2014年11月11日火曜日

Copy:戦争は怖い!

戦争は怖い!
東京大空襲体験者からの平和のメッセージ
http://www.huffingtonpost.jp/2014/03/10/tokyo-daikusyu_n_4932459.html?utm_hp_ref=tw

まえがき
 2014年7月1日、安倍内閣は集団的自衛権に対する憲法解釈変更の閣議決定を行なった。69年にわたる平和憲法を1内閣の解釈により変更し、戦争のできる国へと変えたのである。
 私は法律の素人である。法律についての専門家ではない。私の法律に対する考え方は法律の玄人から見れば間違っているといわれるかもしれない。しかし、私も国民主権者の一人である。素人は素人なりに、日常生活に影響のある法律について、興味も関心も無いというわけにはいかない。まして法律の中の法律といわれる憲法について知りませんではすまされない。私は法律の素人だが国民の9割以上は法律の素人であろう。素人であっても主権者であることには変わりない。リンカーン流に言えば、素人のための、素人による、素人の政治を求めてもいいはずである。
 憲法を変えるには、憲法に定められた手続きを経ることが必要である。こんなことは法律の素人でも分かる事である。憲法改正には、衆議院と参議院の議員の3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票による過半数の賛成が必要となっている。国家の基本を定める、全国民に影響のある最も重要な法律の中の法律なので、改正には慎重の上にも慎重なハードルが設定されているのであろう。正規の手続きを経ずに1内閣の閣議決定でできるものではない、解釈改憲は憲法違反であり、無効であると、素人には思えるのである。
 法律を解釈によって自分の都合の良いように変えるのは、法治主義ではなく、人治主義に近ずくことになる。治世者が代わったら、法律が変わるというのは独裁国家と同じである。近代国家とはとても言えない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014111202000129.html
2014年11月11日、集団的自衛権行使反対集会、7000人が国会を囲う=東京新聞2014年11月12日朝刊

 私は高校生の頃だったと思うが、父親に太平洋戦争反対の声を上げたかどうか聞いたことがあった。父は力なく首を振っただけであった。戦争前は、軍事国家を目指し徴兵制があり、平和とか反戦など言えば即逮捕され投獄されたという。女性には選挙権が無く、男性も一定額以上の納税者に限られていたという。デモや集会は認められず、表現の自由も無かったと聞いている。自己規制と相互監視で息が詰まる世の中だった。

http://urano.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-774d.html
(この写真が特高の残虐な拷問をなによりも証明しています)

 そういう時代に平和運動の声をあげる事は死につながることであった。今は20歳以上の男女に選挙権があり、2年後には18歳以上の男女に広げられる可能性もある。窮屈になったといっても、デモや集会の自由があり、表現の自由も残っている。まだまだ私達には反撃の手段があり、政府の暴走を止める方法はある。私は若い人たちのために、戦争体験・空襲体験を生かして声を上げる決意をした。
 この本は暴走する政府を引止め、平和のために日本は何をすべきかを一緒に考え、行動するために書いた。国民の反撃が始まるきっかけになれば幸いである。

目次
まえがき
目次
第一章  民主主義導入と私の体験
 1 軍国少年として育てられ
 2 軍国主義から民主主義へ
 3 民主主義は日本に定着したか
第二章  新聞の反応
 1 朝日新聞  集団的自衛権閣議決定  反対
 2 読売新聞        同          賛成
 3 日本経済新聞     同          歴史的政策転換
 4 地方紙は賛成3紙、反対39紙   東京新聞
 5 信濃毎日新聞  解釈改憲  県内43市町村長反対
 6 新聞を読んだ私の感想
第三章  日本国憲法の特徴
 1 日本国憲法 前文
 2 第一章 天皇 (第1条〜第8条)
 3 第二章 戦争の放棄 (第9条)
 4 第三章 国民の権利及び義務 (第10条〜第40条)
 5 第四章 国会 (第41条〜第64条)
 6 第五章 内閣 (第65条〜第75条)
 7 第六章 司法 (第76条〜第82条)
 8 第七章 財政 (第83条〜第91条)
 9 第八章 地方自治 (第92条〜第95条)
10 第九章 改正 (第96条)
11 第十章 最高法規 (第97条〜第99条)
12 日本国憲法を読んだ感想
第四章 国民の反撃が始まる
 1 「解釈改憲は違法」と提訴
 2 「一票の格差是正」を提訴
 3 「特定秘密保護法」も憲法違反の疑い
 4 首相・閣僚の靖国神社参拝も違憲の疑い
 5 地方選挙から反撃開始
 6 地方のメデイアと提携
 7 女性と若者よ 選挙に行こう
 8 投票率が上がれば結果は変わる
 9 女性と若者の投票率をどうして上げるか
10 若い人が動き出した
11 小学校は戦争を伝えているか
12 「九条守れ」の女性デモ
13 平和願い、まず勉強会
14 暴力はダメだが武力はいい?
15 「弱者の戦略」を生かそう
16 あきらめるのはまだ早い、やることがあるはず
第五章 私の目指す日本の姿
 1 国民主権・民主主義
 2 平和主義・戦争放棄
 3 基本的人権の尊重
 4 地球環境の保全
 5 再生可能なエネルギーの確保
 6 教育と勤労の喜びを感じる
 7 弱いものいじめをしない
 8 「唯足るを知る」の行き渡った社会
 9 21世紀のジャポニズムは平和・健康・文化
10 生まれて良かった、生きていて良かったという世界を
第六章 国として品格を上げる
 1 人間として生涯守るべき一字は「恕」
 2 民主主義は時間がかかる
 3 ヘイトスピーチを排す
 4 議会にやじはやめよう
 5 謙虚な人は好かれる
 6 百年後の日本と世界を考える
 7 他人の意見を冷静に聞く耳をもとう
 8 我欲をむき出しにしない
 9 「三方良し」が人付き合いや外交の鉄則
10 21世紀は品格がものをいう
11 我々の遺伝子には先祖の思いが入っている
12 次の世代に無事バトンを引き継ごう
13 国の生き方も個人の生き方も同じ、常に品格を磨く
あとがき  

第一章 民主主義導入と私の体験
1 軍国少年として育てられ
  1932年(昭和7年)生まれの私は、少年時代を通して軍国少年として育てられた。男は皆将来兵隊となるべく育てられていたのである。
  1941年(昭和16年)12月8日、小学4年の時に、当時大東亜戦争といわれていた太平洋戦争が始まった。それ以前から支那事変といっていた日中戦争を行なっていたので、これは大変なことになったと大人たちは言っていた。
  1945年3月10日のアメリカ空軍による空襲で、東京は下町を中心に焼け野原となり、一夜で十万人が犠牲者となった。東京大空襲のその時私は中学一年生で、その時は類焼を免れたが、その後の空襲で我が家も焼け落ち、母のさとであった山形県最上郡新庄町(現在の新庄市)にお世話になった。学校も転校し、当時の新庄中学(現在の新庄北高)に通うことになった。そして、1945年8月15日の敗戦を迎えた。
  中学一年から軍事教練があり、当時は校長よりも権力のあった配属将校の往復ビンタを受けた。13歳から入れた陸軍幼年学校があり、体格も成績も良かった生徒は学校から勧誘された。私はチビで運動神経が鈍かったせいか免がれたが、兵隊としての適性が無かったので、いじめにあった。
  他の授業のさなか、突然非常呼集がかかり、校庭に整列させられ、その順番の最後の組は連帯責任ということで、全員ビンタをくらうのであった。私は動作が遅かったために、同級の皆さんに迷惑をかけることがあった。
2 軍国主義から民主主義へ
  1945年(昭和20年)8月15日敗戦となった。終戦記念日ともいわれるが、戦争に負けたのは事実である。すぐにも東京へ戻りたかったが、住む家がない。占領軍がきたが、戦争に負けた我々はどうなるのか誰も分からない。少し落ち着くのを待つしかなかった。
  占領軍が山形県にも飛行場が必要といい、県内の中学生に飛行場つくりの作業を手伝うように命令があった。滑走路を作るために、巨大な石のローラーを大勢の中学生に引かせることになった。私もその一員として参加したが、2ー3000メートルの滑走路の端から端までローラーをひいて歩き、直ぐ引き返すという作業のくりかえしを、機関銃を持ったアメリカ兵の監視下で行なうのである。まさに奴隷の扱いであった。戦争に負けたら、男は皆殺し女は全員めかけにされると聞いていたので、殺されるよりはいいかと思っていた。今でも酔うと、山形空港はおれが作ったと口走るので、私の人生の中で一大事であったのであろう。
  父の友人の好意で六畳一間が借りられ、両親と子供4人計6人がお世話になった。久し振りの東京はまだまだ混乱していたが、私は元の芝中に復学できた。占領軍の命令で、教科書の中の軍事教育につながる部分をそれぞれ生徒が黒線で消す作業もあった。
  おどろいたのは、敗戦まで「鬼畜米英」といい、軍事教育をしていた教師が「民主主義」をいいだしたことであった。敗戦時中学2年だった私達は、大人の変わりように、びっくりすると共に、大人は信用できないと思った。
  日本が民主主義になったのはそれからである。
3 民主主義は日本に定着したか
前著「日本の選択〜日本が21世紀にやるべきこと」は、民主主義導入後どうなったかをテーマとして追求したが、残念ながら民主主義の危機と断じることになった。
 日本の政治は民主主義から遠のく方向に向かっている。最近の首相は独裁者のような言動をとっている。憲法を自分の都合の良い方向に勝手に解釈し、民主主義の根幹である基本的人権の制約につながる「特定秘密保護法」や平和国家に反する「集団的自衛権」「武器輸出の解禁」に熱心であるばかりか、身内やお友達を臆面もなく要職につけるなど独裁者のやりそうなことをやっている。与党の議員は唯々諾々とついていっている。独裁は国を誤った方向に向ける危険のあることは、歴史が証明している。民主主義は考えの違う意見をとりまとめるので、決定まで時間はかかるが、大きな間違いは少ない。
 自由民主党といいながら、幹部の顔色を伺う議員ばかりで自由にものも言えず、民主的とはいいがたい党運営がなされているように見える。もっともっと勉強して自分なりの意見をもってもらいたい。
 公明党は「平和の党」という看板を下ろしてもらいたい。自民党と組んで連立内閣に参加した党は、そのあと衰退している。政党本来の主張と与党の旨味との間で揺れ動いた政党はその後結果が出ている。
 野党は小異にこだわらず大同につくことで多くの国民の支持を得、議員の数を増やすことを考えなければ、自民党に対抗できない。一時期民主党が政権についたが、公約にないことをやり、公約で約束したことをやらないという公党にあるまじき行為で国民の信頼を裏切った。
 国会でも地方議会でも、女性蔑視の発言で問題となった議員がいたが、憲法に男女平等が規定されてから、60年以上たっている。その議員はその間憲法を読んだことがないのであろうか?自民党はそのようなレベルの者が多い体質なのであろう。そんな党が勝手に憲法を、従来その党が解釈してきたのと変えたいという資格があるだろうか。
まずは現憲法をもっと勉強してからにしてくれというのが、法律の素人である私の率直な感想である。
第二章 新聞の反応
 法律の素人である私の「集団的自衛権」に関する感想は前章に述べた通りだが、報道の専門家である新聞の受け留め方はどうだっただろうか。閣議決定した翌日新聞各紙を簡単に紹介する。
 
