城県登米市の2か所に設置。
各ベースキャンプとも40人が利用できる。
/サマリタンズ・パースでは、地震と津波で被災した人々を助けたいと願っている教会からのボランティアチームを募集している。



(当ブログのコメント):
 アメリカは、次には、2015年には、大震災の被害を受けたネパールを支援しているようです。

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