2014年8月30日土曜日

Copy:大正期の公共図書館政策(宮崎県)

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大正期の公共図書館政策(宮崎県)

 

5 大正デモクラシー

 大正時代は、大正デモクラシーの名のごとく、吉野作造の民本主義を筆頭に、社会主義や共産主義などの思想が日本でも開花し、政党内閣の出現、言論の自由や参政権の拡大など民主的な権利の確保に庶民が力を入れ始めた時代でもある。

このような状況に対し、政府は危機感を強め、統制のための施策を次々に実施してゆく。

通俗図書館の強化、簡易図書館の設置促進などもこうした施策の延長線上にある。
統制はそれだけではなく、図書館の収蔵図書の規制にも乗り出している。
1917(大正6)年に設置された臨時教育会議の通俗教育(社会教育)についての答申には、
「善良ナル読物ノ供給」「出版物ノ取締ニ関シ一層ノ注意 ヲ」などという文言が見える。

 こうした動きを受けて、県は1924(大正13)年に各郡市長に対して、その管内図書館の図書購入、閲覧者の指導についての注意を文書で流している(9)。 

この中で、漁村においては漁業上の参考書を多くし、農村では農事上の書籍を多くするなど
「地方的色彩」を発揮し、
「読書ニ依ッテ得タル智識ヲ実際生活ニ応 用セシムルガ如ク指導」
するよう要求している。また、
「図書選択上ノ注意」として、
「閲覧者ノ意ヲ迎フルガ如キ選択者ノ趣好ニ傾クガ如キコトナク購入セラ レタシ」とし、
「思想上顧慮ヲ要スルモノ」や「無害ナルモ無益ナルモノ」などを「絶対ニ購求」しないよう注意している。
後に県立図書館の開館50周年を記念して開かれた回顧座談会の記録(10)には、
当時の館員による図書の購入や紹介、研究の会が危険思想視されたり、当時の山内館長がアンチ吉野(作造)で、この種の本は一切買わなかったことなどが紹介されている。

 しかし、実際の利用は、こうした統制にもめげず実にしたたかだったようで、

当時の新聞には、
「学生が小説を読みたがるのは教育上一考を要する。成るべく 健全なる書物を選択して指導してやる責任があると信じている」(大正5年9月22日付日州新聞)とか、
「其読まれる書物はどんなものか十二日の日曜には文芸で二一人の二六冊、他はズット減で歴史の六人の九冊、産業の五人と九冊という順序である。
そして昼間夜間を通じて神書、社会、教育、図書館、経済、財 政、統計、工科、諸芸の八つの堅いものは一冊も読まれてゐない。」(大正6年8月15日付日州新聞)、
「現在延岡図書館で一番多く読まれているのは、矢張り各地の現象と同じ文学物が第一位を占め
次いで、語学、歴史、哲学、社会、教育等の順である。」(大正8年11月15日付日州新聞)
などという記事が毎年 のように見られるのである。
上意下達で「健全な図書」を紹介し、意識の教化や思想の善導を図ろうとする体制に対し、自由な読書を楽しむ庶民の健全さを垣間見る思いである。

6 終わりに

 大正時代は、行政主導の強い指導のもとに、図書館が次々と作られた時代である。
体制の後押しがあったとはいえ、道路や鉄道など社会基盤の整備もままならない時代に、まがりなりにも多くの人々が自由に無償で利用できる形で図書館が作られたことは、やはり特筆に値する。
確かに簡易図書館については、図書館の 粗製濫造であるとか、「公共図書館を学校教育の補助機関とみる考え方を助長して、公共図書館独自の機能の発展を阻害し、
他面では、学校図書館じたいの発達 をも妨げることになった」(11) 
などという評価もあるが、 
500冊に満たない蔵書ながら年間 1,000人を越える閲覧者がいた図書館もあったことを考えると、
否定的なイメージだけで簡易図書館を捉えることはできない。
娯楽の少なかった時代に、読 書という行為を一部の階級のものから、広く一般へと普及させることに果たした役割は少なくないだろう。

 大正時代の終わりから、通俗図書館は、社会教育の枠組みの中で思想善導・皇民教育徹底のための機関として位置づけられるようになり、

1933(昭和8 年)の図書館令の大改正によって、
中央図書館を頂点とする国民教化のためのヒエラルキーに組み込まれて行く。
簡易図書館もその波から逃れられなかったはずだが、戦争の影でその姿は消え、戦後は全く面影をとどめていない。
学校に置かれた簡易図書館が、どのようにして消滅し、なぜ戦後の学校図書館に受け継がれ なかったのか、これまでの調査ではわからなかった。
そこが明らかになれば、簡易図書館の評価も多少は変化するかもしれない。

 それにしても、遅々として整備の進まない現在の宮崎県内の公共図書館の状況を思う時、

大正時代の一連の図書館政策は、長期的な展望に立った一貫した図書館振興策と、県立図書館による強力な援助と指導の必要性を今更ながら痛感させるのである。
全国でも再下位を低迷する市町村立図書館の活動を活性化するためには、市町村の覚醒をただ待つのではなく、進んで揺り動かす時期に来ているのではないだろうか。

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