1 朝日新聞 2014年7月2日朝刊
 集団的自衛権閣議決定 9条崩す解釈改憲 海外で武力行使容認 の大見出しの一面記事に、編集委員三浦俊章氏の「強兵への道許されない」と題する社説が掲載されていた。
 「安倍内閣が集団的自衛権行使を認めた7月1日は、日本の立憲主義の歴史において、最も不名誉な日として残るだろう。首相自ら憲法の制約をふりほどき、定着した解釈をひっくりかえした。国会に諮ることも、国民の意思を改めて問うこともなく、海外での武力行使に道が開かれた。(以下略)」
 要は、朝日新聞は集団的自衛権の閣議決定に反対との立場である。
2 読売新聞 2014年7月2日朝刊
 集団的自衛権限定容認 安保政策を転換 憲法解釈新見解閣議決定 との大見出しで一面記事。その記事に添えて、政治部長田中隆之氏の署名きじ。タイトルは「真に国民を守るとは」。
 「(略)今回の見解にあるように一国では平和を守れない、日本が集団的自衛権を限定的に認め、対米連携を深めることが不可欠だ。それこそが真に国民を守る手段となる。時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる。(以下略)」
 要は、読売新聞は集団的自衛権行使容認の閣議決定に賛成している。
3 日本経済新聞 2014年7月2日朝刊
 集団的自衛権の行使容認 憲法解釈変更を閣議決定 戦後の安保政策転換 との大見出しで一面記事。その記事に添えて、政治部長池内新太郎氏の解説記事。見出しは「アジア安定の見取り図を」。
 「集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更は、歴史的な政策転換であることは間違いない。従来の国際協力の枠を超え、限定的とはいえ、海外での武力行使の可能性が出てくるからだ。(中略) ハードルは高くとも、中国を含めた多国間の安保協力や経済統合を加速する。そこに導いていくための見取り図を描くことが、安倍首相の次の役目ではないか。」
4 地方紙は賛成3紙対反対39紙  〜東京新聞7月8日朝刊
 「集団的自衛権の閣議決定に対する全国紙の賛否は、反対朝日・毎日対賛成読売・産経で、是非互角のようだが、全国を見渡せば、反対の論陣をはり、痛烈な批判を展開している地元紙がほとんどだ。読者と近い地元紙の姿勢は国民世論を反映した結果といえそうだ。」と東京新聞7月8日朝刊で報じている。地元紙42誌のうち、39紙が反対、賛成は3紙に過ぎない。
 5 信濃毎日新聞 2014年5月3日朝刊
 「解釈改憲43市町村長反対 本社県内首長アンケート 集団的自衛権行使を憲法解釈の変更により容認することに、6割弱の43市町村長が反対と回答、賛成は1人にとどまった。憲法解釈をその時々の政権によって変えることを疑問視する意見が目立った。」
6 新聞を読んだ私の感想
 第一に感じたことは、政府のやることに賛成する意見も反対する意見も掲載できる報道の自由・表現の自由がまだある、ということ。今ならまだ間に合う。しかし「特定秘密保護法」制定により、戦前のような政府に都合のいいことしか掲載できなくなる恐れがある。太平洋戦争の戦前・戦中のように、政府発表をそのまま載せる以外発行禁止の処分を逃れる道がなくなる恐れは十分ある。
 封建時代のように、「民は知らしむべからず、寄らしむべし」と、民主主義とまったく反対の方向をとることになる。お上のやることに間違いはないのだから、余計なことを知ろうなどという不埒なことは考えるなと、どやされることになる。戦前・戦中の新聞を読んだことのある人は、どの新聞を読んでも同じという恐ろしさを思い出すことができるだろう。どんな手をうてばよいかをじっくり考えよう。
 第二に、全国紙と地方紙の問題である。全国紙は東京に本社があり、政界・産業界・学術界との結びつきが濃く、その分地方や庶民との絆が薄れる恐れがある。ひとことでいえば、政府寄りになりやすいということである。今回の解釈改憲の問題にしても、法律の素人である私から見ても、改正の必要があれば、国民に十分説明して、現憲法に決められた手続を経て行なうべきである。全国紙が読者から見離されることのないように祈るばかりである。地方紙は地方情勢に詳しく、住民の気持に密着している強みをますます生かして行けばいいと思う。
 第三に、若い人たちの活字離れが進む中で、新聞は健闘していると感じた。われわれの世代では、マスコミの中でもっとも信頼しているのは新聞である。これからも報道の自由・表現の自由・民主主義のために頑張って頂きたいと切に思っている。日頃の適正な報道に感謝すると共に、庶民(法律にも政治経済にも素人)の気持に沿った紙面つくりをお願いしたい。
第三章 日本国憲法の特徴
 法律の素人である私は「日本国憲法」について、じっくり考えたことがなかった。憲法は空気と同じような感じで、自分がその中で生きてゆくために必要なものであっても、その存在や中味について深く考えたことはあまりなかった。解釈改憲などという素人が考えただけでも、それはおかしい、国のもっとも基本的な姿や方向性を定めたものを、一内閣の解釈変更くらいで変えられてたまるか、と感じた。そして、この際憲法を素人なりに勉強してみようという気になった。テキストとして、東京新聞政治部編集・文芸春秋社発行の文春文庫「読むための日本国憲法」を選んだ。
 この憲法の三大ポイントは①国民主権、②平和主義、③基本的人権の尊重 であると思うので、この三大ポイントと改正の手続を中心に勉強することにした。
 まずは憲法前文で、この三点についてふれているところを考えてみる。前文はこの憲法の精神をまとめている重要なものなので、本文と共に合わせて考えなければならないと思う。
1 日本国憲法 前文
 「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令、及び詔勅を排除する。
 日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらはいづれの国も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的達成することを誓ふ。」
 ①国民主権については、この前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛の信託によるものであって、その権威は国民に由来し、・・・・」とある。②平和主義については、「・・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・・」と「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・」とある。③基本的人権の尊重については、「・・・・わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、・・・・」と「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と触れられているように思える。
 憲法改正の手続については、この憲法前文では触れられていないと思われる。
 この憲法前文を読んで、前文の最後に「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とあるのに注目、人類普遍の原理という理想を高く掲げている、、と感じた。解釈改憲を進める人たちは、安全保障の変化という現実に、理想の方を合わせようとしているように思われる。現実を少しでも理想に近づけるように努力するのが政治家である、と私は思っている。
 この憲法制定時に未成年であった私は、前文最後の「日本国民は、国家の名誉にかけ全力をあげてこの崇高な理想と木テクを達成することを誓ふ。」とあるが、成人してからも誓った覚えなどない。法律の専門家でない素人が国民の9割以上を占めると思うが、ほとんどの人が誓ったことなどないと思う。主権者である国民の大半が憲法については、私同様勉強不足であったといえる。
 国民投票の年齢を、2年後今までの20歳から18歳に引き下げるになったが、少なくとも憲法について学ぶ機会が欲しいと思った。それが国民主権・民主主義を根付かせるために必要だと思う。
日本国憲法第一条  天皇の地位  国民主権
 「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」
 この憲法の前の明治憲法では、主権は天皇にあったので、敗戦により国家体制が変わり、国民が主権者となったために、まず第一条でとりあげたものと思われる。国民主権・民主主義となったが、肝心の国民の方は、私同様主権者としての自覚が足りず、勉強の努力も足りなかった。
 第二条から第八条までは、天皇に関することなので、ここでは省略する。
第九条 戦争の放棄  軍備及び交戦権の否認
 「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 憲法改正論議の焦点となっているのがこの九条 戦争の放棄 軍備及び交戦権の否認である。前文にもあったように、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・・」この九条を定めたのである。小学校4年生の時に太平洋戦争がはじまり、中学1年の時に学校の校舎と我が家が空襲で焼失、戦地には行かなかったものの東京での惨禍を体験した私は、この九条を心から有難いと思った。
これで空から爆弾が降ってくる恐怖、我が家を焼かれることもなくなる、戦争に行かなくても済む、と感謝したことを思い出す。こんな思い、戦争の惨禍を子供や孫・ひ孫の世代・学校の後輩たちに味合わせたくないと思っている。
 この九条を素直に読めば、戦争はできないし、軍隊も持てないことになる。国会で「自衛隊は軍隊ではありません」と答弁した首相がいたが、他国から見れば立派な軍隊であろう。時の政府が拡大解釈を繰り返したあげく、今の状況になったのである。
 独立国である以上、自衛権があるのは常識であり、専守防衛のために最小限の軍備をもつのは許される、という議論がある。個別的自衛権である。それならば、そのように素人にも読めるように、憲法に定められた手続を踏んで堂々と改正すればよいのである。
 集団的自衛権は非常に危険な諸刃の剣である。一国だけで国を守れる時代ではない、という話しも聞くが、集団的自衛権を発動して味方を増やせば、自動的に敵も増やすことになる。集団的自衛権は敵も味方もそれぞれ仲間を増やそうとするから、地球を二分する世界大戦に通じる恐れがある。軍事基地を増やせば、敵からの攻撃目標を増やすことになる。自国が直接攻撃されなくても、密接な関係にある他国が攻撃されて、要請があれば断れない。日本はさきの大戦の際、他国内で戦争した。戦地になった地域の人々には大変な迷惑をかけている。その反省から憲法第九条が生まれたのである。
 核兵器はすでに広範に拡散しており、全人類を殺せる量をはるかに超えている。武器・兵器を減らす時代がきている。こういう時期に、武器輸出を緩和するとは、69年間戦争をせず、武器輸出をしなかった誇りを捨てて、「死の商人」に成り下がる、とんでもないことである。
 武器の見本市に日本から初めて12社が参加したという記事があった。その12社は「死の商人」として株主から攻撃されるのを覚悟しておいた方がいい。私は12社の社名をメモして、その会社の全商品の不買同盟をよびかけた。将来顧客になる可能性のある人たちを殺しては顧客を減らすことになる。
 当社は武器を造りません、輸出もしませんと宣言する会社が現れれば株価は上がるだろう。そういう会社が多数でてくるのを期待している。
 日本は世界の人々の「民生の向上」に役立つことに専念することが、天から与えられた名誉ある役割である。太平洋戦争後、経済力ゼロからスタートして、世界が驚く復興をとげて経済大国となったが、それは、戦争にかかわらず、民生の向上にだけ専念したからである。戦争をすれば若い人犠牲になるが、日本は戦争がなかったために、平均寿命が世界一になった一面もある。生活水準・平均寿命ともに世界の上位になったのは、戦争にかかわらなかったからである。
 安全保障環境が厳しくなったから、集団的自衛権の行使が必要になった、というが、周辺国からみれば、厳しくしているのは、そちらではないかという議論もある。軍備拡張競争の果てに実際の戦争となり、惨めな敗戦となった反省に立ったのが戦争放棄である。いろいろ議論はあろうが、周辺国を刺激するのは国家間の緊張を高めることに通じる。緊張を高める行為は、平和外交を進め、緊張をやわらげることが重要と考える立場からいえば、やるべきことではない。
 日常生活で人ひとり殺せば殺人罪に問われるが、戦争で敵を数百人ころせば英雄となり、勲章をもらえるという。戦争は人間を狂気にする。普通なら正常な判断をする人が、戦争になると、または戦争に近づくと、正常な判断ができなくなる。私は太平洋戦争の戦前・戦中を通じて、大人たちのたくさんの実例を見てきた。戦争は人間を狂わせるのである。
今、学校でも家庭でも会社でも、教育のために暴力を使うことは許されていない。個人として暴力を振るうことには抵抗がある。しかし、国が自衛のために武力を行使するのは国の権利として国際的に認められているという。力の世紀であった20世紀までの論理ではなかろうか。国連憲章にも、「武力による威嚇又は武力の行使を慎む」と明記されているという。
 恒久平和を実現するためには、武力ではなく、各国の良識ある話し合いが必要であり、憲法第九条により日本はその提案をする資格があると思う。2014年7月17日マレーシア航空機撃墜の報道があった。またしても罪のない民間人たちが約300人も犠牲になった。兵士と門肝心の区別なく犠牲になるのが現代の戦争である。
 自衛のためなら許されるというが、これまでの戦争ではいつでも「相手が先に仕掛けてきたのでやむを得ず応戦した。自衛のためにやむを得なかった。」と当事者は言ってきたのである。戦争当事者の双方がそう言うのである。戦争発端の現場にいれば、「やられる前にやれ」という気持になりやすい。
 殺すか殺されるかという状況を作ってはいけないのである。戦争は人間の気を狂わせるのである。戦争が近づいたと感じる指導者が多くなっただけでも、要注意である。上の人や周囲の人の顔色を見る人が多くなり、正常な判断ができなくなる。反戦俳句をのせないという役人もでてくる。
 自己規制と相互監視が進めば、国民の知る権利や表現の自由は風前のともしびとなる。
 大人でもピストルをもてば、実際に発砲したくなる。日本でも新しい刀の切れ味を確かめたいという武士が、縁もゆかりもない通りすがりの町人にきりつけた、物騒な時代があった。武器をもてば使いたくなる人がいれば国もある。まして、武器製造を業とする軍事産業に従事する人が多い国では、武器をどんどん使ってもらわなければ生きてゆけなくなる。時々どこかの国が戦争をやってくれないと困るのである。こういう国が特別親密な国になると、戦争に巻き込まれないためには、集団的自衛権は放棄したほうがいいということになる。
 憲法第九条と武器輸出禁止は、恒久平和の実現を望むわれわれには必要不可欠のものである。
第15条  公務員の選定罷免権、公務員の本質、普通選挙の保障、秘密投票の保障
①公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
②すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
③公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
④すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
 公務員とは、官僚、役人だけでなく、閣僚、国会議員、裁判官なども含まれるという。第1項には、素人の私はまったく驚いた。公務員を選定し、罷免することは、国民固有の権利だという。選挙で選んだり落としたりできる権利が国民固有の権利と、憲法にしっかりと明記されている。選挙のときに誰に投票するか、もっともっとしっかりと調べてからにしなければせっかく憲法に明記されていることが実を結ばなくなる。
 第2項にすべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない、とあるが、どれだけそのことを公務員自身が自覚しているかという疑問も湧いてくる。自分の役所の利益・省益を優先する公務員の話しを聞いたことがある。
 第3項に普通選挙を保障する、とあるが、この憲法になるまでは、女性に選挙権はなかったのである。二年後には現在の20歳から18歳に下げると聞いている。主権者として自覚と責任が問われることになる。政治は我々国民が決めるのである。女性蔑視のやじを飛ばす議員やそういう議員の存在を許す体質の政党も、国民が選んだのである。
第16条  請願権
 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人もかかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第17条  国及び公共団体の賠償責任
 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第18条  奴隷的拘束及び苦役からの自由
 何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
 太平洋戦争の戦前・戦中には、不法な逮捕・監禁や拷問、恣意的な警察権の行使によって、自由を奪われることがあったという。戦前・戦中には徴兵制度もあった。このような世の中には戻って欲しくないと思う。
 最近、ブラック企業の過重な勤務実態が問題になることがある。残業代を払わずに従業員をただ働きさせる会社もある。日本人の勤勉さにつけこむようなことが続けば、経済は成長どころか、逆に衰退することになる。徴兵制が苦役に当たるかどうかという議論がある。「国を守ることが奴隷的苦役であるような国なら、国家に値しない」という政治家もいる。戦前・戦中の日本軍の実態からいえば、苦役であったことは間違いない。私は徴兵制度は本人の「意に反する苦役」だと思っている。
第19条  思想及び良心の自由
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
 人が心の中で、どんな考えや判断基準をもっていてもいいという「内心の自由」が保証されている。個人の心の中は聖域であり、国や他人が踏み込むことは許されない。内心にとどまっていれば他人や社会に害を及ぼすことはない。民主主義は価値観の多様化を、お互いに認めることが基本となる。
第20条  信教の自由、国の宗教活動の禁止
①信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 信教の自由のこの第20条で問題になるのは、首相や閣僚の靖国神社への参拝である。裁判所の判決でも「違憲」との判決も出ている。中国、韓国との国際問題として議論されることが多くなっているが、憲法問題としても、クリアしなければならないと思われる。
 もう一つ、創価学会を支持母体とする公明党について、政治と宗教の関係で、問題とする議論もある。
第21条 集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密
①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
 この憲法は、思想、意見、情報を自由に伝えることを「表現の自由」として保障している。「特定秘密保護法」は表現の自由を制限しかねないと危機感をもっている。何が特定秘密かを決めるのは政府側である。政府に都合の悪いことは特定秘密に指定される可能性は高い。罰則も重く、公務員らが報道機関の取材や研究者の情報集めを避けたり、情報を求める市民がためらったりする懸念がある。自己規制や相互監視が進み、戦前・戦中の息が詰まるような社会になるのを恐れる。
第22条  居住・移転及び職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由
①何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
②何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第23条  学問の自由
 学問の自由は、これを保障する。
第24条  家族生活における個人の尊厳と両性の平等
①婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事情に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
 「戦後強くなったのは、女性と靴下」といわれたことがあった。ナイロン製の靴下はそれ以前の靴下と比べれば、格段に強くなり、滅多に穴があかなくなった。女性の権利は、先人達の涙ぐましい努力で勝ち取ったものである。女性の選挙権はこの憲法で初めて認められた。もっともっと大事にしたいものである。
第25条  生存権、国の社会保障的義務
①すべて国民は、健康で文化的な最低生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 第1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は、生存権と呼ばれている。
日本国民なら、生まれながらにして、生きている限り最低限度の生活を続ける権利をもっている、ということであろう。
 前著「日本の選択・・・・日本が21世紀でやるべきこと」の中で取上げた通り、日本の大企業は、働き過ぎの過労死候補の社員に支えられているという一面がある。健康で文化的な生活とは言い難い。
 第2項に「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進につとめなければならない。」とあるが、報道されるのは、これと真逆の低下及び減退の方向を目指しているような印象である。少子高齢化が進む中での今後のあり方について、政治家だけでなく、国民一人ひとりがさらに真剣に考え、討議しなければならないと思う。
 会社という組織は、社員・顧客・仕入先とその家族という個人に支えられている。会社が良くなれば個人も良くなるというが、それは逆である。個人を幸せにすることが、組織を永続させる原動力となる。これは人材育成を一生の仕事にしてきた私の信念である。
第26条  教育を受ける権利、教育の義務
①すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力の応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする。
 国民は教育を受ける義務と受けさせる義務をもっている。これを憲法に明示しているのはいいことである。ただ教育の方針や中身が大きく変わると子供は混乱する。中学二年で敗戦となり、軍国少年として育てる教育から民主主義教育に変わった只中にいた経験のある私は混乱して、変わり身の早い大人たちを信頼できなくなった。親や教師を信頼できないというのは、教育上良いこととはいえない。
国が愛国心を押し付けるのは、軍国主義の頃と同じなので反対する。自然に身につく郷土愛で十分と思っている。
第二十七条 勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止
①すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
②賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
③児童は、これを酷使してはならない。
 特に憲法の条文に問題はないが、日本社会の実態とかけ離れていることに違和感をもつ。リストラ、失業、過労死、サービス残業、セクハラ、パワハラ、ニートの増加、
最低賃金の問題など、憲法の条文に実態を近づける努力が必要である。
 安全保障環境変化の現実に、戦争の放棄という憲法の理想を近づけるのではなく、逆に現実を理想に近づける努力をするのが政治家の役割であるといったが、ここでも、働きやすい社会、希望を持って働ける社会という理想に、現実を近づける努力が必要である。
第28条  勤労者の団結権、団体交渉権その他団体行動権
 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
 
 勤労者が会社と対等な立場で労働契約を結ぶために、労働組合をつくる権利を認めたのが「団結権」、労働組合が会社と交渉する権利が「団体交渉権」、ストライキなどを行なう権利を「団体行動権」で労働三権という。
 最近の労働組合は、働く者が希望をもてないような方向に行っているのに、なにをしているのかと思うことが多くなった気がしているが、私だけであろうか。
第29条  財産権の保障
①財産権は、これを侵してはならない。
②財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
③私有財産は、正当な保障の下に、これを公共のために用ひることができる。
 資本主義の基本である私有財産制を保障する条文。財産権には土地やモノの所有権だけでなく、債権や著作権、特許権なども含まれる。
 私は、土地は人間だけのものではなく、地球上に生きるすべての動植物のものと思っているので、私有からはずすことを提案している。個人間でも、国家間でも土地に関する争いが多い。宇宙からの借用ということにして、借用料を支払うようにしたいとおもっているが、22世紀への宿題になるだろう。世界連邦ができてからになるだろうから、まだ百年はかかるかもしれない。
第30条  納税の義務
 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
 26条の教育、27条の勤労と並び、国民の三大義務の一つ。しかし、消費税は外国人もはらっているし、税金のがれのために外国へ財産を移す金持ちもいて、問題はあるようだ。
 国民の三大義務のうち、教育と勤労については権利規定があるのに、納税については権利規定がない。国民が税金の使途について追求するためには、納税も権利とした方が良いのではないかと思う。
第31条  法廷手続の保障
 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。
 今では当たり前と言えるが、戦前・戦中に猛威をふるった特高警察などによる政治干渉、思想弾圧に対する反省から取上げられ、憲法に明記したのである。この31条から40条までは犯罪捜査の手続や処罰について定めているので、基本的人権に関連のある条文だけを取上げる。
 第32条  裁判をうける権利
 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
 この権利は「裁判請求権」といい、憲法が保障する基本的人権の一つである。どんな人間でも裁判を受けずに処罰されることはない、というこれも今では当たり前のことである。憲法にわざわざ明記したのは、戦前・戦中には裁判なしで国民の処罰が行なわれていたことがあるのであろう。そんな世の中にもどしてはならない。
第33条  逮捕の要件
 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
 赤塚不二夫氏の漫画「天才バカボン」に出てくるお巡りさんは、怒るとピストルを撃ちまくりながら「逮捕だ」と叫ぶが、それでもしも市民を逮捕したら、憲法違反といえる。戦前・戦中には、官憲による不当な逮捕があったようだが、そんな世の中には二度としたくない。
第34条  抑留・拘禁に対する保障、拘禁理由の開示
 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。また、何人も正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
 私は恥ずかしながら、抑留と拘禁の区別も知らなかった。抑留とは一時的に、拘禁とは継続的に身体の自由を制限することという。この条文は、逮捕後身柄を拘束される容疑者が弁護人を頼み、面会して手助けを受けることができる権利を保障している。
 
 第35条から第40条まではかなり専門的なので割愛するが、「特定秘密保護法」の成立により、報道機関が取材をする際、表現の自由に不可欠な「情報源の秘匿」を犯す危惧が濃厚であると感じている。
 憲法では、犯罪による被害者の権利についての条項がなく、被害者やその家族のプライバシーが暴露され、不幸に追い討ちをかけられている例がみられる。
 
第四章 国会 は第41条から第64条まであるが、私の関心のある条文だけを取上げる。
第43条  両議院の組織
①両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
②両議院の定数は、法律でこれを定める。
 
 私が憲法のテキストとして選んだ文春文庫の「読むための日本国憲法」には「日本の国会議員は、両議院ともにその多くが選挙区への利益誘導に奔走して支持をえたり、一部団体の組織票に支えられたりして当選しています。こんな状態で果たして、この条文で定める「全国民を代表する」議員といえるのでしょうか」と疑問を呈している。
 現在の選挙制度は、衆議院が小選挙区比例代表並立制となっているが、小選挙区制は二大政党の政治体制を目指す場合に多くとられる方法で、選挙結果が偏りやすい、死票が多くなり勝ちという欠点が指摘されている。また参議院の選挙制度をめぐる議論は古くて新しい課題である。
 一票の格差がひどいという違憲状態を解決するのと合わせて、緊急に決めなければならない。各党の利害がからんで進めないのであれば、第三者機関に根幹部分を決めてもらい、人口の地域別実態把握により、自動的に定数が決められるようにするのが「法の下の平等」を実践することになるのではないか。
 選挙制度は民主主義の根幹である。日本型民主主義政治の確立のために知恵をしぼりたい。
第五章 内閣 は第65条から第75条まである。65条で行政権は内閣に属することを明記している。
第六章 司法 は第76条から82条まである。
第76条 司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立
①すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
②特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行なふことができない。
③すべて裁判官は、その良心に従ひ、独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
 これまでの規定により、立法は国会、行政は内閣、司法は裁判所と三権分立が明確になっている。これは近代国家として当然のことと思う。
 裁判官は憲法と法律だけに従って裁判を行なう、明記されているが、実態はどうであろうか。衆議院選挙の「一票の格差」をめぐる違憲判決で、違憲、違憲状態との判決に選挙無効としないのは、政治的な混乱を避けるという行政的配慮がはたらいているのではないか。そのために、国会が格差是正に熱心に取り組まないのではないか、という気がしている。選挙無効で自分たちの議員資格に疑義があるとなれば、定数是正に真剣に取り組むと思う。
第七章 財政 は第83条から第91条までとなっている。第八章 地方自治 は第92条から第95条である。
第92条  地方自治の基本原則
 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて法律でこれを定める。
 
 地方自治の本旨というのが分かりにくい。地方自治体は住民の判断に基いて独立した意思決定を行なうということのようだが、国と地方の役割分担がはっきりしない。
  前著「日本の選択・・・日本が21世紀にやるべきこと」で触れたように、私は、住民に近い地方自治を推進し、中央政府は外交・防衛・通貨などに限定するチープガバメント(小政府)とする提案をしているので、この第八章 地方自治はもっと充実したいと思っている。
第九章 改正
第96条  憲法改正の手続、その公布
①この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際、行なわれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを公布する。
 憲法改正の手続については、国会議員の三分の二の賛成と国民投票の過半数の賛成という高いハードルが設けられているが、それだけ国民にとって重要な法律の中の法律という位置づけだからであろう。
 時の内閣の解釈変更でできることではない。解釈改憲は違憲と素人でもわかることである。憲法解釈変更の閣議決定に署名した者はもちろん、それを支持した議員とその所属政党にも責任をとってもらおう。国民の反撃はこれから始まる。
第十章  最高法規には第97条から第99条まである。
第97条  基本的人権の本質
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 基本的人権の確立はこの憲法の核心であり、その貴重さを強調する97条の意義を評価したい。基本的人権の尊重は、フランス革命をはじめ欧米諸国での自由獲得のための先人たちの成果であることを思えば、また将来の国民に対する責任を思えば、我々の時代にこれを後退させられることはできない。今の政府は基本的人権を制限ないしは後退させる方向をめざしているように、私には思える。
 この意味でも、「国民が反撃を始める」時機がきている、と思う。
第99条  憲法尊重擁護の義務
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 憲法の最後にこの99条がある。首相はもちろん国務大臣、国会議員は憲法尊重、擁護の義務がある。義務違反に問われることのないように、国民は常に監視していなければならない。
[日本国憲法を読んだ感想]
 
 第一に、憲法の三大ポイント①国民主権、②平和主義、③基本的人権の尊重については、非常に良くできていると思った。戦争行為により、太平洋戦争を含め300万人以上の犠牲者をだした反省に立ち、他国・他民族に迷惑をかけた反省に立ち、戦後の混乱期に、よくこれだけの憲法を作ったと感心している。同じ時期に、私はいつも空きっ腹をかかえ食糧難の時代に堪えていたという記憶である。
 第二に、戦争の反省に立って、戦争の放棄を高らかに宣言したのは良かったと思う。
戦後70年日本が平和を謳歌している間も、世界のどこかで戦争や内戦がおこなわれていたが、私の見る限り、正義の戦争はなかった。正義は平和の中で主張してこそ正義なのである。
 第三に、憲法という理想に現実を少しでも近づけようと知恵をしぼり、精一杯の努力をするのが、政治家であり、安易に現実と妥協する人を選んでは、現在だけでなく、将来の国民に対して無責任である、と感じた。
 第四に、国民主権・民主主義といっても、国民が主権者としての自覚が足りず、将来どういう国にしたいのかを真剣に考え、討議する習慣を持たねばならない。これは自戒の弁である。
 第五に、民主主義の定着には時間がかかる。我々の勉強から始めなければならない。
家庭教育、学校教育、地域教育それぞれの場で、主権者としての心構えや役割を学ばなければならない。
 第六に、お互いに基本的人権を尊重するには、寛容でなければならない。みんな違って当たり前と思うのが、基本的人権の尊重につながる。色々な考えを持った人がいるのを、お互いに認め合う必要がある。
 第七に、経済に関心をもつのはよいが、持ちすぎると短期的な見方になりやすい。「短期でもうけたい」という人や国が多くなると、欲と欲のぶつかり合いになる。
戦争の基となる。市場主義というのは、利益の出る人や国もあれば、損失の出る人や国もあるということで、利害が衝突しやすい。一旦戦争になれば、経済など吹っ飛んでしまうことは経験済みである。
 第八に、日本は憲法第九条のおかげで、70年不戦、武器輸出なしという平和の使者としての資格がある。戦争のできる普通の国になって、戦争に加担するより、憲法前文にあるように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう・・・・」とする国を貫く生き方を選びたい。
 第九に、戦争と貧困は非常に仲が良いので、わが国は世界から貧困をなくすことで、
世界の民生の向上に役立ち、戦争をなくす方向をとるべきである。
 第十に、国連は第二次世界大戦の戦勝国が中心となって、戦勝国に都合の良いシステムになっている。戦勝国は安保理事会で拒否権をもつなど、旧戦争時代の名残を引きずっている部分があるので、国連改革に力を入れるのも世界のために役立つことになる。将来、世界連邦の設立に近づけば、戦争は遠ざかる。
 以上が「日本国憲法」を読んだ感想である。日頃からもっと憲法に関心をもち、憲法と現状との差をなくす努力をしなければならない、と思った。
 
   
 
第四章 国民の反撃が始まる
 法律の素人である私は、素人なりに前章で、日本国憲法を勉強したが、感想に述べたように、「世界を相手に無謀な戦争をした反省にたって、実によくできた、国民思いの憲法をつくった」と感じている。憲法施行後60年以上経過しているので、その後の世界と日本の変化に十分対応しているとは言い難いが、三大ポイント①国民主権・民主主義②平和主義③基本的人権の尊重が人類普遍の原理とすれば、百年経ってもその理想を下げるべきでないとも言える。
 安全保障環境が変化したという現実に合わせて、集団的自衛権を認め、わが国が直接攻撃を受けなくとも、特別に密接な関係にある国が攻撃を受け、要請があれば、自衛隊を派遣できるように、閣議決定により憲法解釈を変えるというのは、今の内閣はあまりにも憲法を軽く見ている、と思う。
 密接な関係にある国というのは、日米同盟の相手国アメリカを指していると思うが、
アメリカはベトナム戦争、イラク戦争という大義なき戦争を始めている。今後も大義なき戦争をやらないという保証はまったくない。軍需産業を抱えている国は、時々戦争をやって武器を消費しないと困るのである。軍需産業から多額の寄付や援助がされていれば、無視することもできない。
 そのアメリカが財政難のために、軍事予算を削減するということが伝えられている。
同盟国に何らかの形で、分担させようとかんがえている、と思っても、無理なかんぐりとはいえないのではないか。
 日本は原子爆弾の唯一の被爆国である。原爆にも原発にも神経質になるのは当然であり、国是として核兵器の不使用を宣言してきた実績がある。前著「日本の選択・・・・日本が21世紀にやるべきこと」で触れたように、原爆も原発も前世紀の遺物であり、人類のお荷物になっている。
 全人類を殺せるだけの原爆をすでにもっており、使うに使えないのが原爆である。
 日本国憲法の三大ポイントの②平和主義をすてては、69年間不戦の日本の役割に反し、世界の期待を裏切ることになる。人類は内心では、戦争はもうこりごりなのである。安倍内閣は集団的自衛権の導入のほかにも、武器輸出の緩和という平和主義に反することを決めている。
 「特定秘密保護法」という、国民の「知る権利」と「表現の自由」を奪う恐れのある法律をつくり、「基本的人権の尊重」というこの憲法の三大ポイントの一つにも反している。国民主権といいながら、国民が不安を感じる施策を矢継ぎ早やに進めている。
 そろそろ国民が反撃を始める時機がきている、と私は思っている。短い期間で、安倍内閣が大急ぎで進めてきたので、法律的にも無理があり、与党の中にも疑問を感じている議員・党員がいると聞く。まして、、多くの国民はあれよあれよといううちに、日本がとんでもない方向に向かっていると感じている。この辺で政府の暴走を止めないと大変なことになる、と思っている人が多い。
 国民からの反撃の方法と行程表を考えてみたい。
1 「解釈改憲は違法」と提訴
 憲法改正については、第96条で定められている通り、衆参両議院で総議員の三分の二以上の賛成を経て、国民投票で過半数の承認というきわめて高いハードルが設定されている。安倍首相は一時期この96条をまず改正して、ハードルを下げようとしたが、それも難しいと考え、国会にも国民投票にもかけず、閣議決定というもっとも安易な方法で、実質的な改正を目論んだのである。これは素人の私から見ても、違憲であることは明らかである。
 まず、全国の地方裁判所に、「解釈改憲は違憲」という提訴をいっせいにする。この時、相手は内閣総理大臣だけでなく、閣僚全員と与党議員全員とする。最高裁がどういう判決を下すかわからないが、まさか解釈改憲問題なしとの判決は下すまい。解釈改憲は違憲と判断され、集団的自衛権は無効との判決が出るかもしれない。
 解釈改憲に問題ありとの判決が出れば、与党議員の中に動揺が広がることが予想される。代表をかえないと、次の選挙は勝てないという空気が広がる。
2 「一票の格差是正」を提訴
 「一票の格差是正」の判決で、「違憲」又は「違憲状態」という判決が出されたが、その後是正されたようには見えない。次の国政選挙までに、定数を変更するなどの是正措置が必要である。「法の下の平等」を掲げている憲法違反であることを、何回でも提訴する必要がある。
3 「特定秘密保護法」も憲法違反の疑い
 基本的人権の中の「国民の知る権利」と「表現の自由」をみれば、「特定秘密保護法」も違憲の疑いがある。具体的な事例がないと提訴は難しいかもしれないが、もしも具体的な事例が発生したら、早速提訴したい。
4 首相・官僚の靖国神社参拝も違憲の疑い
 靖国神社への首相・閣僚の参拝も憲法第20条違反の疑いがある。これまでも福岡や大阪で起こされた首相の公式参拝についての訴訟では、「違憲の疑いが強い」「違憲」との判決も出ている。国会議員も公務員であるから、違憲の疑いがある。
ここまでは、裁判所の判断を仰ぐ法律の専門家にお願いすることになるが、これまでの判決は、法律の文章以外のいわゆる空気みたいなものに配慮したものがあったように思える。法律の行間を読むとか、行政の意向に沿うというような配慮を感じることがあった。基地問題などで、日本の法律だけで判断するのではなく、日米地位協定を考慮したと感じた判決があった。いつまで占領軍の顔色を見なければならないのかと思ったことがある、法治国家を任ずる以上、法律の専門家んjは、法律の文章だけを判断の基にしてもらいたいと思う。
 法律の素人である国民からみて、「違憲の疑い」があれば、今後とも具体的事例や出来事を踏まえて提訴し、司法の判断を仰ぐことにしたい。立法・行政・司法の三権分立が近代国家の要件である。司法が行政の顔色をうかがうことはないと思うが、主権のある国民として注視し続けなければならない。
5 地方選挙から反撃開始
 国政選挙はしばらく行なわれる予定がない。前回の衆議院選挙と参議院選挙でねじれ国会は解消したが、自民党に勝たせ過ぎたと感じている人はけっこう多いようだ。それ以前の民主党内閣があまりにも情けなく、公約にないことをやり、公約したことをやらないという、民主主義に反するだらしない行政運営であったため、ある程度のお灸は必要と思っていたが、自民党を勝たせ過ぎた。政治が進まないというねじれ国会は解消したが、圧倒的な勝利となったため、なんでもできるという錯覚を与えたようだ。敵失で圧勝したのであって、数にモノを言わせてやりたい放題やれば、次の選挙で苦杯をなめることのなるかもしれない。ところが、自民党が衆議院を解散することはない、次の選挙までは大丈夫と与党議員は思っているようだが、地方選挙は毎月ある。先日の滋賀県知事占拠で与党側候補者が負けたように、地方選挙でこつこつと地味な活動を行い、与党をだんだんに追い詰めてゆくという方法がある。
 
 基地移転の問題を抱える沖縄県知事選挙、今でも県外移住のままになっている人の多い福島県知事選挙も控えている。そのほか、県知事・県会議員選挙、市町村長選挙・市町村議会議員選挙も控えている。中には、原子力発電所を抱える地域やその隣接地域もある。
 アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古移設への賛否が焦点となった名護市議選が2014年9月7日行なわれ、辺野古反対派が定数27名のうち16名当選し、過半数を獲得した。反対派の市長が再選した2014年1月の市長選に続き、辺野古反対の民意が再び示された。
 安倍内閣が目指していると思われる

「集団的自衛権の容認」、
「武器輸出緩和」、
「基本的人権の後退」、

国民主権から国家優先へ」、
「原発の再開・エネルギーの原子力依存」
といった、世界の主な潮流に反する政策に反対する行動を、我々国民が選挙のたびにとってゆくことが、安倍内閣を追い詰めることになる。
 太平洋戦争の戦前・戦中には、女性は選挙権も被選挙権もなかった。今では20歳以上の国民には男女ともに選挙権がある。政治に関する思いを投票で示すことができる。
戦争は、愛する人との別れという悲哀を招く。夫や恋人、父や息子との別れに泣いた女性はたくさんいた。もともと女性は平和を愛している。女性有権者が全員投票に行き戦争につながることに反対の投票をすれば、戦争はこの世からなくせるのである。選挙年齢を18歳まで下げるという動きがある。自分が戦争に行きたくない、他国の人を殺したくないという人は、そのような意思表示を投票で示すことができる。選挙は民主主義の根幹である。投票に行かないのも意思表示のひとつという考え方をする人もいるが、投票に行かないのは、どういう政治をおこなってもいいという白紙委任と受け取られる恐れがある。
 選挙のときには、景気回復という大勢の人の希望に沿うような公約の重点をおき、解釈改憲というような疑義があることは公約にいれず、大勝してからいつの間にか言い出すという「後だしじゃんけん」のようなずるいことをやる政府は信用できない。
 株高や景気回復を期待する気持はわかるが、経済は所詮経済である。生命の危機とは比較できない。原発再稼動に関する裁判所の判決に「人格権」という言葉があったが、生きていてこそのお金であり、経済である。持ち株が値上がりして欲しいという気持は分かるが、命と引き換えにはできない。景気回復や株高は経済的には望ましいことであろうが、経済に敏感になりすぎると、短期的な見方になりやすく、「今自分さえ良ければいい」と未来や他人・他国はどうでもいいということになりかねない。我々は未来に続く人類駅伝の一ランナーでもあり、他人・他国はそのイベントの共同開催者であって、そのイベントを協力して成功させる共同責任がある。どの国もどこの国でも、このグローバルの時代には、人類の未来と他国との平和共存を考えなければならない。
 私の父にきいたことだが、太平洋戦争の際、戦争に勝つ為に国債を買うように言われたが、敗戦で紙くずとなったことがある。国債を買わなければ、非国民と言われた時代である。政府のやることに協力しないのは非国民と言われる時代には戻したくない。
 景気回復や株高を政府の政策に期待するのはやめた方がいい。資本主義・自由主義経済の恩恵を受けながら、自社や業界に都合の悪いことは政治に解決を依頼するという姿勢は問題である。リーマンショック以後大企業の内部保留が毎年増えているとの報道があった。落語に登場するケチべエさんはお金を溜め込むだけで、毎晩夜中に金つぼを見てにたにたと喜んでいたが、使わないままに死んでしまった、というお笑いである。
せっせと内部留保に励む大企業の話しから、ケチべエさんを思い出した。
 お金は天下の回りものである。皆が溜め込んで回らなくすれば経済が停滞するのは当たり前である。ケチベエさんとは言わないが、上場企業・大企業の経営者が自分と自社の利益だけを考え、自由主義経済体制を維持する社会的責任を軽視したことも、不況の原因である。

http://sightfree.blogspot.jp/2013/05/blog-post_19.html

http://www.murc.jp/publicity/press_release/press_130327.pdf



 派遣社員や臨時社員の制度も不況の一因である。「人を安く使う」と、本来その企業の製品の顧客になるはずの社員が、自社製品も買う余裕がなくなる。家族をもつだけの収入がないから、結婚もできず、子供もつくれない。少子化の一因である。顧客をふやすのがまともな経営であるが、逆行することをやっていて、政治にお願いというのは虫が良すぎると思うがどうだろうか。経営学者のドラッカー博士は企業の目的を「需要の創造」としている。役に立つ新製品を世に問い、顧客を増やすのが企業の目的である、とのことである。自分の任期中の短期の自社利益をはかることとは言っていない。一人でも他人を使えば、社会的存在であり、社会的責任が生じるのである。まして、他人のお金を預かる上場企業の社会的責任は重い。株主も、株高や配当を気にするだけでなく、その企業が社会的責任を果たしているかどうかにも注目してほしい。
 経済界や産業界から、平和についての声が聞こえてこないのを不思議に思っている。
進出先の工場が破壊されたり、海外で社員が犠牲になったりすれば、大変なことになるはずである。集団的自衛権を行使すれば、相手国を敵にすることになる。ねらわれているのは、海外の日本人であり、海外の日本の施設である。経済も産業も平和であることが前提であり、平和の恩恵をもっとも受けているはずだ。経済界や産業界から、集団的自衛権の行使容認の閣議決定や特定秘密保護法についての意見が出てこないのを不思議に思っている。経済団体としてではなく、自社の商売としてみれば、平和の有難みがわかるはずである。
6 地方のメディアと提携
 前述のように、地方公共団体の長や地方のメデイアで、解釈改憲に疑問をもつ向きはかなりの数に及ぶという。このあたりと協力して、地方選挙のたびに、与党の推薦する候補者を落選させれば、政権交代のムードは一挙に高まる。
 地方のメデイアはその地域の住民の支持で成り立っているのだから、住民の意向には非常に敏感であり、国からの圧力や誘惑に負けない強さをもっている。安倍内閣の打ち出す政策は、民主主義の危機と捉えているメデイアは多い。特に「特定秘密保護法」は、基本的人権のひとつ「表現の自由」が制限され、取材がしにくくなる事につながる恐れがあり、メデイアにとっては死活問題と捉えているメデイアは多い。住民とメデイアとの共闘となれば、「竿後は金目」という程度の悪い、品のない政府に負けることはない。これが民主主義というものである。「民主主義は地方から」という大波をおこせばよいのである。
7 女性と若者よ選挙に行こう
 女性は戦前・戦中は選挙権がなかった。先人たちの血と涙の戦いにより、戦後認められるようになったのである。その女性たちが選挙のたびに必ず投票にゆけば、結果は大いに変わってくる。女性蔑視のやじを飛ばし、世界の笑いものになるような下品な連中には投票しないことになる。
 若者はやることがたくさんあって投票に行く暇がないかもしれないが、投票に行かないと戦争に行くことになるかもしれない。今は志願兵制度で自分には関係ないと思っている人がいるかもしれないが、いつ戦地にいかされるかもしれないとなれば、自衛隊を志願する若者は減少するとみておいたほうがよい。志願兵がへれば、徴兵制度復活をもくろむ連中が必ず出てくる。
 不景気で就職が難しい状況が続くと、若者の中には、食っていくために兵隊になろうと考える人もでてくるかもしれない。自衛隊の募集ポスターに、かっこいい女性が登場するようになったが、その女性がいっしょに戦場に行くわけではない。軍歌の中に、「女は乗せない戦車隊」というフレーズがあったのを思い出した。予科練の制服が七つボタンでかっこよかったが、かっこいいにだまされてはいけない。戦争や軍隊はかっこ悪いものの典型である。人間を狂わせるのが戦争であり、正常な判断ができなくするのが軍隊である。
 若い人たちは、自分たちの望む社会を実現する力が与えられていると思う。若いということは、人生の時間が多く残されているということである。自分たちの希望する社会をつくり、長くその社会で楽しく生きることができるのである。
 自分ひとり投票に行っても行かなくても、結果は変わらないと考えている人が多いと聞く。そういう面もある。しかし、自分の望む社会について普段から考え、人と話し合っていれば、同じかんがえを持った人たちに出会えるかもしれない。こうして同じような考えの仲間が増えてゆけば、投票の結果は変わる可能性が出てくる。民主主義社会はこうして育っていくのだろう。国民主権とは、国民一人ひとりが主権者としての自覚と責任をもつことによって、成り立つもののようである。
 一家の主人の役割を考えれば、すぐに分かることである。誰かに任せっぱなしはできない。家族を長く幸せにするためには、主人としていつなにをすればよいか、どこのご主人もかんがえて実行している。人任せにはできない。中には、けんかの好きなあるじがいるかもしれない。ご近所さんのきらうことをわざとやったり、悪口をいったりして、ご近所さんとの関係が悪くなっている。こういうあるじのいる家族は、あるじの言動にいつもはらはらしていなくてはならない。ご近所さんを刺激して、いっそう関係が悪くなり、子供がいじめられるかもしれない、などと心配が絶えない。こういうあるじは、ご近所さんといっしょに楽しく暮らそうという気がない。ご近所とのトラブルが絶えない。家族泣かせのあるじである。
 一家のあるじも、一国のあるじも、自覚と責任が必要であることには変わりない。これが民主国家である。
8 投票率が上がれば結果は変わる
 オバマ大統領の再選は難しいといわれた時期があった。共和党の候補者と接戦になるといわれていた。ところが、オバマ大統領の圧勝のおわった。いままで投票に行かなかった若い人たち、他国出身の人たちが投票に行って投票率が上がったからだと分かった。
 日本でも同じである。いままで投票に行かなかった女性と若い人たちの投票率が上がれば、世の中は変わるのである。自民党と公明党はこれがこわいのである。雨が降れば投票率が下がって、固定票がいきてくる、与党が有利になるとの説がある。雨が降ろうが、風邪が吹こうが、投票に行くのが主権者の責任である。不在者投票という便利な制度もある。
 今の衆議院議員の任期は2016年12月までである。それまでたっぷり時間がある。国民が努力して、地方選挙で投票率を次第に上げていき、その結果が出てくれば、潮目は変わる。変わり始めたら、それが新しい潮流となり、ドミノ倒しのような迫力ある現象となる。
 
9 女性と若者の投票率をどのようにして上げるか
 基本的には、主権者としての自覚と責任をもつことが必要である。そのためには、中学校では、自分と他の人の基本的人権を尊重する、お互いに意見の違いを認めることが民主主義であることを学び、高校では民主主義教育の一環として、憲法と現代史を学ぶことを提案したい。選挙年齢を18歳まで引き下げるためには、中学・高校での教育の中でどう取上げるかが大切である。政治に関心を持たない、選挙にも行かないという若者を増やしても、民主主義の定着にはならない。
 大学や退学印では、外国人留学生も含めて、自分たちの望む社会のあり方やその社会を作り上げるまでの工程表について考え、話し合い、行動するのである。外国人留学生からは、日本及び日本人になにをきたいしているか、出身国と日本とのお付き合いいのしかたなど、率直に話して貰うのである。若い人たちには、積極的に外国へ行き見聞をひろげることを提案したい。世界中に友人を作ってもらいたいと思う。民間同士の草の根の交流が世界に平和をもたらすと思う。
 社会人になったら、仕事のほかに、会社以外の人やグループとの付き合いをもち、時にはどういう社会にしたいか話し合う機会を作りたい。そういう中から、同じような考えや似たような意見をもった人が必ず出てくる。
 選挙が近くなったら、日常生活に大きな影響のある具体的な問題について話題にするのである。今は自分の意見を発信するのに便利な道具がある。顔を合わせないで意見の交換をすることも可能である。若い人たちには、自分の問題であり、自分で解決する能力と知恵が与えられている。
 政治に関心をもつ若者を増やすには、大人がまず政治に関心をもち、選挙に必ず行くという姿勢を示すことが肝要である。家庭内で時には政治問題を話題として話し合うことも良い。家庭・学校・職場・趣味の会などで、政治を話題とするのも良いと思う。「政治と宗教の話は持ち込まない」のが大人の教養といわれる。政治的立場や宗教的立場の違いは、その場の雰囲気を悪くするというのである。そういう面も確かにあるかもしれないが、民主主義を定着するには、立場や意見の違いをお互いに認め合った上で、双方にとって、さらに良い結論に導くために話し合いを続けることが大切なのであろう。
 戦争体験のある私の世代では、戦争の実態を知らない世代の人たちに、戦争の悲惨さ、残酷さ、ばかばかしさを話すことが大事だと思う。しかし、それも実際には難しかったという経験がある。私の通っていた中学校の校舎がアメリカ軍の空襲により全焼したが、戦争終了後数ヶ月経ってからその焼け跡の整理中に不発弾に触れて、二人の同期生を失い、数人が大やけどをした。その事件を、卒業50年の記念文集に取上げようと同期生に相談したが、「あんな悲惨なことは思い出したくない」という人がかなりいた。私を含めて、32名の執筆となったが、戦争を知らない世代がほとんどの今こそ、戦争の実態を話し、戦争に近づく危険性を話すことが、私たち戦争を知る世代に残された、生きている間にやるべきことと思っている。
「戦争もうこりごりだ」 心からそう思っている。
10  若い人が動き出した
 2014年8月16日の東京新聞朝刊に、「モノ言う10代8・15を巡る 平和な道歩きたい」という記事があった。「戦後69年を迎えた15日、戦争体験者らが東京都内の各所で、犠牲者を悼んだ。憲法九条の解釈j変更などで戦争について考えるようになった大学二年生長島可純さん(19)といっしょに都内を巡り、その声を聞いた」との導入で、「特定秘密保護法に反対する長島さんは今年一月、20歳以下が中心となったデモ[U20デモ]を行なった。若者の政治離れが言われる中で、「投票権のない十代も意思表示をしたい」という思いを形にした。九月にも勉強会を予定している。集団的自衛権の行使容認には、戦争につながるのではないかという危機感がある。」
 その前日8月15日」の同紙には、8・15若者の覚悟と題する一面記事があり、憲法をめぐる若者の動きとして、2013年12月 特定秘密保護法に反対する学生有志の会結成、2014年1月 10代の若者が東京渋谷で特定秘密保護法に反対するU20デモ約650人参加、2月 前記学生有志の会がデモ行進約500人参加、5月3日
 憲法記念日に新宿でデモ行進約400人参加、6月 解釈改憲を考える連続シンポジゥムを開始、6月30日・7月1日 集団的自衛権の行使を容認する閣議決定への官邸前抗議に高校生など多数参加、7月5日 新宿で解釈改憲などに反対するデモ 若者を中心に1200人参加、8月2日 集団的自衛権の行使容認などに反対する若者ら約3000人が渋谷でデモ、8月2日・3日共同通信の全国電話世論調査で、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に対して、20代・30代の69.7%が反対」 若者たちも動き出している。その中の一人 大学生の仲間たちと2月から特定秘密保護法や解釈改憲に反対するデモに参加している奥田愛基さん(22)は「世界の各地で戦争が続いているのに、僕たちは終戦から69年って言える。幸せなことだ」と語っている。
 万一戦争になれば真っ先にその影響を直接受ける若い人たちがうごきだしたのは頼もしい。この動きを日本全国にひろげ、全世界にひろげる、大きな潮流にすれば、全人類が平和共存できるのである。
11 小学校は戦争を伝えているか
 2014年8月25日の東京新聞に、「学校 戦争を伝えよう 沈黙しない夏」と題する記事があった。「東京の小学校は子供たちに地域の戦争の記憶をつたえているだろうか? 新宿区の調海明さん(66)は、二ヶ月かけて東京23区内全校のホームページが掲げる沿革を調べた。学童疎開や空襲など触れて欲しい項目を独自に十個選び、採点。戦前の創立された429校の平均は4.5項目にとどまった。
 世田谷区多聞小のホームページでは、ちょうど70年前の1944年に児童が長野県に集団疎開したことや翌45年の空襲で校舎が全焼してしまい、終戦後は別の学校に間借りして授業を行なったことなどが日付入りで記されている。
 江東区小名木川小のホームページには、「東京大空襲で学校の校舎が全焼し、記録が灰となった。資料を探している。」と情報提供を呼びかけ、当時の写真や卒業生の体験談も載せている。「戦争の記憶を継ごうとする心がある。作った先生はきっと立派な方なのでしょう。」 調さんは微笑んだ。
 この結果は7月末、23区の区長全員に送ったという。「空から弾が降り注ぐ時代は知らない」という調さんだが、自分の学校や先輩たちの苦難を知ることで「戦争の恐ろしさを想像してほしい」と願う。
  
 私の卒業した芝中学の校舎も、アメリカ軍の東京大空襲により全焼し、その後三つの学校に間借りをして授業をした。戦争が終わって3ヶ月も経ってから、母校の焼け跡整理中に同期生が不発弾に触れ、二人死亡、数人が大やけどという事故があった。戦争の被害は、戦争が終わってからも長く国民を苦しめるのである。


12 「九条守れ」の女性デモ
 平和を愛する女性たちも動き出している。<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>という俳句がお役所から掲載を断られたと報じられた。これに抗議する動きがいろいろと伝えられている。政府からなにも言われないうちに、政府の意向を先読みして、自主規制する動きがすでに始まっている。これは恐ろしいことである。自主規制と相互監視は、息苦しい世の中を作り出す。戦前回帰である。政府の意向に反することをすれば、非国民といわれる。そういう世の中にはしたくない。
 俳句の九条はもちろん戦争の放棄を定めた憲法第九条である。女性デモとあるからには女性が中心となったデモ行進であったろう。いよいよ平和を愛する女性たちが動き出したのである。この輪をどんどん広げ大きな潮流になることを心から期待している。
 私も森秋という俳名でときどき俳句を楽しんでいるが、近作をここで披露したい。
     あまたなる原発ノーの日傘かな     森秋
     カンナ燃ゆ脱原発の人の輪に
     片蔭もなき行進や廃炉まで
     放射能見えず残暑の極まれり
 公民館の発行物なら掲載を断られたかもしれないが、民間の俳句結社の俳句雑誌には載せてくれた。表現の自由は基本的人権の重要な要素であり、憲法遵守義務のある公務員なら、もっとも尊重しなければならないことである。政府の顔色を気にして、掲載を断るなどの行為は憲法を軽視するものである。
 「梅雨空に・・・」の俳句を記載拒否した件について、現代俳句を代表する94歳の俳人金子兜太(とうた)さんは「普通の市民が率直に感じたことを詠んだ句。記載拒否は言葉狩りだ」と述べ、公民館の月報に記載するべきだったと指摘している。その中で、「戦後特に高度経済成長の頃から、花鳥風月だけでなく、社会を詠おうという傾向がひろがってきた。(中略)どんな立場の作品が出てきてものせたらいい」とも述べている。(東京新聞2014年9月8日付け朝刊)
 さいたま市教育委員会は「世論を二分するようなテーマの作品は月報にそぐわない」と記載拒否の理由を説明しているが、金子さんの言うとおり両方記載すればよいのである。「表現の自由」「基本的人権の尊重」が民主主義の根幹である。


13 平和願い、まず勉強会
 2014年9月8日付東京新聞朝刊に、「ラーバンの森から」を連載しているやまざきようこさん(おけら牧場・ラーバンの森運営)は、{小さな子供を持つ若いお母さんたちが、集団的自衛権を行使することを閣議決定で容認したというニュースにみんな不安を感じ、若いお母さん達を交えた憲法の勉強会を始めることにした。」と書いている。「やっとの思いで生まれた子供が、成長した頃に徴兵制がしかれ、戦争に行かされるのではないかと居ても立ってもいられない」という。
 身近な愛する人を戦争で失う苦渋を味わいたくないという気持を、選挙の時に投票行動で現せばよいのである。法律の素人である私は、憲法の勉強から始めたが、同じことから始める若いお母さんがいることを知って、エールを送りたくなった。
 
14 暴力はダメだが、武力はいい?
 日本では、家庭でも学校でも職場でも、暴力はダメということになっている。たまに学校のクラブ活動で暴力行為があったとなれば、警察やマスコミが動き出す。アメリカでは、自衛のために家庭で銃を持ことが許されていると聞く。家庭での自衛権を認めて、銃の保持を認めているそうだ。しかし、銃の乱射事件が多発すると、そのたびに銃規制が話題となるが、実現したことがない。アメリカと日本と、どちらが治安が良いかみれば銃のない社会の方が安心して暮らせるという結論のなりそうだ。
 いったん銃を持って銃でみを守ることに慣れると、銃は手放せなくなる。身近にある銃がわが身を守る場合もあるが、乱射されてその被害者になることもある。一旦銃を持ったら捨てられないのである。日本はさきの戦争で占領軍に武装解除されたために、だれも銃はもっていない。戦後の日本社会は銃のない社会として、国民が安心して経済復興に専念できたのである。人間社会は個人の家庭も国家も同じである。武器のない社会、戦争のない地球を目指すのが本筋だと思う。
 暴力も武力も悪いのである。人類が生き続けるためには、暴力も武力もないほうが良いのである。


15 「弱者の戦略」を生かそう
 2014年8月3日の東京新聞に、静岡大大学院農学研究科教授稲垣栄洋さんの著書「弱者の戦略」が紹介されていた。雑草生態学が専門とのことだが、「雑草は植物的には弱者の代表であり、戦わない戦略をもっている」とのこと。「生物は基本的に競争を避ける。戦って傷つくのはお互いに損だから、いかに戦いを避けるかが生きて雪歌芽の戦略」とのこと。「すべての生物は戦略家。それを人間の社会に置き換えてみると非常に参考になる」と指摘されている。例えば「ずらす」は、弱者の戦略の神髄、花をつける季節や時間をずらす、生息するエリアをずらすなど。
 この記事を読んでいて、気が付いたことがあった。相手より高い武力をもつのは強者の論理で、お互いにそれをやれば軍備拡張競争になり、戦争の放棄を憲法で明記している国のやることではない。太平洋戦争の敗戦後、われわれは今後武器を持たない国として、世界平和に貢献しようという固い決意を、この憲法第九条で世界に向かって宣言したのである。いわば弱者として生きる覚悟を決めたのである。
 憲法前文には、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・」とある。「集団的自衛権」は仲間をふやす、という強者の論理であり、「武器輸出の緩和」は仮想の敵に渡る恐れのある武器を輸出するという矛盾した行動である。いったん日本の手を離れた日本製武器は、誰の手に渡るかわからない。日本の自衛隊が外国の戦場で、日本製の武器に襲われることもかんがえておかなければならない。憲法前文にある通り、粘り強い日頃の外交力。交渉力で、したたかに自国の安全を保証する道がもっとも賢明で、実現性が高いのである。「弱者の戦略」を徹底的に研究し、武力を行使せずに日本の安全保障に資することを考えたい。そういう道は必ずあるはずだ。


16  あきらめるのはまだ早い、やることがあるはず
 安倍政権は短期間にむりやり国の方向を変えようと相当荒っぽいことをしている。国会においても、国民に対しても、十分な説明をせず、強硬突破をしてきている。不安を感じている人はますます増えている。
 我々国民がいままでの不勉強を返上して、どういう国にしたいのか、真剣に考え、討議し、行動すれば、この国をわれわれの望む方向に向かわせることは可能なのである。
集団的自衛権容認の閣議決定、秘密保護法制定、武器輸出容認、原発再開など、国民的議論のないままに進められてきたが、まだ間に合う。あきらめるのはまだ早い。
 裁判所に提訴するなどのほかに、決め手として次の国政選挙がある。ここでひっくり返す機会がある。もし最善の候補者がいなければ、次善の候補者を選ぶ、少なくとも今の与党には投票せず、自分の望む方向に近い公約の候補者を選ぶという選択はできる。
どうしてもいなければ、同志や仲間の中から話し合いで推薦するという手もあるし、あなた自身の立候補という方法もある。いずれにしても棄権はせず、投票することが民主主義を支えることにつながる。国民主権ということは、我々国民一人ひとりが主権者としての自覚と責任をもつことである。
 あきらめるのはまだ早い。まだ我々にはやること、できることがある。


第五章 私の目指す日本の姿
 この章では、私が理想とする日本の姿を考えてみたい。あなたが理想と考える姿と違う部分があるかもしれないし、重なる部分があるかもしれない。それぞれ違うのは当然であり、その違いをお互いに認めることが民主主義につながると思う。大事なことは、自分の理想とする姿を日頃からそれぞれ真剣に考えておき、人任せにしないことである。国民主権というのはあなたも私もこの国の主権者としての自覚と責任をもつことから始まる。主(あるじ)というのは、一家の主でも、一国の主でも、大変な責任をもつものである。
 あなたの理想とするこの国の姿をぜひ考えて頂きたい。理想を持たず現実の中にいつもどっぷり浸かっているだけでは、世の中ちっとも良くならない。自分で考え行動に移すことが民主主義である。
 まず私が理想とする日本の姿と世界の中での役割を考えてみたい。もしも共感する部分があれば、あなたの理想と思う日本の姿の中に取り入れて頂いても構わない。


1 国民主権・民主主義
 人類はいろいろな政治形態を試してきたが、今のところ民主主義がもっとも優れているといわれている。力に頼る軍事国家は戦争を招き、独裁国家は独裁者の暴走になりやすいという経験を、人類は何度もしてきている。今後民主主義を超える仕組みが発見されれば別だが、今のところ民主主義が最高の政治形態だと思う。
 それぞれ意見の違うのが人間だから、民主主義は物事を決めるのに時間がかかる。ねじれ国会ともなれば、政治は前に進まなくなることは、われわれも体験した。日本は西欧型民主主義を手本としているが、日本人の性格や感性にあった「日本型民主主義の定着」にはまだまだ時間がかかりそうだ。
 日本人は、「政治はお上にまかせるもの」「お上は悪いようにはしない」と考える人が多い時代が長かった歴史があるので、自分がこの国のあるじという自覚と責任をなかなか持てないのである。80歳を超えてから憲法の勉強をしようなどという私のような不届き者がいてはなおさら時間がかかる。「日本型民主主義の定着」を目指し、せめて国の方向づけくらいして孫や曾孫の世代に日本国を委ねたいと思う。前著「日本の選択」で述べたように、「日本型民主主義は地域に密着した形で発展させたいと思っているが、あなたはどうお考えだろうか。


2 平和主義・戦争放棄
 相手を殺す道具まで作って殺し合う大ばか者は人間しかいない。しかも全人類を殺せるだけの核兵器を人類は持ってしまったのである。人類だけでなく、全生物の生命さえ奪う恐れのある大量の核爆弾を持っているのだから、他の生物からみれば、迷惑極まりないことであろう。日本は武器を使用せず、戦争に巻き込まれず、、平和のうちに生き抜くこと、平和を通じて全人類の役に立つことを実行しなければならない。集団的自衛権の行使や武器輸出は行なわない。全人類の民生の向上に役立つ製品やサービスの提供に専念する。


3 基本的人権の尊重
 現憲法の基本的人権の尊重は、日本だけでなく、全人類に広めたい立派な「人類普遍の原理」である。戦争を排し、平和のうちに、一人ひとりの基本的人権が尊重される世界をつくることに役立つことが日本の役割である。全人類が、健康で文化的な生活を送れるようにするのが日本の使命である。


4 地球環境の保全
 地球上に人類が生まれて以来、地球環境は汚染され、破壊されてきた。戦争は最大の環境破壊である。人間がみぜから住みにくくしてきたのである。地球環境保全のために役立つのが日本の役割である。


5 再生可能な自然エネルギーの確保
 原子力発電所を廃止して、再生可能な自然エネルギーの開発と使用に徹し、その技術やノウハウを世界に提供する。


6 教育と勤労の喜びを感じる
 日本は天然資源がほとんどなく、人間が最高の資源である。人間が宝を生み出すのである。教育と勤労に喜びを感じるシステムをつくり、無限の能力を引き出すことができる。このシステムと運営ノウハウを全世界に提供するのである。


7 弱い者いじめをしない
 私は子供の頃、親や先生から「弱い者いじめは卑劣で、人間のもっとも恥ずべきこと」と教えられてきた。今の社会は弱い者のあらゆるしわ寄せがきているように感じられる。社会保障・福祉、性別格差、パワハラ、いじめ、児童虐待、自殺などなど。こういういじめのない社会をつくる。


http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/h25.html

8 「唯足るを知る」の行き渡った社会
 禅の教えに「吾唯足るを知る」という言葉がある。人間は欲のかたまりで、欲はきりがない。もっともっとと欲張って、秩序を乱す人・会社・国がある。経済を市場に任せれば、欲と欲がぶつかりあって、混乱をきたし、他の人・会社・国に迷惑をかける。なんらかの歯止めが必要である。
 また欲に任せてエネルギーを消費すれば、資源の枯渇、環境破壊に通じる。「唯足るを知る」社会は人類全体のためになる。


9 21世紀のジャポニズムは平和・健康・文化
 19世紀から20世紀にかけて、日本の浮世絵が西洋とくに当時芸術の中心地であったパリに大量に渡り、当時の西洋の巨匠たちに大きな影響を及ぼした。ジャポニズムといわれたという。2014年6月28日〜9月15日東京の世田谷美術館で行なわれた「華麗なるジャポニズム展」では、クロード・モネ作「ラ・ジャポネーズ(着物をまとったカミーユ・モネ)」のほか、広重・北斎・歌麿らの浮世絵から大きな影響を受けたゴッホ・ゴーギャン・ルノワール・セザンヌら西洋の巨匠たちの作品が展示されていた。画家が影響を受けただけでなく、一般家庭にも日本趣味が普及したという。
 広重・北斎・歌麿らの浮世絵師が作品を生み出した背景を考えてみると、江戸時代は260年の長きにわたる、世界でも稀な平和の時代であり、浮世絵師が芸術に没頭できる、平和で健康的・文化的な環境が整っていたことを忘れてはならない。
八っつぁん、熊さん、横丁のご隠居さんという庶民たちも、平和で健康的・文化的な環境にいたからこそ、浮世絵を買い、楽しむことができたのである。「宵越しのゼニを持たない」という江戸っ子の生活も、貯金などなくても、真面目に仕事をやれば生きていかれるという社会に支えられていたのである。
 21世紀のジャポニズムは、平和・健康・文化の三大ポイントを世界に向け発信することである。
 
 10 生まれて良かった、生きていて良かったという世界を
 ブータンという、中国とインドという二大国に挟まれた小国がある。国内総生産という指標のかわりに、国民総幸福という新しい指標を生み出し、注目されている。
 日本は若い人たちに幸福という実感が薄いと私的されて久しい。これからは、生まれてきて良かった、生きていて良かったという日本と世界にしたい。そのために、主権者としてなにをすべきか、いっしょに考え、ともに歩いてゆきたい。
 以上が私の理想とする日本の姿である。現実を少しでも理想に近づける努力をするのが人生であり、政治であると思っている。82歳の私は生きている限り、この気持を続けたいと思っている。


第六章 国としての品格を上げる
 今の日本に足りないものは、寛容と忍耐ではないかとひそかに思っている。人は過ちを犯す、ミスをするから人であり、そういう人間が集まって社会や国を作っているのだから、お互いに他人の過ちを攻撃することに熱心であれば、民主主義は成立しないか、または非常に時間がかかることになる。寛容の精神が必要である。お互いに考え方や意見の違うのが成熟した社会であるから、それをまとめるのには時間がかかり、忍耐が必要である。
 
 1 人間として生涯守るべき一字は「恕」
 「たった一文字で、人間が死ぬまで行い続けなければいけない字は?」と弟子に聞かれた孔子は、「恕」と答えている。恕を漢和辞書でひくと、「おもいやり、同情、慈しみ、哀れみ、許す、大目に見る、人の身の上や心情についての察し」などとある。作家の童門冬二氏は「いつも相手の立場に立ってモノを考え、実行する」と受け止めているという。
 私は「恕」を寛容ととらえ、民主主義社会では、とくに寛容の気持を持つことが必要と思っている。


 2 民主主義は時間がかかる、忍耐が必要
 日本が太平洋戦争に負けて、軍国主義国家から民主主義国家へと変わってから69年、主権者である国民の意識が低く、政治への関心も薄い。最近の選挙の投票率をみれば明らかである。民主主義が定着するまでには、まだまだ時間がかかる。
 議員の、国民代表者としての自覚と公約に対する責任感もまだまだである。役人も国民のためよりも、省益のために動くことが多いように感じられる。日本は、現在世界最高の政治制度といわれる民主主義を取り入れながら、それをモノにできていない。しかし、、短気を起こして戦前に戻ることはいっそう不幸になる。「スロー バット ステデイ」 ゆっくりしかし着実に、民主主義定着に向け忍耐強く歩み続けるのが幸福への道である。


3 ヘイトスピーチを排す
 民主主義は考えや意見の違いを認めることが基になる。違いをお互いに認めた上で、冷静に話し合って、お互いに一致点を見出す作業を協力して行なうのである。一方的に大声で相手を攻撃するのは、民主国家の良識ある人のやることではない。自分の精神レベルを下げるようなことはしない方がよい。

「脱原発テントに反対する右翼が暴れ脱原発テントを破壊」

4 議会でのやじはやめよう
 民主主義は他人の意見を静かに聞くという姿勢が求められるが、日本の国会・地方議会では、正規の発言者の意見を聞かず、やじを飛ばして妨害する議員もいる。やじの内容もさることながら、やじ自体相手の話しを妨害する行為で、民主主義とは相容れないものである。自分の意見は正規の発言者となっていうべきである。


5 謙虚な人は好かれる
 私はボランテイアで、老人施設に行っているが、施設の利用者でもっとも嫌われるのが威張る人、現役時代の肩書きをひけらかす人で、逆にもっとも好かれるのは謙虚な人、聞き上手な人と聞いている。これは難しい。私にはとてもできそうもない。
 宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中にも、他人のために喜んで役に立ちながら、「ホメラレモセズ クニモサレズ デクノボートヨバレ・・・・」と謙虚な人になりたい、とある。日本の国としての生き方がここにあるように思える。謙虚でありながら、他の国や世界のために奔走する、こういう国は他国から武力で攻撃を受けることはまずないといえる。日本を守るのは、集団的自衛権ではなく、他国や世界の国々の平和と民生の向上に奔走することである。


6 百年後の日本と世界を考える
 明治の政治家は百年先の日本を考えていたが、最近の政治家は目先のことしか考えていないようだ。しかも、安全保障環境の変化に合わせて、憲法解釈を変えようという受身で、消極的な姿勢である。安全保障環境を武力を使わないで変えようというのが真の「積極的平和主義」である。こんな政治家に任せておかず、国民がみずから百年後の日本と世界を常時考え、実現するための投票行動を行なえば良いのである。
 おとなは、子供たちやその子孫達に対して、良い世の中をつくり、引き継ぐ責任がある。百年先を考えて投票するのが最低の責任遂行である。


7 他人の意見を冷静に聞く耳を持とう
 民主主義を定着するには、他人の意見を冷静に聞く耳をもたねばならない。テレビの討議番組を見ていると、自分の意見を熱心に話すひとばかりで、他人の話を聞かない、
一方通行の会話で討議になっていないことが多い。聞き役不足が今の日本の問題点の一つである。自分の考えを話すだけでなく、交代で相手の主張もじっくり聞き、共に考え、お互いに納得する案をつくりだすのが民主主義の手法である。


8 我欲をむき出しにしない
 人間には我欲があり、欲は際限なく広がる。人間社会は我欲と我欲のぶつかり合いの一面がある。暴力や武力を背景に、我欲と我欲がぶつかり合えば、個人やグループ同士なら喧嘩になり、国家間なら戦争になる恐れがある。人類の歴史を見れば、その闘争のあとを辿ることができる。
 長い目でみれば、そのばかばかしさにそろそろ気づき、他の方法を考えても良い時期にきている。「吾唯足るを知る」という禅の教えは、人間社会を気持ちよく生き抜く知恵でもある。個人間でも、会社間でも、国家間でも、平和に気持ちよく生き抜くためには、我欲(国益)をむきだしにしないことである。


9 「三方良し」が人付き合いや外交の鉄則
 近江商人の永続する商法として伝えられる「自分良し、相手良し、世間良し」の「三方良し」は、自分(自社・自国)の利益だけでなく、相手の利益や世間の利益を同時に図ることによって、他者との良い関係を深め、平和のうちにもっとも犠牲が少なく、他者と共存する知恵である。武力を背景に自分の利益だけを声高に主張するのは、「戦争と破壊の世紀と」いわれた20世紀までのやり方である。21世紀以降は、「三方良し」に徹することである。


10 21世紀は品格がものをいう
 個人でも、品格のある人は尊敬され、一目おかれる存在である。攻撃されるようなことはない。国でも企業でも同じである。我欲(国益・社益)を押さえ、相手や世界の民生の向上のために奔走することが、品格を高めることになり、近隣や世界で喜ばれ、安全保障につながるのである。


11 我々の遺伝子には祖先の思いが入っている
 誰でも両親がいる。父も母もそれぞれに2人計4人の親がいた。さらに一代たどれば計8人の親がいた。1代ごとに倍の祖先がいるから10代前は1024人、20代前は100万人以上の祖先である。
 日本の歴史を見ると、今の中国から直接日本に来た人、今の朝鮮半島から来た人、黒潮に乗って南方から来た人などの記録がある。その人たちはその後日本に住んで子孫を残した人、つまり我々のご先祖様になった人もいた。我々の遺伝子には、そういうご先祖様の思いも入っているかもしれない。
 遠くさかのぼれば、人類の祖先はアフリカに誕生し、ユーラシア大陸を横断して地球上の各地に住み着いたという。こういう遠いご先祖さまの遺伝子もわれわれの血に入っているかもしれない。日本は単一民族とはいえないような気がする。安倍首相の血に、中国や韓国から来た人々の遺伝子が入っているかもしれない。人類は家族ともいえるのである。


12 次の世代に無事バトンを引き継ごう
 我々は、人類駅伝の一選手という意味合いと、次の世代の無事バトンを手渡す責任を持っている、といえる。集団的自衛権を掲げて戦争に加担することより、平和のうちに、次の世代に無事バトンを手渡すことの方が、人類の歴史上重要なことと思われる。これから駅伝ランナーとして走り出す人々が、我々のバトンタッチを待っているのである。
 どこの国のランナーであろうと、元気に走り続けてもらうのが、人類駅伝には一番大事なことなのである。


13 国の生き方も個人の生き方も同じ、常に品格を磨く
 この章では、個人の生き方と国の生き方とを同時に取上げているが、個人として80年以上生きてきて、結局理想とする生き方は個人も国も同じと考えるようになった。個人なら我欲、国なら国益という我欲をできるだけ抑えて、品格を上げ、他人・他国のために奔走するのが、良い人生であり、良い国と高く評価されるということである。他から信頼され、尊敬されている人は、他から攻撃を受けることがない。そういう立派な人を攻撃したら、他の人から批判されることが分かっており、自分が不利になることが分かっているからである。品格の高い人は他人が手を出せない雰囲気を持っている。集団的自衛権など無縁である。
 日本は国として、憲法第九条により不戦を国是とし、69年間戦争とは無縁であった。ただひたすらビジネスに励んで、経済的に他国の役にたってきた。日本の経済力・技術力・組織力を高く評価し、日本人のやさしさ・おもいやり・きずなに共感する外国人は多い。私の外国人の友人に「日本の経済力・技術力をもってすれば、原子爆弾くらいできるのに、あえて造らないのは素晴らしい」といわれたことがある。
国としての品格をますます磨いてゆくことが、安全保障に通じる。品格の高い国は他国が手を出すこともなく、集団的自衛権など無縁である。
 国としての品格を上げるには、品格のある政治家を育てなければならない。それには主権者たる国民が品格のある投票行動をとることが前提である。国民一人ひとりみずからが常に品格を磨く努力を継続することが必要である。 
あとがき
 「20世紀は戦争と破壊の世紀」といわれた。21世紀になって十数年この辺で、21世紀をどういう世紀にしたいか、考える時機がきたのではないかと思い、前著「日本の選択・・・・日本が21世紀にやるべきこと」を世に問うた。その中で私は、「21世紀は平和と環境の世紀」にしたいと述べた。実現不能」の理想論という批判については、21世紀はまだ80年以上残っているのだから、その間努力を続ければいいと考えた。
 ところが、この一年くらいの政府のやり方は、集団的自衛権行使容認の閣議決定、特定秘密保護法の制定、武器輸出の緩和、原発の再稼動、基本的人権の制限など、20世紀前半・戦前に戻るような傾向が感じられる。政治の暴走と感じている人が増えている。私は法律の素人であるが、国民の9割以上が私と同じ法律の素人であり、国民主権の主権者である。民主国家である以上、私にも主権者として政府の暴走を止める責任と義務がある、と思ってこの原稿を書き、私の率直な気持ちをそのまま現わす「戦争はこわいぞ!・・・・東京大空襲の体験者からの平和のメッセージ」と題することにした。
 戦争はこわい、ひどい、残酷だ、二度と嫌だというのが、空襲体験者としての本音である。中学一年の時に、アメリカ軍の空襲で家を焼かれ、学校の校舎を焼かれた。兵隊として戦地に行ったわけではないが、戦争の惨劇は誰にも味合わせたくない。空から爆弾が降ってくる、そのこわさはいいようがない。
 要は、次の国政選挙で政権を変えることである。それを果すのにこの原稿がすこしでも役に立てば幸いである。この関連の執筆・講演・会議等の要請があれば、喜んで出席したいと思っている。
 最後までお読みいただき有難うございました。



(民主主義には強い力があるから継続する)
 民主主義が無くなると残念だから民主主義を守って戦うというのには、少し異論があります。民主主義の力が強いから、その強い力に守られるように民主主義に頼るのが良いと考えます。
 そう心に決めて、その民主主義の力を最大限に引き出せるように戦えば良いと考えます。
 民主主義から外れないように戦えば良いだけで、民主主義自体が負ける事を恐れるのは間違っていると思います。もし負けるなら、それには思っていた魅力・強さが無かっただけの事であるので、こだわる必要は無いと思います。 

(戦後の日本政府は、(弾圧した国民の復讐を恐れ)、日本占領軍に逆らってでも治安維持法を守ろうとした
しかし、戦後にアメリカから与えられた民主主義体制によって日本の治安が良好に保たれたので、
戦前の治安維持法も、共産主義者の暗殺行為も、思想善導も必要無かった。
 これは結果からの推定です。民主主義の力の秘密を理解できなければこれが民主主義の力によるという証明にはなりません。証明には、相当な研究が必要と思うが、それだけの労力を尽す価値があると思う。
(1929年3月に国会議員の山本宣治(死後に共産党員に加えられる)が、国会で思想善導(青少年健全育成)について質問した後に暗殺された。


 民主主義の心がけには、以下の、一見弱そうに見える点と強くなければならない点との2つのポイントがあると思う。
(1)反対者の意見をしっかり聞く我慢強さ(一見弱そうに見える)があること。
 今、在特会の問題が明るみに出される豊富な情報があるのは、在特会の行動には抗議しつつも、その在特会の意見も我慢して聞いて来た結果と思う。豊富な情報が得られる状況が作られているのは民主主義の態度の成果と思う。
 

(2)不正に対して妥協しない、嘘に強く抗議するデモンストレーション力を行使する強さがあること。
(在特会の中曽千鶴子(「百人の会」の理事)の活動を対抗勢力(カウンター)が阻止している)
 
(3)欧米の報道の特徴を見ると、悪を繰り返す組織(在特会等)を問題にしても、態度を変え得る個人のプライバシーを大切にする、という特徴があると推測します。
 欧米が、ネオナチと関係した西田昌司参議院議員をもう批判の対象から外すのは、彼が自民党参議院副幹事長の職を辞任したからだと思う。
 また、欧米は在特会を問題視しているが、その幹部であった増木をもう批判の対象から外しているように見える。彼が既に在特会に属さず、しかも、在特会を批判しているから、批判の対象にしていないのだと思う。
 民主主義には、個人の態度の変化を尊重するというルールがあるからだろうと推測します。
 民主主義は、現に存在する悪い影響力を標的にして戦うのであって、個人の過去の罪を追及する無駄な戦いをしないという特徴があるように思います。
 

(4)民主主義は、現存する1つ1つの悪を見分ける正確さを武器にして戦うと考えます。
 問題を抽出する正確さを求めるのが、民主主義の特徴と考えます。判断の正確さを確実なものにするために、反対意見を良く聞き、不正確さを修正する事が民主主義の力を発揮する源になっていると考えます。
 


(5)民主主義は、市民が合意して選んだ政権に国の運営を任せています。そのため、市民には、選んだ政権の国政運営の結果が良くても悪くても受け入れる覚悟が必要という特徴が民主主義にはあると考えます。
 選挙の責任と結果の覚悟を持つ市民は、悪い結果を出した政治家を過剰には責めない。そのため政治家と市民の間に平和がもたらされると考えます。それが民主主義の力を発揮する源になっていると考えます。
 

(まとめ)
 安倍政権は、民主主義に反しているので、この民主主義の力の恩恵が得られず、安倍政権の行う施策はことごとく失敗するのではないかと推測します。
 日本国民は、安倍政権の政策の失敗の結果の影響を受けます。しかし、日本国民は選挙で安倍政権を選んだので、その結果の予測される経済不況に対して、日本国民にも責任があると考える覚悟が必要と思います。 

(注意)安倍政権を支配する「日本会議」が目指す戦前の国民的な心理,意識,生活を支配し,規制していたものは,国体論と精神主義を柱とする天皇制イデオロギーであり,それはあらゆる非科学性の根源であった。   

◆米財務長官も日本の再増税に警告

 日本の消費再増税推進派は「予定通り増税を実施しないと海外から“日本売り”を浴びる」と警告しているが、これは認識不足。消費税再増税に関しては米国 からも慎重論が強まっている。ルー米財務長官が10日、IMFの諮問機関である国際通貨金融委員会(IMFC)での声明で、日本経済について「今年と来年は低迷が続く」と指摘
 「財政再建のペースを慎重に調整し、成長を促す構造改革を実行すべきだ」と主張したのだ。これは明らかに経済が低迷する中、消費増税のペースが速過ぎると苦言を呈したものだ。ニューヨークタイムズも社説で慎重論を展開している。

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